遠くなり掛けていた気を引き寄せ、ぼんやりしていた視界の焦点を合わせたら、煤けた天井が見えた。

ああ……、と思って、『力』を使ってもどうにもならない気怠さを引き摺りながら躰を起こそうとした龍麻の腰に、伸びてきた京一の腕が、するっと絡まった。

「何処行くんだよ」

「風呂行こうと思っただけだって」

「未だいいだろ」

ベッドから忍び出ようとした龍麻の気配を察して、行くな、と京一は龍麻を引き寄せ、両腕の中に閉じ込め、情交を終えたばかりの火照った肌に、キスを仕掛け始める。

「何言ってるん──。…………あ……っ」

再びの始まりに、龍麻は抗おうとしたけれど、熱や欲や悦を手放したばかりの躰は、すんなり応えてしまった。

「ほら。お前だって、未だその気」

「その気とかその気じゃないとか、そういう問題じゃないって言うか、京一の所為だろっ」

「はいはい。俺の所為ってことにしてもいいから、ってか、それでいいから。……ひーちゃん。な? 龍麻」

抑え切れぬ声を洩らした途端、揶揄するように京一が忍び笑ったから、龍麻は文句を再開したが、それも又、あっさり、京一の腕とキスと眼差しに封じ込められて。

本当の気持ち一つ、本音を伝える言葉一つ、京一にはぶつけられないのに、京一の何も彼も、唯、黙って受け入れる自分を空しく感じつつ、龍麻は諦めた風に瞼を閉ざして躰から力を抜いた。

────されるに任せる腕の中の躰を、瞳覆い隠した面を、僅かの、じっと見詰め、苦し気に歪む、笑みとも言えぬ笑みを頬に刷いて、京一は、再びの始まりの始まり、強過ぎる力で、長らく、龍麻を抱き締め続けた。

その夜の、そういった出来事の所為で、翌日、龍麻は余り体が思うようにならず。

苦労して潜り込んだディマプールの街から、彼等が、やはり苦労して抜け出したのは、二日後のことだった。

例の安宿を引き払ったその足で、ナガランド州で唯一の駅に向かい、知恵と経験を絞れるだけ絞り、何とか、駅舎の中へと彼等は潜り込む。

この州でたった一つの、というだけあって、溢れ返る人で満たされていた駅舎は、英国統治時代の名残りのある、何処となくヨーロッパの香りがする建物だった。

そんな駅舎のあちこちを、少々の物見遊山気分で眺め倒してから二人は、コルカタへ向かう直行列車を待つ人々の列に紛れ込んだ。

「うわー、直視したくない混雑っぷり……」

「中国に負けず劣らず凄ぇな、インドってトコも」

素知らぬ顔で、現地に在住している者のような振りして紛れ込んだ列車待ちの列は本当に長く、自分達が乗り込む列車は、アジアの中央部に近付くに連れよく見掛けるようになってきた光景を再現するように、通路や連結部だけでなく、屋根までびっしり人が溢れるだろうと容易に想像出来て、思わず二人は、うんざりし掛けたが。

目的の列車に乗り込まなければどうにも立ち行かぬから、「ん!」と気合いを入れ直し、ゆっくりと、プラットホームに滑り込んで来た車両を見据えた。

緩慢に停まり、溢れんばかりの乗客を吐き出した列車に、人々は、我先に乗り込もうと構え。

「うおおおお! 押すんじゃねえよ! っとに……。──ほら、ひーちゃん」

先を争う人の波にグイグイと押された京一は、声高に文句を吐いてから、何とか傍らの龍麻へと体を捻り、手を差し伸べた。

「あ、うん」

逸れぬようにと伸ばしてくれたのだろう彼の手を、当たり前のように掴もうとし、が、龍麻は途中で腕を止めた。

────差し伸べられた手を、掴み返さなければ。

人波に押されるに任せ、二人、逸れれば。

何も彼も、終わりにすることが出来るだろうか。

もう、辛い想いをせずに済むだろうか。

唯一無二の存在と分たれることは、恐らく、半身をもぎ取られるに似た苦痛を生むだろうけれど、それでも、この胸の内を満たす辛さは遠くなるだろうか。

差し伸べられた手を見送り。

唯一言、「さようなら」と告げれば、何かは変わるのだろうか。

さようなら、と、言えてしまえば。

…………そう想い、龍麻は刹那、自らの腕に躊躇いを乗せたけれど。

結局、彼は、何時ものように、当たり前のように、伸ばされたままの京一の手を掴み返した。

……龍麻に、京一と分たれることを受け入れられる筈は無かった。

さようならの一言など、告げられる筈も。

胸の内を満たす辛さに耐える路のみを、行かなくてはならないと、判っていても。

「行こうぜ、ひーちゃん!」

────さようならと言えてしまえば、自分は楽になれるかも知れない。

……そう思いつつも、手を伸ばし切った龍麻を引き寄せ、肩を抱く風にしながら、京一は明るく告げて、笑みを浮かべた。

龍麻へと。

「……うん。行こう、京一」

その笑みに、笑みを返し。

繋がれたままの京一の手を、龍麻は、強く強く、握り返した。

溢れんばかりの人々を彼等毎飲み込み、列車は、コルカタ目指し、ホームを離れた。

車両同士の連結部近くの通路に身の置き場を確保して、ひしめき合う人々に揉まれながら、二人は、ごった返す人に隠れて余り風景の窺えない車窓に、共に眼差しを注いだ。

速度を上げた列車の車窓の向こう側を流れるディマプールの町並みは、形を崩し、色彩となって流れていく途中だった。

二人が見詰める中、龍麻と京一にとって、通過点の一つで終わった街は、車窓から消えた。

……彼等は、未だ、旅の途中。

End

後書きに代えて

互い、恋愛模様に於けるドツボまっしぐらだった頃の、京一と龍麻の話でした。

……ホントにドツボだな、この二人。

──あくまでも一応&ワタクシの中では、この話、2009年の秋に参加させて頂いた、魔人のオンリーで発行した、『スタートラインは、ここからです。』という話の対になってます。

ドツボまっしぐら中のお二人さんと、ドツボから抜け切ったお二人さんの、えろっちいことに対する姿勢の違いが対(笑)。

この頃の京一は、結構残酷な男かも知れません。優し過ぎて却って残酷、って奴。

……何か、龍麻が不憫になってきた……。ああ、本当に、うちのお二人さんって、馬鹿だ(あっ)。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。