東京魔人學園剣風帖
『ローシュタインの回廊』
待ちに待った、楽しい──宿題や課題等を無視すれば──夏休みがやって来て、二週間程が経った。
高校最後の、貴重な貴重な夏休みを、彼等──緋勇龍麻や蓬莱寺京一達も、満喫しつつ過ごしていた。
下馬評通り、物の見事に彼等が喰らった補習三昧の日々は旧盆の頃から始まるので、宿題も課題もそっちのけ! と思うまま休みを貪っている馬鹿野郎様達は、その日、己達の母校の真神学園にいた。
折角の夏休み、あれもしたい、これもしたい、と思い、騒ぎ、いい加減な計画も立て掛けたものの、彼等の街である新宿を、そして東京を脅かす異形との戦いは繰り返されるばかりだったし、高校生の身の上の彼等の懐が、夏休み中延々と遊び呆けていられる程豊かな筈も無く。
暇を持て余し気味だった処へ来て、つい先日九州地方で行われた、全国高等学校剣道大会に部で参加し、見事、個人の部での優勝を果たして帰って来たばかりなのに、お行儀の宜しいスポーツ武道はどうしたって肌に合わぬのか、「俺は、スポーツが好きなんじゃないっ! 剣術が好きなんだっ!」と京一が喚き出した為、じゃあ、『旧校舎詣で』をしようかと、龍麻が仲間達に手当り次第声を掛け、『暇人』を募り、真神学園・旧校舎前に集合! と相成ったからだった。
──残念ながら、その日の午後早くに掛けられた、龍麻からの「集合!」の声に、仲間達の全員は応えられなかったが、それでも、『本日の旧校舎詣で言い出しっぺ』の龍麻と京一以外に、レスリング部々室にて自主トレをしていた醍醐雄矢、弓道部の練習を終えたばかりだった桜井小蒔、霊研部室でオカルトの儀式めいたことをしていた裏密ミサ、桜ヶ丘中央病院の看護師見習いの仕事が非番だった高見沢舞子、その日は営む骨董品店の客の入りが悪かったらしい如月翡翠の五人が、約束の時間、約束の場所にやって来てくれた。
因みに、美里葵は生徒会の集まりから抜け出せそうもなく、雨紋雷人は自分達バンドのライブ予定があって、藤咲亜里沙は引っ掛けたカモ──もとい、男性とデートの最中で、紫暮兵庫は母校の柔道部での練習が長引いている、とそれぞれ返事を寄越した。
………………まあ、そういう訳で。
総勢七名の団体となった龍麻達一行は、年中立ち入りが禁止されている旧校舎付近を見回っている、真神学園三学年主任の生物教師、犬神杜人に見咎められぬよう、そそくさ……っと『秘密の入口』よりボロッボロの校舎内へ潜り込み、埃っぽい、うるさく軋む板張りの長い廊下を進み、突き当たりにある小部屋の引き戸を開け、コンクリート剥き出しの床の片隅に嵌まっている、鉄板で出来た『蓋』を引き開け、次々、中へと飛び下りた。
そこそこの人数がいるし、休み中なのだから、今日は行ける所まで行ってみよう、とチャレンジ精神を発揮した一同は、何処まで続いているのか、そして何処まで深いのか、これっぽっちも掴めぬそこで、溢れ出て来る異形達と戦いながらひたすら下り続け…………──そろそろ、『外界』では夕方なのではないだろうか、と皆が思い始めた頃。
五、六十階くらいは潜れたみたいだからいいかー、疲れて来たし、と彼等は引き上げを決めた。
『収穫物』をきっちり手にし、戻ったコンクリート剥き出しの小部屋で、これ幸い、と骨董品屋にその場で鑑定をさせ、「じゃあ、後は何時も通り宜しくー!」と押し付けもし、窓のないその部屋を出、廊下を行こうとして。
「…………うっわー……」
「夕立か?」
古び過ぎた窓ガラスを打ち付ける激しい雨粒に、先頭を歩いていた龍麻と京一が、目を見開き足を留めた。
「うわっ、雷! 当分帰れないかも知れないなあ……」
「そうだな……」
昼の内は、いっそ清々しいまでに暑く、空気もカラッとしていて、雲一つない夏の青空が広がっていたのに、今の空は酷い雨を降らせており、夜と見紛うばかりに暗く、真っ暗なそこを、きつい光を放つ稲光りが時折切り裂いていて、このままでは帰るに帰れない、と小蒔と醍醐は眉を顰めた。
「こんな雨の中ぁ、外に出たらぁ、夏風邪引いちゃうかもぉ」
「夕立のようだが……、この分では、暫くは止みそうにないな」
「そ〜ね〜。止むまで〜、ここで待った方がいいかも〜」
辺りに轟く雷鳴は、耳を劈く程大きく、舞子も如月もミサも、揃って渋い顔をして。
「何っ? こ、ここでかっ!?」
雨が上がるまでは『ここ』にいた方がいい、と言うか、そもそも出られそうにない、と殆どの者の意志が纏まり出した頃、醍醐の声が微妙に裏返った。
「醍醐。諦めろ」
「そうそう。少しの我慢」
『学校の怪談』宜しく、不気味な噂が絶えない旧校舎に留まるのは、大の幽霊嫌いな醍醐にとっては拷問以外の何物でもなく、が、顔を青褪めさせた彼の肩を、京一も龍麻も、ポン、としみじみ叩いて引導を渡し、一同は、夕立が去るまでの雨宿りを、旧校舎にてすることに決めた。
色褪せたボロボロのカーテンが窓辺に下がる、比較的綺麗と思えた教室の一つに入って、適当に引き摺って来た使えそうな木製の椅子に腰掛け、暗闇の中、彼等は頭を突き合わせる風にしながら、他愛無い話に興じ続けていた。
そんなことをしていれば、その内雨も止むだろう、と。
しかし、彼等の期待に反し、雨は、何時まで経っても止む気配を見せなかった。
「夕立ちが、本降りになったか……」
「でも……夕立ちみたいな勢いのままだよ、雨」
バラバラと窓や壁や屋根を叩く雨音に、如月は静かに腕を組み、小蒔は少々不安そうに辺りを見回し。
「いい加減、腹減ったなー……」
「……あー、俺、冷凍うどん、キッチンに出しっ放しにして来ちゃった」
大して気にしている風もなく、京一と龍麻は腹具合を気にし始め。
「何て言うかぁ。『雰囲気』ばっちりな感じぃ」
「う〜ふ〜ふ〜。素敵な夜ね〜〜」
舞子とミサは、『余計なこと』を言い出して。
「ふ、雰囲気…………。す、素敵……」
時間が経つに連れ身の強張りを強め、言葉少なになっていた醍醐は、『幽霊さんがお友達』な少女と、超絶オカルト少女のやり取りに、ヒクッッ……、と頬を引き攣らせた。
「折角だから〜、怪談でもする〜? こんな夜に〜この場所で〜こんな風に怪談が出来るなんて〜、滅多にないチャンスだし〜」
「あっ。舞子、やりたいぃ!」
でも、彼から洩れた、ひぃ……、との細やかな悲鳴を無視し、ミサと舞子は、更に『余計なこと』を言った。
「か、怪談……? ここで、高見沢サンとミサちゃんがいるのに怪談って言うのは、流石にボクも一寸怖いけど……、でも、暇潰しには良さそうだねっ」
そんな話の流れに、「あー……」と、龍麻と京一と如月の三人が揃って醍醐へと目を走らせた横で、小蒔が、賛成の挙手をした。
「桜井まで……」
「タイショー。腹括れ。男のくせに、だらしねえこと言ってんな」
「作り話だと思えばいいじゃん。七人もいるんだからさ。大丈夫だって」
「異形と戦うのは平気なのに、何故、醍醐君は幽霊が怖いんだ?」
故に、これはもう少女達の独壇場だなと、生唾飲み込んだ醍醐を宥めつつ、少年達も、小蒔の言葉通り『暇潰し』のつもりで、『怪談でもしよう』に一口乗った。