その日は、雪の酷い日だった。
村へ戻る前に、麓の町にて、或る程度の食料品は買い込んできたし、去年の秋から冬に掛けての浪々の間、小屋の軒下に干しておいた根菜達も無事だったから、数日は、雪の中に閉じ込められても困ることはなかったが。
「ひーちゃん? 寒くないか?」
吹き付ける風雪がガタガタとうるさく鳴らせている木の雨戸を、酷く渋い顔して見遣り、キャンプで拵える焚き火よりは幾らかまし、と言った程度の、竃兼暖炉の火を振り返って、京一は、簡素なベッドに横たわっている龍麻へ声を掛けた。
「んー……、平気ー……。……御免、京一。…………ホントに、何処でこんな酷い風邪、貰って来ちゃったんだろう……」
耳障りにならぬよう、低い声で掛けられた問いに、潜り込んだ布団の中から目許だけを覗かせ、けほけほ咳き込みながら、龍麻はげんなりとした表情になった。
「さてな。この間の、野宿がいけなかったかもなー。無謀だった……かも」
「あれは、用意しといた旅費足りなくなっちゃったんだから、仕方無いよ。結局、予定になかった敦煌の方まで行っちゃったんだし……」
「まあなー……。……春が来れば、こっち来て四年になるってのに。俺達、相変らず計画性がねえよな」
「そんなこと、今更だよ。…………ああ、京一、どーしよー。頭も痛くなってきた……」
「ああ? おい、大丈夫か? ひーちゃん」
パチパチと薪を爆ぜさせている竃兼暖炉に、又、何本か薪を放り込みつつの京一と、熱が出ていると一目で判る、火照った顔の龍麻は、暫し言葉を交わし。
頭痛も訴え出した相棒の容態に、京一は若干慌てた。
──劉を除けば、封龍の一族に連なる者達が、折々に墓参りにやって来る以外、滅多に人の行き来の無い村落跡に、医者などいる訳もない。
麓の町まで下りれば医者はいるし病院もあるが、酷い雪の中、龍麻を連れて麓までは下りられない。
こんな生活だから、一通りの薬は一応確保してあるし、劉や、馴染みになった麓の町の老人達に教えて貰った薬草に関する知識もそれなりにはなったが、冬真っ直中のこの季節、野山に分け入った処で薬草が採れる見込みは少なく、素人目にも酷いと判る龍麻の風邪に、市販の薬が効くかどうかと、京一は不安に駆られた。
「……そんな顔しなくたって、大丈夫だよ、京一。薬、効くと思うし……それに、俺だって丈夫な方だろう? こっち来てからだって、滅多に風邪なんか引かなかったんだから。薬飲んで、大人しく寝てればその内治るよ」
「…………そりゃ……確かにお前も、丈夫な方だけどよ」
「京一には敵わないけどね。京一、俺の何倍も丈夫だもん」
「おう。健康は、俺の取り柄の一つだかんな。…………でも……本当に大丈夫か? つっても、こんな天気じゃ医者も呼んでこられねえから、薬飲ませてやるくらいしか、出来ねえんだけどよ……」
「……大丈夫。ホントに、大丈夫だから。……御免、薬取ってくれる? もう一回、飲んどく」
「…………ん」
だが、あからさまに顔を顰めた京一を宥める風に、心配症、と龍麻が笑いながら告げたので、強がりじゃなきゃいいけどな……、と彼は、肩を竦めながら薬と水を用意し、桶を引っ担ぐと、龍麻の熱を下げる為の冷たい水を取りに、直ぐそこの井戸へ行くべく、小屋を出て行った。
二〇〇二年から三年に変わる、年末年始を挟んだ浪々を終え、ほんの数日前、小屋へと戻るや否や、二人は薪割りに勤しんだから、食糧同様、数日は薪が絶える心配もないが、竃兼暖炉で焚く火と薄い毛布や布団だけでは、龍麻の体は暖まらないのではないか、と。
風雪が激しくなる一方のその日の夜が更け始めた頃、そうっと、京一は眠る彼の顔を覗き込んだ。
飲ませた薬は、効いているのかいないのか、今一つはっきりせず、食欲が湧かないのか、作った粥にも、龍麻は手を伸ばさなかった。
京一が無理矢理、三分の一程度を食べさせはしたものの、もう嫌だと、途中で、不貞腐れるように布団に潜り込んでしまって以来、目も開けなかった。
熱に魘されている風に、時折、苦しそうに微かな呻き声を洩らすのみで。
「ホントに、大丈夫なのかよ…………」
心底心配になって、龍麻の額のタオルを取り去り、京一は、そっと手を当ててみた。
……………………冷たい水に晒したタオルが乗っていた部分だけが、ひんやりと冷めていて、その奥は、未だに熱いと判った。
上手く汗も掻けていないらしく、額に次いで手の甲を押し付けてみた首筋は、火照っているのに冷たかった。
「ん…………」
「ひーちゃん……? 龍麻……?」
「ちょ……っと……寒い…………」
そんな彼が、寝言のように洩らしたのは、寒い、の一言。
「これ以上、火も焚けねえしな……。掛けられるもんは、皆布団代わりに掛けちまったし……。……つーか、このシチュエーションで『寒い』は、あんまりにもお約束過ぎんだろ……」
──呟きを拾い。
酷く酷く顔を顰めた京一は、ガリガリと激しく己が頭を掻き、んー……、と唸った後。
「しょーがねーなー。他に方法、思い付かねえし。今から医者連れに行ったら、俺が遭難しそうだしな」
ブチブチと零し、広いとはお世辞にも言えぬ小屋のあちこちに灯した蝋燭を、半分程吹き消してから、セーターとシャツを脱ぎ捨て、上半身だけ裸になって、ぎゅむぎゅむと、龍麻のベッドに潜り込んだ。
「幾ら相手がひーちゃんでも、男相手に添い寝ってな、ゾッとしねえ……」
………………相手は、龍麻だ。
高校三年の春に出逢った時から数えて、既に四年九ヶ月もの時を共に過ごして来た、喜怒哀楽の全て、みっともない姿や情けない姿、何も彼も、これ以上はないだろうという処まで見せ合ってしまった相手。
無二の親友で、絶対の相棒で、誰よりも、何よりも大事な相手。
……でも、それでも、龍麻は男で、相変らず、『オネーチャン好き』を公言して憚らない京一にしてみれば、事態が事態であろうとも、『男』を自ら抱き込むのは、眉間に皺が寄らざるを得ない状況だった。
「ん……? きょ、いち……?」
「いいから、寝てろって。寒いんだろ?」
「うん……寒い……」
しかし、相手は龍麻、だから。
暖を取る風に、無意識に擦り寄って来た体を、京一はしっかりと抱き抱えた。
朝が来る頃には、少しでも熱が下がってくれていれば良いのだが、と願いながら。