劉の『遠縁も遠縁のおっちゃん等』が彼等に用意してくれたホテルは、広州駅から徒歩数分、広州空港からも車で二十分程度の所にあって、立地としては悪くない地区だ……と、京一や龍麻には思えた。
「いいホテルだね。部屋もいいし。……俺達までお世話して貰っちゃったの、申し訳ないくらい」
「だなあ……。高いんじゃねえ? こういう部屋って」
高層階の部屋の窓から景色を眺め、龍麻は軽くはしゃいで、京一も、くるりと想像以上に広く、良い内装だった室内を見渡したが。
「駅近のホテル、て話は聞いとったけど…………。……おっちゃん等にやられたわ。大方、こないな場所に部屋取ったら、わいがアニキ達連れて、自分等トコ転がり込んで来よるー、とか考えよったな……。誰が行きよるか、ド阿呆」
一人、さっさとソファに陣取った劉は、ホテルを見付けた辺りからしている、渋い顔を崩さなかった。
「何か、悪いことでも?」
「悪いことっちゅーか。……まー、アニキや京はんなら、全然問題あらへんのやろうけど……。……あんな、この街には三元里っちゅートコがあんねん。このホテルの直ぐ裏辺りや。アヘン戦争ん時の記念碑とかもある有名なトコなんやけど、三元里は、新宿の歌舞伎町みたいなトコやねん」
「歌舞伎町? この裏がか?」
「そうや。歌舞伎町より、よっぽど質悪いトコや。無法地帯て言われとる、悪名高いトコで、売春も麻薬も賭博も、公然みたいな場所や。……やから、気ぃ付けてな? 特に、アニキは気ぃ付けや?」
ムスっとしたまま、劉は、代わる代わる問い掛けて来る彼等に、このホテルの何が気に入らないのかを教え、必要以上の真顔を作り、龍麻をじっと見詰めた。
「え、俺?」
「気を付けるに越したこたぁねえだろうけど、劉、お前だって充分過ぎる程知ってんだろ? ひーちゃんの強さ」
そんな彼の態度を、二人は揃って訝しむ。
「その辺ウロウロしとんのがチンピラだけなら、わいかて、こないなこと言わへん。黒手党※のおっちゃん等おっても、心配なんぞせえへん。アニキ相手に、するだけ野暮やしな。………………あんな」
「……うん」
「おう……」
「顔見せに来い言うて来たん、遠縁も遠縁のおっちゃん等やて、言うたろ? その意味、自分等解っとる?」
「意味……? 劉の、親戚ってこと……だよね? 遠縁だけど」
「…………やっぱり、解っとらんかったか……。…………遠縁も遠縁やけど、おっちゃん等、わいの一族の遠縁やで? 封龍の一族の遠縁やで? そないなおっちゃん等が、この街におるんやで?」
「……あーーー………………」
「別に、他意はないんよ? 広州行くん付き合うてや、って言い出したんは、アニキと京はんの三人で春節祝うのもええな、て思うたからや。……そりゃ、アニキのこと、白々しく話に出して来よったおっちゃん等に、どないしたかてアニキに会いたい言われてもうたら、わいには嫌とは言えんから、念の為の保険っちゅーか、そないな意味で付き合うて貰お、て思ったんも正直なトコやけど。無理矢理面通しさせよとか、そないなことは考えとらんよ?」
「…………うん。それは、判るよ」
「そやけどな、今言うた通り、ここはそないなお人等がおる所や。どないな話が転がってても、不思議やないねん。未だに、アニキには実感湧かんかも知れへんけど、アニキは、そないな世界のお人等の間では、『有名人』やねん。どないに隠し通そう思うても、アニキが黄龍の器やとか、オノレん中に黄龍を封印しとるとかっちゅーことは、そないな世界の連中には、簡単にバレんねん。ちゅーか、バレとんねん、疾っくに。…………あー、もうこの際やから、今までせんへんかった話とか、きっちりしとくわ」
聞かせたことに、不思議そうに首を傾げながら耳貸すのみの二人へ、劉は、やれやれと頭を掻いて、本腰を入れ、『物騒な話』を始めた。
「今まで、アニキ等にきちんと話さんかったんは、余計な気ぃ遣わせんのもと思うてやったん。やけど、ホンマ、この際やから。──……アニキかて理解しとるやろうけど、龍脈や龍穴の力の価値を判っとる連中には、アニキの存在自体、お宝以上のモンなんよ? アニキのこと、欲しがっとるんよ? アニキを手に入れるっちゅーことは、アニキの力を手に入れるっちゅーことで、そしたら、世界や歴史かて、手に入れられるっちゅーことやから。……そないなことを、ホンマに夢見とる連中かて、実際におるんやで?」
「………………想像は、出来る……よ。今まで、敢えてしなかったけど……。うん、出来る……」
「やったら、ええけど……。……中国来てもう直ぐ四年になろうかっちゅー今になって、急にこないな話されても、アニキも京はんも、戸惑うかも知れんけどな。今まで何の事件も起こらんと、平和やったから、特に。そやけど、そろそろこないなこと、きちんと考えた方がええんちゃうかなって、わいは思い始めたんや。新宿で、異形のモノと戦っとったあの頃は、わいも、アニキも京はんも、他の皆かて、アニキが黄龍の器やっちゅーことと、アニキの一部になりよった黄龍を眠らせ続けることだけで、頭一杯やったけど……そっちの方は心配なくなったやん?」
「うん…………。判る。判ってるよ、劉の言いたいことは、判ってる。俺も、昔よりは多少、しっかりして来たと思うし、京一もいてくれるし、劉だって皆だって、もしも何か遭った時には、手を貸してくれるって言ってくれてるから。そっちの心配は、俺は疾っくの昔からしてない」
「そやな。……やからな、アニキ。京はんも。これからは、今言ったようなこと、気ぃ付けていかなあかんと思うねん」
「………………そうだね」
「そないな訳やから。『そーゆーおっちゃん等』がおったり、『そーゆーおっちゃん等にちょっかい出すアホンダラ』がうろちょろしててもおかしゅうない、この街の魔窟には近寄らんといてな? な? アニキ。京はんもやで? アニキ程やないにしても、京はんの名前かて、いけ好かん噂に上ることあるさかい。揉め事が起こりそうな場所は避けたって?」
「……ああ。判った」
「大人しくしてるよ、劉の言う通り」
物騒な話を懇々と語って聞かせた劉は、話に応えを返しつつも顔色を曇らせた龍麻と、ひたすら黙って耳峙てていた京一の二人を代わる代わる、じーっと見遣り、念を押すと、彼等より頷きが戻るのを待って、漸く、にへらっと笑った。
「ほなこれで、嫌な話は終いや。──ちょお早いけど、夕飯行こ? わい、いい店知ってんねんー。広東料理の店やねーん」
「え。……専門店? 高くない?」
「そないなことあらへんって。美味くてリーズナブルや。大阪人でも、文句付けへん!」
「……お前は、中国人だろーが」
「京はん、細かいことは言いっこなしや。……あっ、そうやっ! 今日はラーメンはあかんでっ。今日くらいは、ラーメンのことは忘れてや、京はんっ!」
「お前、ラーメンを冒涜する気かっ?」
「そうやないけどっ! 放っとくと、京はん必ず、わいとアニキ巻き込んで、麺類食らうんやもん。いい加減、辟易するわ」
「あー、それは言えてる……。幾ら好きでもねえ、ラーメンばっかりじゃ、飽きる。うん、飽きる」
少々締まりのなかった劉の笑みのお陰で、重さを感じる程堅かった部屋の空気は簡単に解れ、夕餉とラーメンに関する口先バトルを繰り広げながら、彼等は、夜の街へと出掛けた。
※ 黒手党=マフィア