そこを潜れば、と彼女が指差したのは、門であるらしかった。

城門、と龍麻の目には映った、煉瓦造りの、重厚で、とても短いトンネルとも思えるような。

それを見上げ、本当に、この向こうに駅があるのだろうかと疑いはしたが、狭い路地はこれで終わりなのか、門の周辺は開けているように見えたので、酷くなる一方のむかつきに耐え、彼は門を潜り抜けた。

………………だが、不安と予感が示していた通り、城門のようなそこを抜けた先に、広州駅はなかった。

「……駅があるようには、見えませんけど?」

「…………駅はないわ。でも、ここが終点」

気持ち悪い、吐きそうなくらい気持ち悪い、と頭の片隅で考えることを止められぬまま、龍麻は、急く余り、追い抜かしてしまっていた彼女を振り返り。

門を抜けた直ぐそこで立ち止まった彼女は、艶やかに笑った。

「終点、ね。ここが? どうして?」

美人が、こういう風に凄んで笑うと迫力満点、との感想を抱きつつ、彼は無表情で問う。

すれば彼女は、すっ……と立てた指で、門を象るアーチの上を差した。

──見上げたそこには、『迎龍』と彫られた石の板が嵌まっていた。

「迎龍……?」

「そう。……この街──三元里は元々、城砦だった。この門は、大昔に築かれた城門。風水の理に則って築かれたこの街を貫く、龍脈の入口。龍を迎える為の門。…………貴方は私に連れられ、知らぬまま、龍の通り道を逆に辿って、龍を迎え入れる為の門から、『外界』へと出た。──気持ち悪いでしょう? 胸を掻き毟りたくなるくらい、気分が悪いのではなくて? ……貴方だからこそ、なのだけれど。……今の今まで気付かないなんて、今生の黄龍の器も、大したことないのね」

眉を顰め、彫られた文字を読んだ龍麻へ、彼女は又笑った。

「…………何を、知ってる?」

「貴方が、緋勇龍麻であること。黄龍の器であること。その身に、黄龍を抱いていること。……それを、知っているわ。……でも、貴方は何も知らないみたいね。私のことは勿論、貴方自身の『今』も」

「『今』?」

「氣は風に乗ずれば散じ、水にへだてられれば即ちとどまる。古人は是をあつめて散ぜしめず、是を行いて止めるあり。故に、是を風水と云う。……その理に則って、この古い街は、地を這う龍の力を正しく招くべく築かれた。貴方は黄龍でありながら、その流れに逆らって、貴方自身の力の中を進み、入口と出口を違えた。貴方の為の正しき流れに、貴方自身が逆らうことは、己の力に自ら焼かれるに等しいわ。貴方──黄龍にとってはね」

「……君は……何者?」

「貴方の正体と、黄龍の力を知っている者よ。……『私達』は、貴方が……いえ、黄龍が欲しい。黄龍の力は、この世に神仙峡すら築き上げられる程のものだから」

「神仙峡、ね。……そんなものに、俺は興味は無いよ。それに……この程度のことで…………」

笑いながら語る彼女へ、龍麻は平静を装い言って、すっと、構えを取った。

「そうね。この程度のことで、黄龍を手に入れられるとは思ってないわ。でも、貴方の中の黄龍を呼ぶには充分」

「…………どういう意味、かな」

「……貴方、何処まで無知なの? 貴方は黄龍でありながら、風水の理を破ったのよ。そうして、自らの力に焼かれた。……その所為で弱まってしまった貴方自身を、貴方は……いえ、貴方の中の黄龍は、どうしようとするのかしらね? 弱まった貴方を補おうとするのが道理よね。今生の器の死は、今生の黄龍の死なのだから」

「そうなったら……どうなると?」

「………………さあ? どうなるかしら?」

無表情のまま、掻き毟りたい程の苦しみを抱えているとは到底信じられぬ、綺麗な構えを取った龍麻を眼前にしても、彼女は臆することなく、一歩、彼へと近付いた。

「護人と、分かれたりしなければ良かったのにねえ」

「……っ。何時から、俺のことを見ていたっ」

「最初からよ。黄龍の器がこの広州にやって来たと、貴方の義弟のご親戚の所で、勝手に教えて頂いてから、ずっと」

「それは又、随分と気長なことでっ! ──拳底・発剄っ!」

近付くことを止めぬ彼女を、龍麻は、発剄で吹き飛ばしてしまおうとした。

平気な顔を作ってはみたが、気分の悪さも、むかつきも、一層酷くなるばかりで、体は痛み出し、きしきしと音さえ放ち始めたから、長期戦に傾れ込むのも、この場で決着を付けるのも無理だと踏み、発剄で吹き飛ばした隙に、元来た道を戻ろうと考えた。

黄龍の通り道の流れに逆らい、入口と出口を違えた為、自分がこうなったと言うなら、入口を潜り、正しく道を辿って出口を出れば、元に戻る筈だと。

……だが、龍麻の放った発剄を、彼女は懐から取り出した、一枚の符のみで防いだ。

「え……?」

「私が、何も持たずに黄龍に立ち向かう馬鹿に見えて? 言ったでしょ? 私達は、貴方よりは黄龍を知っているわ。龍を封ずる秘術は、何も、貴方の義弟一族だけのものじゃないのよ。やり方は違うでしょうけど。この国の龍穴は、封龍の一族の里だけにある訳じゃない。……広いもの、この国。その分、龍穴だって、沢山……ね」

そうして。

龍麻の放った氣を相殺する代わりに溶けた符によって焼かれた手で、彼女は再び、似たような符を取り出し。

「さあ、出て来なさい、黄龍っ!」

それを、龍麻へと突き付けた。

三元里の細い路地を、京一と劉は駆けていた。

「この道、何処まで続いてんだ……?」

「さあ……。わいもよう知らんけど……でもそろそろ、街の反対側に出るんちゃうかなあ……?」

迷路のような細い路地は、何処までも続いているような錯覚を、焦る二人に与えて来て、少ないとは言え、往来が全くない訳でもない通りの直中で、駆けながら、京一は竹刀袋の中より刀を取り出す。

「今から、光り物かいな……」

「当たり前だっ。いざって時に、悠長なことしてられっかっ」

左手に握り直された彼の得物を横目で見遣り、人目があるのに……、と劉は溜息を吐き、が、己も、背に負った青龍刀の柄へと手を伸ばした。

「…………あ」

「今の……」

「間違いない、ひーちゃんの氣だ。──劉っ!」

「判っとるがなっ。直ぐそこのようやしっっ」

すれば、彼等の支度が整うのを待っていたかのように、視界に映り出した大きな門の向こう側から龍麻の氣が放たれるのを感じ、彼等は門を抜け、開けたそこへと躍り出る。

「ひーちゃんっ」

「アニキっ!」

──探していた彼を呼び、踏み込んだ先には。

両膝を折り、石畳の上に踞る龍麻と、彼の胸許に、紙切れのような物を押し付けている女がいた。

「……てめぇっ。龍麻に何してやがるっ! 離れろ、今直ぐっ!」

その光景を前に、京一は、問答無用で刀を抜いた。

「誰や、おんどれっっ!」

劉も、青龍刀を抜き去り、女へと構え。

「……護人……。……間に合わなかったのね」

現れた二人を振り返った女は、悔しそうに言い捨てると、龍麻に押し付けていた紙切れ──符を握り込み、小さく丸め、ぐいっと龍麻の頤を乱暴に持ち上げて、無理矢理開かせた口の中に押し込んだ。

「離れろっつってんのが判らねえのかっっ!」

それを見て、斬り殺すのも厭わぬと、京一は刀を振り上げたが、女は、龍麻の両肩を掴み、盾の如く、彼の体を京一の方へと押し出しつつ、押し込まれた符を吐き出そうとする龍麻の唇を、咄嗟に己の唇で塞ぎ、舌をも絡め、強引に符を飲み込ませた。

「何処の阿婆擦れ女だ、てめえ……っ」

龍麻の背が眼前に迫ったのに気付き、剣先を何とか逸らし、右手のみで柄を握り直した京一は、左手で、龍麻の体を引き寄せようとした。

女は、彼の手の動きに合わせ龍麻の体を突き飛ばし、勢いの付き過ぎた体を京一が支える間に、何処へと駆け出し。

「京はんっ。アニキ頼む! わいは、あいつを追っ掛ける!」

それを、劉は追い。

「龍麻っ。大丈夫か? 龍麻っ!」

力無く縋って来る体を、京一は抱き上げた。