「自分の体のことだから、自分が一番よく判るよ」

天井から視線を外し、困った風に笑い、龍麻は二人を見た。

「体? ……どういうことだよ、ひーちゃん」

「彼女は、俺が弱まれば、黄龍はそれを補おうとするって言った。俺の中の黄龍を呼ぶには、それで充分だって。……黄龍に向かって、出て来いとも叫んでたから、俺が飲まされた符は、黄龍を呼び覚ます為の呪物だったのかなって、今の今まで思ってたけど……あの符が出る前に、黄龍が目覚める条件は整ってたんだから、符の役割は、きっと別にあるんだよ。彼女が言った、『出て来なさい』の一言は、符の力で目覚めて出て来い、って意味じゃなくって、符の力で俺を『眠らせる』から、出て来いって意味だったって考えた方が、筋は通ると思うしね」

「……まあ、な。でも、それが正解かどうかは、判らねえじゃねえか」

「…………だから言ってるじゃん。自分の体のことは、自分が一番よく判るって。……火傷の治り、有り得ないくらい早かったろう? そりゃ、黄龍と『同居』するようになってからこっち、俺の怪我の治るスピードは尋常じゃないけど、それにしたって。……だから、俺も、二人も感じた通り、黄龍は起き掛けてるんだよ、確実に。なのに、あれからもう一時間近く経つけど、今でも俺は、体の中から何かを吐き出しちゃいたくて仕方無いくらい、気持ち悪い。多分、一時間前より悪くなってる。……俺を補う為だけに、黄龍が起きようとしてるなら、俺の吐き気とか気持ち悪さとかは、時間と共に、軽くなってく筈だよね。でも、そうはなってない」

「………………アニキ。京はん。わい、おっちゃん等のトコ行って来よる。何ぞ判るかも知れんし。アニキの推測が正しいか間違ごてんねんかも、教えて貰えると思う。おっちゃん等が、あのボケの正体知っとれば、符術の系統も判るし、それが判れば、術の解き方も判るやろし」

唯、一寸困ったことになっちゃったね、とでもいう風に笑うだけの龍麻を、深い息を吐きながら劉は見て、出来ることをする、と外出の支度を始めた。

「一人で大丈夫か?」

「平気や。京はんやアニキこそ、平気か? こんなことになってもうたから、余り分かれて動きたくないんやけど、そうも言ってられん。何とか、朝……遅くとも、昼までには帰って来るようにするし。…………アニキ、苦しいやろけど、耐えてな。大事しとってな。京はん、アニキのこと、頼むわ」

「…………誰に言ってんだ? その科白」

今は、己に出来ることをするしかないと、懸命になりながらも、内心は不安だらけだろう劉のそれを、少しでも取り除ければと、京一は、支度を終えた背へ、不敵に笑いながら言い切ってやり。

「そうやな。京はんやもんな」

刹那、何を思い出したのか、ああ……、と頷きながら、少しばかりの安堵を浮かべ、劉は部屋を出て行った。

「……ひーちゃん。大丈夫か……?」

「うん……と言いたいトコだけど、御免、正直判らない……」

──又、二人きりになった部屋の中で。

京一は、龍麻の髪を撫でてやり、龍麻は、目を閉じながら溜息を付いた。

「一寸待ってろ、ひーちゃん。結界を張る」

当人の申告通り、この部屋に戻って来た時よりも悪くなっているように思える龍麻の顔色を見て、京一は立ち上がり、取り出した刀を抜き去り、柄を逆手で握ると、床へ突き立てた。

瞼を閉ざし、刀へと心を傾けた彼が何やらを呟けば、刀身は幾度か独りでに震え、透明感の強い、青い光を生み出して、生まれた光は、ベッドの周囲を覆い始める。

「どうだ? ちったあ違うか?」

暫しの間、京一はその姿勢を保ち、呪も唱え続け、室内の空気に、透明な青い光が全て滲んでやっと、龍麻の枕辺に戻った。

白刃は晒したまま、サイドテーブルに立て掛けて。

「…………あ、うん。さっきよりはずっと楽。有り難う、京一」

「何言ってんだ、当然のことだろ?」

先程と同じく枕辺に腰掛け、再び髪を撫でてやれば、龍麻の肩の力が抜けたのが判って、京一は目を細めた。

「……………………京一」

「何だ? ひーちゃん」

「御免……」

「…………それは、何の御免だ?」

「……色々」

しかし、結界によって体が楽になった分だけ、心の方に、別の何かが伸し掛かったらしい龍麻は、瞼を伏せたまま、京一に詫びを告げ始め、安堵の念で細められた京一の瞳は、剣呑によって細められたそれへと変わる。

「色々、じゃ判らねえよ。第一、お前は何にも悪くねえだろ」

「でも……色々、御免…………」

京一の瞳が、安堵から剣呑へと移ったように、声音も、それまでより強張ったことに龍麻とて気付いたが、それでも彼は、詫びることは止めず。

「久し振りに、下らねえドツボにでも嵌まったか?」

一度だけ天井を仰ぎ、肩を落として吐息を吐いて、京一は、靴だけを脱ぎベッドへと乗り上げ、ベッドヘッドに寄り掛かると、龍麻を背中から抱き抱え、自身の胸に凭れさせた。

「京一?」

「この方が、楽じゃねえかと思ってさ。俺の氣は、お前には薬代わりにもなるみてぇだからよ」

「そうだけど……」

「だから、こうしててやるよ」

「…………アリガト」

抱き込まれた時、僅か、龍麻は身を強張らせたが、大人しくされるままになり、だから二人は暫し、口を噤んで。

「……ひーちゃん。白状しろ」

でもそれを、やはり駄目だと、京一が破った。

「何?」

「白状しろよ。……さっきのは、何への『御免』なんだ?」

「………………色々」

「…………いいから言えって。白状しちまえ。……ひーちゃん。…………龍麻」

「……本当に、色々だよ。我が儘言って、一人になって、その所為でこんなことになったから。それへの御免、でもあるし」

「他には? それだけじゃねえんだろ?」

「……………………後は……後の『御免』は、俺の気分の問題。俺が嫌だから、謝りたかったんだ」

「だから。何を」

「……あの女に、キスされたこと……。………………京一は、そんな風には感じてないんだろうし、別に、好きだの嫌いだので、あんなことされた訳じゃないけど。俺が嫌だったんだ……。理由は何であれ、京一の目の前で、あんな女にキスされて……だから…………。……御免。こんなこと打ち明けて、御免、京一…………」

「…………謝らなくていいから。言いたいことあるなら、洗い浚い言っちまえよ」

「……………………。…………嫌、だったんだ。本当に、どうしようもなく嫌だったんだ。京一の名前叫びたくなる程、キスされたのが嫌だった。あんなのでも女で、しかも美人で、なのに、嫌で嫌で堪らなかった……。京一以外の誰かに……って、そう思ったら、もう駄目だった。高がキスなのに。それだけのことなのに。……俺…………俺……。……京一、俺は………………っ」

────今、沈黙を保ち続けることは、『平安』だ、と知っていたけれど。

どうしても黙っていられず、御免の意味を京一が求めたら、龍麻は、泣きそうな声で、求められた、御免の意味を吐き出した。

「そう、か……」

「……うん…………」

だから京一は、龍麻を抱く腕の力を強めながら、天を仰ぐ風に僅か頤を持ち上げ、ゆっくり瞼を閉ざす。

誕生日の夜が過ぎ、龍麻が得た『答え』は、やはりそうなのだ、と。

友愛よりは、恋愛を。

愛してる、の一言を。

龍麻は己へ、求め始めている、と。