夕べから眠ることなく動き続けている広州の町の朝が終わっても、劉はホテルに戻って来なかったが、当人から、やはり戻りは昼頃になる、と連絡が入ったので、彼の心配をする必要は無くなったかな、と龍麻は、朝食を摂り終えた後、再び眠ってしまった。
京一も、うたた寝したり起きたりを幾度か繰り返し、丁度正午となる頃、やっと眠気が綺麗に晴れたと、未だ眠っている龍麻の顔を眺めながら、昼飯、どうすっかなー……、とか何とか、ソファに腰掛け暢気に考え出した。
「ただいまー。わいやー」
と、そこへ、昼頃には、と言った劉が戻り。
「……お疲れさん。どうだった?」
ドアの向こうの人物の氣と気配が、確かに劉であるのを確認し、京一はドアを開けた。
「まあまあ。そないに急かさんと」
細めに開けられたドアから、するりと身を滑らして部屋に入った劉は、へらっと笑いながら、上衣だの得物だのを室内の片隅に投げ、廊下側のベッドに寝ている龍麻の様子を、ちらり窺う。
「…………アニキ、寝てんねん?」
「ああ。朝飯食って、又寝ちまった」
「そうか。ほな、今の内や。…………京はん、ちっとばかし」
自分が戻ったことに気付かぬ程、龍麻は深く寝入っていると知って、それまでの軽い調子を消し、声を潜め、手で、ちょいちょいと招き寄せた京一と共に、バスルームに籠った。
「……………………何だ? 劉」
「……おっちゃん等に、話、して来た」
「…………ああ」
「あんま、ええ話、聞けへんかった」
「……それで?」
浴槽の縁に腰掛け、自身の足許を見下ろす風にしながら言う劉へ、京一は、ドアに凭れて腕を組み、続きを促す。
「………………正直な。正直……わいは、おっちゃん等の話、アニキには聞かせたない。けど、アニキ自身に関する話やから、アニキにせぇへん訳にはいかんやろ? どうしたらいいんやろって、思うてしもて……。今は、京はんとわいの胸ん中だけに留めといて、暫くして落ち着いてから、改めて、アニキに話すんのがええのか、それとも、今日の内に話す方がええのか……」
「……ごたごたが片付いて落ち着いた頃、改めてひーちゃんに話すにしても、ひーちゃんが起きたら話しちまうにしても。お前が言い辛いんなら、俺が言って聞かせる。だから、取り敢えず、お前の親戚の話を聞かせろ」
「そやけど……ほな、京はんに申し訳へん」
「いいから。あいつには、俺が言って聞かせるから、とっとと話せ」
それでも劉は言い渋り、彼のその態度に、どれ程に深刻な話なのだろうと思いながらも、京一は腹を括った。
「そうか。やったら…………。……あんな」
「……一寸待て、劉」
「何でや?」
「無駄、みたいだ。ひーちゃんが起きた気配がする」
「………………そうか……」
しかし、結局。
「おーーい。京一? トイレ?」
京一が逸早く察した通り、目覚めてしまったらしい龍麻は、コンコンと、バスルームのドアをノックして来て、京一と劉の二人だけの話し合いは、早々に打ち切られてしまった。
「……龍麻」
『夜』を共にした彼の姿が見当たらなかったことに不安を覚えたのか、自分を探す龍麻を、凭れていたドアを開け、厳しい表情を隠しもせず、京一は呼ぶ。
「京一? どうかした? そんな怖い顔していきなり龍麻とか呼ぶし。……って、あれ? 劉? 戻ってたんだ。お帰り。…………二人揃って仲良くトイレ、なんてこと……はないよね。……何か、遭った?」
「一寸、こっち来い」
怖いとも言える顔付きで、龍麻と呼び掛けてきた彼と、彼の肩の向こうに見えた義弟の雰囲気に気付き、眉を顰めた龍麻の二の腕を掴んだ京一は、ベッドへと戻った。
「劉がな。遠縁の連中としてきた話、な。余り、良くない話だったらしい」
……戻ったそこへ龍麻を座らせ、己も並び腰下ろし、落ち着かせるように、ゆっくり、彼は言い聞かせ始める。
「…………そっか」
「どんな話だったのかは、俺も未だ知らねえ。これから、聞く。……お前と一緒に、俺も聞くから。落ち着いて聞け、お前も。……いいな?」
「うん。大丈夫だよ、京一。ちゃんと、劉のしてくれる話、聞けるからさ」
この直後、どんな話を聞かされるにしても、決して、龍麻にとって良い方には転ばないのは目に見えているからと、龍麻の両肩を掴み京一が言えば、龍麻は、大丈夫だと頷き、傍らに寄って来ていた劉を見上げた。
「……俺は、平気だからさ。劉、話してよ」
「………………判った。何ぞ話したらええんか、判らへんけど……。──夕べのこと、おっちゃん等に話してみた。あの女の素性は、アニキの想像で、ほぼ正解やった。……話、長くなってまうけど、ええ?」
その眼差しを受け、京一へと視線を送り、確かに返された頷きを見て、思い切ったように、劉は話し始めた。
「構わないよ」
「この国の龍脈の全ての源は、太祖山やて言われとる。実在する地名で言うたら、崑崙山脈や。そこから、龍脈は三つの流れに分かれて、中国大陸を東に向かって横断するっちゅう訳や。わいの一族の里の龍脈は、三つの流れの内の、南龍言う、揚子江の南を貫いて、台湾まで届く龍脈に属しとるんやけど、あの女は、北龍言う、黄河の北部を通って、朝鮮半島に向かう龍脈に属しとる、黄河の上流にある龍穴の里の一族らしいねん。……あの辺は、神様になりよった仙人が住んどる言われとる方の、崑崙山伝説がしぶとうて、不老不死の伝説も信じとる奴等も多いんや」
「不老不死? 不老不死……って、あの不老不死?」
「不老不死に、『あの』も『その』も、ない思うで? アニキ。……ま、要するに、あの女等は、黄龍を手に入れることが出来よったら、不老不死の夢も夢やない、とか何とか思うとるみたいで、唯、黄龍の力を封じるのが使命のわいの一族とは、えろう折り合い悪いんやってのが、おっちゃん等の話やったな。今までも、何ぞに付けて、やりおうて来たらしいわ。わいは知らへんかったけど」
「……ふうん…………。不老不死、ねえ……。まあ、あれだけの美人なら、不老不死の夢見る気持ちも判るけど……」
「お前が、感心してる場合じゃねえだろ」
話し続ける劉の口から、思いも掛けなかった、『不老不死』の単語が飛び出て、へぇ……、とうっかり龍麻は呻きながら頷き、馬鹿野郎、と京一は彼の頭を引っ叩いた。
「せめて、明るい雰囲気で話聞きたかったから、素直に感心してみたのに、何で殴るんだよ」
「幾ら俺が馬鹿でも、ボケる時と場所くらいは選ぶぞ。──劉、いいから続き話せ」
「…………そやな。……あー、でもな、あのアホンダラの素性がどうとか、わいの一族といがみ合ってきたとか、そんなんは、あんま重要やないねん。アニキのことバレたんは、自分等のトコからやからって、向こうの居場所は、おっちゃん等が探し出す言うとったし、アニキや京はんさえ構へんやったら、落とし前もきっちり付けるそうや。………………やからな。問題は、こっからやねん……」
龍麻の取った態度と、京一の突っ込みの所為で、張り詰めていた空気は飛び掛け、この雰囲気のまま話を続けられたらどんなに良いか、と思いながら、劉は一層、声を潜めた。