潜められた劉の声が耳に届くや否や、京一も龍麻も、すっと面より色を消した。
「…………その……結論から言うてまうとっちゅーか……結論しか言えへんっちゅーか…………。この術がどうでこうだから、とか、そないなこと、長々喋れたら、未だ良かったんなんやけど。言えること、あんまないねん…………」
表情を失くした二人を前に、劉は口を動かしながら、少しばかり泣きそうに顔を歪めた。
「言えることがない? そんな筈ねえだろ?」
声を、顔を歪めつつ言う劉に、京一は噛み付いたが、彼の風情は変わらず。
「やからな…………。おっちゃん等に色々訊いてみたんやけど……『多分、もうどうしようもない』っちゅーんが、答えやった……」
「……御免。劉、それ、どういう意味?」
「あの符を、アニキは飲み込まされてしもたやろ? やから、あれの正体を、今は確かめようがあらへんから何とも言えんけど、おっちゃん等は、あの女がアニキにしたろと思うたことは、大体、アニキが言うとったんが正解ちゃうか、って。…………黄龍の器に、ホンマに黄龍が宿ったらどないなるか、わいの一族もホンマの処は知らんのや。何も彼んも、想像でしかないんや。そないなことが起こった例を、わいも、おっちゃん等やって知らんのや。でも……アニキが言うとったことは筋が通っとるし、昨日のアニキの科白やないけど、自分の体のこと、一番判るんは自分やから、アニキがそう感じとるなら、そうなんやろう、て。………………やからな」
そこで、劉は一旦言葉を切って。
「……うん」
「アホンダラ共ふん捕まえて、あの符の力を消すにはどうしたらええか白状させられれば、話も明るくなるやろけど、そんな方法何処にもなかったら、諦めるしかない、て。起き掛けの黄龍と、何とかして折り合い付けて生きてくしかない、やて……」
「……今までと、あんまり変わらなそうだけど。多分、簡単なことじゃないんだろうね」
言葉を切った後、少々早口で劉が告げたことへ、成程……と、龍麻は一つ、溜息を零した。
「……そやな。…………並大抵のことやない。アニキん中に封印されとる筈やのに、常に起きようとしとる黄龍を抑え込むんは、アニキでも、しんど過ぎる思う。今までよりも遥かに簡単に、一寸した切っ掛けで起きてまうんやろう黄龍を、それでも抑え込まなあかん。そやけど、何も彼んもが、アニキが考えたり、感じた通りやったら、それだけしんどいこと続けても、あの符の力を何とか出来へん限り、何時かアニキは、黄龍の代わりに『眠って』まうかも知れへん。あの、陰の器だった少年みたいになってまうかも知れへん。そうなっても、防ぐ手立てはあらへん………………」
龍麻の溜息に釣られたように、劉も、深い深い、息を吐いた。
「……………………例え、そうだったとしても。そんなこと、俺がさせねえ」
でも、京一は、傍らの龍麻の手を強く握って、低く言い切った。
「京一……」
「京はん……」
「半寝惚けの『あいつ』だろうが何だろうが、眠らせ続ければいいんだろ。それでも『あいつ』が起きて、お前が眠っちまったら、俺が何度だってお前を叩き起こしてやる。一度出来たことが、二度出来ない筈はねえ。何回だって、何十回だって、同じことしてやるよ。『あいつ』が起き続けようとするのも、符がお前を眠らせようとするのも、どうしようもないってなら、それはそれでいい。受けて立つまでだ」
「……京一、でも、それって、さ」
「でももへったくれもねえだろ。……龍麻、お前もそんな顔すんな。そんな、思い詰めるような顔。海越えて中国まで来て、四年近く、お前だって修行して来たじゃねえか。……まかり間違って、お前が眠っちまったら俺が叩き起こしてやるから。お前は、『お前』でいることだけを考えろ。あんな札一枚で、陰の器だったあいつみたいに、何も出来ないまま、お前が自分を失くしちまうことなんて、早々あって堪るか。お前が『お前』でいようとすれば、お前は『お前』の筈だ。絶対。……それでも不安だってなら、俺が、氣でも何でも使って、お前を『お前』のまま、何処までも引き摺ってってやる」
「………………あの、さ。京一。……『そうなる』かも知れなくても、どうしようもない、ってことは。諦めるしかない、ってことは、さ。俺が、死ぬまで、ってことだよ。死ぬまで、どうしようもなくって、諦めるしかなくって、死ぬまで俺は、起き掛けの黄龍と、何とかして折り合い付けて生きてくしかない、ってことだよ。…………死ぬまで。一生。それが続くよ?」
強い力で握ったまま離そうとしない京一の手を、握り返すこと出来ぬまま、言い切り続ける彼へ、龍麻は強い口調で言った。
「何度も、死ぬまで、とか言ってんな。……言われなくっても解ってる」
「それに、付き合うって?」
「だったら、どうだってんだよ」
「……お前の一生が、それでいい訳ないだろ」
「そんなの、お前が決めるこっちゃねえ。俺の一生は、俺が決めることだ」
「でも、俺の言うことくらい聞いてくれよ。俺が問題の中心なんだから」
「例えお前でも、俺自身が決めることに、口挟む余地はねえぞ」
「…………っ。俺は、俺の所為で、京一の一生が滅茶苦茶になるのなんか御免だっ!」
「ほー……。お前は何時から、そんなに物覚えが悪くなったんだ? 龍麻。夕べ、俺が何つったか、憶えてねえのかよ」
「夕べは夕べ、今は今だろうっ? 夕べは俺も京一も、このこと知らなかったじゃないかっ。でも今はそうじゃないっ。だから──」
「──だから何だってんだっ。知っちまったからって、何がどう変わるっ!? 変わりゃしねえだろうがっ! 俺の人生がどういうモンなのか、俺が俺の人生をどうしたいのか、お前は知ってんだろうがっっ!!」
「…………あの……アニキ? 京はん?」
龍麻の言葉を撥ね除ける京一の言葉も、彼同様強く、言い争う声音は大きさを増していき、やがて怒鳴り合いとなったので、恐る恐る、劉が口を挟んだ。
「しゃあない思うけど、落ち着──」
「──劉っ! 席外せっっ!」
「……判った。そやけど、殴り合いはせんでな? 一時間くらいしたら、戻って来よるから……」
だが、京一の鋭い一言と視線に遮られ、酷く躊躇いつつも、彼は部屋を出て行った。
「……龍麻」
パタリ、静かにオートロックの扉が閉まる音を待ち、声のトーンを何とか落とすと、京一は改めて、傍らの龍麻へ向き直る。
「京一は、これっぽっちも譲る気なさそうだけど。俺だって、譲る気はないよ」
掴まれ続けていた手を振り払い、龍麻は、強く京一を見返した。
「…………龍麻」
「離れられなくなったら、一生離れなきゃいいって、夕べ京一は言ってくれたけど。……俺は、嫌だ。離れられなくても離れる。俺の所為で、京一の人生がぐちゃぐちゃになるのも、馬鹿馬鹿しい苦労背負い込む羽目になるのも、俺は嫌だ。俺が耐えられないっっ」
「だから。俺の人生を決めるのは、俺だっつってんだろうが。何が苦労で何が苦労じゃねえかも、決めるのは俺だ。お前がどう考えようと、どう思おうと、どうしようと、俺は、お前から離れる気はねえよ」
「……………………何で……?」
「夕べも言った。昔から言い続けてる。俺にとって、お前が『お前』だから。誰よりも、何よりも大事な奴だから、お前の背中とお前自身を護る為に毎日を過ごして、お前を護り通すと思ってるから。……俺は、お前以外の絶対の存在は要らない。俺の背中も、俺自身も護り通してくれるのは、お前だけだ。……龍麻。お前はお前の所為で、俺の人生がぐちゃぐちゃになるっつったけど。お前だって、こんな俺に一生付き合うんだぞ。いい勝負じゃねえか」
射るように見返して来る、深い黒い瞳から、京一は、一歩も引かなかった。
「…………そうじゃない。そうじゃなくて……っ。……俺は、お前が好きなんだ……。好きなんだよ……。お前のことが好きだって、俺は気付いちゃったんだ……。そんな俺に、京一のこと、一生縛り付けとくような真似…………」
「俺だって、お前のことが『好き』だ。惚れてるよ。何の問題があるんだよ」
「そうじゃ、なくって……………………。…………京一、は…………」
────何時だって退くことを知らない京一を、それでも退ける一言を、龍麻は知っていた。
けれど、どうしても彼には、その一言を告げることが出来ず、言い淀み、俯いた。
「………………龍麻……」
龍麻が何を言おうとし、そして言えなかったのか、京一も、薄々勘付いていた。
だが、彼にも、龍麻が飲み込んだ一言を、暴くことは出来なかった。
その代わりに、彼は、龍麻を抱き締め、接吻を落とした。