一時間と少しして、ソロソロと劉が戻って来た。
「そろそろ、落ち着いた頃かいなー、思て……。未だ揉めてても、ええ加減止めなあかんかなー、とかも……」
相変らず雰囲気の沈んでいる室内に、落ち着かなさそうに踏み込んで、彼は、自分が戻って来ても良かったのかどうかを、窺うように言い出した。
「……さっきは、悪かったな」
「そんなんは、気にせんで。わいがおったら、言い合い辛いこともあった思うし……」
「御免、劉。その……」
「アニキ、ホンマに気にせんといて。──それよりも、屋台で色々買うて来よったから、食べようや? ビールも酒もあるんよ。……未だ、お日さん高いけど、呑んで寝てまうのもええかな、って」
「………………そうだな。そうするか。折角だし」
「……うん。春節の日だもんね。気分、変えたいし…………」
居た堪れない風な表情を作る劉へ、京一は苦笑を浮かべながら詫び、龍麻も謝り出して、そんなことは良いからと、背中に隠すように持っていた袋達をローテーブルに乗せた劉に誘われるまま、屋台の軽食や、酒に手を伸ばした。
「劉。……お前、この酒わざとだろ」
────見て呉れだけは宴会の、会話も弾まぬ飲み食いが始まって、どれ程が過ぎたか。
高層階のその部屋に、夕日が射し込むようになった頃、酔い潰れ、ソファに突っ伏して眠ってしまった龍麻をベッドに運んでから席へ戻った京一は、ちろっと劉に横目を流した。
「何のことや?」
「恍けんな。……アルコール度数六十三度」
「……ああ、その白酒のことかいな」
「わざわざ言わなくっても、判ってるくせにな。……この酒ばっか、ひーちゃんに呑ませやがって」
指摘を空っ恍けてみせる劉へ、彼は、三分の二程が空になった、白い陶器の瓶を、わざとらしく振ってやる。
「アニキ、酒呑ませて寝かせてまえば、当分起きななるから。京はんと、二人だけで話せるやん。………………なあ、京はん?」
揺れる瓶へと肩を竦め、劉は、手にしたグラスを置いた。
「何だよ」
「ずっと、わいの気の所為かいなー? て思うてたんやけど。こないだ久し振りに二人に会うた時から、何や、様子がおかしいなー、て感じてん。夕べは夕べで、喧嘩しよったんやろ? さっきの怒鳴り合いも、こう……何ちゅーか、奥歯に物の挟まったっちゅーか、怒鳴り合っとるくせに、二人して、妙に言葉選んどるみたいやったし。…………京はん。アニキと何ぞ、遭ったんか?」
「……大したことじゃねえよ」
「…………わいはな、京はん。アニキのこと、ごっつ大事なんや。……昔から大事やったよ。わいの、義兄弟や、って。今ではアニキを、ホンマの兄ちゃんみたいに思うとる部分もある。……京はんもや。京はんも、大事な仲間で大事なツレ思うとる。わいがそう思うとるみたいに、アニキも、わいのこと、ホンマの弟みたいに扱うてくれとる部分あるんを知っとるし、京はんも、わいと、アニキのホンマの弟みたいに接してくれとる処あるんを知っとる。……やからわいは、二人のことが心配なんよ。これから先も一緒におる二人の間に、何ぞ擦れ違いがあったらって。唯でさえ、これからは………………」
「そう言ってくれるのは、嬉しいけどな。でも──」
「──今度のことは、わいにも責任があるんや。わい一人で広州に来とれば、こないなことにはならへんかった。すまへんかった、思うてる。昨日も言うたけど、おっちゃん等に、どないしたかってって言われたら、アニキに、会ってやってくれって頼むくらいはって思うてたし、おっちゃん等も、わいに白々しくアニキの話したら、連れて来てくれるやろって下心あったって、抜かしとった。………………新宿の事件から、四年、何もへんかったやろ? やから、言う程深刻には考えへんかった。気ぃ付けさえしとけばええやろ、程度で。……そやけど、よう考えてみれば、今までは何ものうて当たり前や。龍穴の傍におる黄龍に手ぇ出すアホは、そうはおらんし、アニキと京はんの修行の旅の行き先は、二人以外に知らんのやし。……今回が、初めてやってん。何日に、何処に行くちう、他人に連絡取ってから、あの里離れたんは」
「お前の所為なんかじゃねえっての。お前の所為でも、お前の親戚の所為でもねえよ。今回のことは、あの阿婆擦れの所為だ」
酒で満たされたままのグラスを手放し、酷く落ち込んだ風に肩を落とす劉へ、京一はきっぱりと言った。
「そやけど…………」
「それ以外の、何だってんだよ」
「……やったら、今はその言葉に甘えさして貰う。そやけど、二人のことが心配なんは、それとは又別やし」
素っ気ない彼の言葉に、劉は苦笑を浮かべて。
「兎に角、放っとけへんのや。わいで相談に乗れることがあったら、言うてへんか」
ローテーブルの向こう側の京一へ、真剣な目を向けた。
「……聞かない方がいい。俺のこと、お前、軽蔑すんぞ?」
「そないなこと、ある訳ないやん」
「ぶん殴りたくなるかも知れねえし、絶縁とか、言い出すかも知れねえぞ、お前でも」
その眼差しへ、京一は、深い苦笑を返し。
「……穏やかやないな。…………ホンマに、何が遭ったん?」
「………………半月くらい前から、一寸、色々遭ってな。……その積み重ねっつーかで…………あいつと、寝た」
深い苦笑を自嘲へと変え、結局彼は、出来事を白状した。
「…………えーと、やな。………………寝た……?」
「はっきり言わなきゃ判らねえ? 抱いたんだよ、あいつのこと」
「それくらい、わいかて判る。………………やけど、そうかー。そうなりよったんかー…………」
が、劉の反応は、意外にあっさりしていた。
流石に、鳩が豆鉄砲を喰らったようにはなったが。
「……あんまり、驚いてねえな、お前」
「驚いてんね。驚いてんねんけど。京はんが考えとるやろう程、意外には思うてへん。アニキと京はん、真神の頃から、お互いしか見てへんかったしな。やから、二人がそないな関係になっても、それはそれでアリかいな、ちう感じかな。……正直、アニキと京はんやったとしたかて、男同士ちうんは、無茶苦茶寒いけど」
「そう……なのか……?」
故に、劉の反応に、京一の方が驚かされる。
「他の皆もそうやけど、京はんもアニキも、仲間や大事な人の為には、体でも命でも張るタイプやん? そん中でも特に、アニキは京はんの為に、京はんはアニキの為に、命張るやろ? 黙って見とるだけで、二人共、皆のこと大事にしとるけど、やっぱり、アニキの一番は京はんで、京はんの一番はアニキ、て判る。……二人、好き合っとるやったら、ほんでええんちゃうの?」
「好き合ってる、か…………」
しかし、劉はケロっと言って退けて、京一は足を組み直し、ソファの背凭れに両腕を引っ掛け、あー……、と天井を見上げ。
「それとも京はん、アニキのこと手篭めにしたんか? そうやったら、しばいても絶縁しても、話は済まへんで?」
もしも、合意の上ではなかったら……と、劉は、にこーーー…………と笑みながら、本気で、傍らの青龍刀を鞘から抜いた。