翌、二月二日。

午前の内に広州を発ち、劉の故郷へ戻る予定を取り止め、彼等はこの街での滞在を延期した。

京一曰くの『阿婆擦れ共』、劉曰くの『アホンダラ』が蠢き始めた広州に居続けるのは、それなりに危険が伴うが、劉の遠縁の、あの女達を必ず見付け出すとの誓いを信じて、もう少しだけ、と。

──彼女達の足取りが掴め、取り押さえられる可能性は高くとも、施された符術の打ち消し方を白状させられる可能性は、正直少ないことくらい、皆、弁えてはいたが、可能性がゼロでなければ、賭けるだけの価値はある。

再び、龍麻の中の黄龍をきっちり眠らせることが出来れば、深刻な問題は解決して、残される問題は、純粋に、京一と龍麻の間の『色恋』だけになるから。

朗報を待ち侘びながら、昼過ぎ、三人は連れ立って、再度、三元里地区へ足を踏み入れた。

現実を突き付けられた昨日は、流石に彼等もへこたれたが、何時までも、黙ってへこたれているような彼等ではない。

唯、望む報せが入るのを待つような質でもない。

出来ることがあるならしてみよう、可能性のあることなら、何だって試してみよう、と。

彼等は、あの夜、龍麻が辿らされたルートを遡ってみることにし、三元里へ赴き。

「ここ、だな……」

「……うん」

あの、『迎龍』の石版を掲げる城門の前に立って、京一と龍麻は上を見た。

────龍脈の力を『語る』風水とは、本来、『地』を読む術だ。中国では古来、風水のことを地理とも呼ぶ。

あの女が最初に仕掛けてきたことは、そんな風水の秘術の一つと言われる、奇門遁甲の考え方に似ていると思える。

だから、龍脈の流れを、正しい方向から正しく通り直してみるのは、試してみる価値があるだろうし、奇門遁甲という言葉を知らぬまま、あの夜龍麻がしようとしたことは、或る意味での本能のような物だろうから、との劉の言葉に促され、嫌な想い出ばかりが残ったその場所に立った彼等は、暫し佇んだ。

「どうだ? 何か感じたりするか?」

「ここでこうしてる分には、特に。嫌な感じもしない代わりに、いい感じもしない」

「じゃあ、取り敢えず試してみっか」

「だね。駄目元で、やってみるしか。……あ、でも…………」

「でも? 何だ?」

「一昨日の夜、あの女に何処をどう引き摺り回されたのか、憶えてないんだ。初めて通った通りだし。だから、正確に龍脈の通り道を辿るなら、多少なりとも、『力』使わなきゃならないと思う。……けど、さ」

「あー……。不安か?」

「俺の状態が状態だからね……」

「…………なら、手、繋いでこうぜ、ひーちゃん」

石版を見上げたまま、自分達がしようとしていることには一つ問題がある、と龍麻は眉を顰め、どうしようかな、とブツブツ言い出して、そんな彼へ、京一は迷うことなく手を差し出した。

「………………その申し出は、大変嬉しく思いますが、人目が気になります、京一さん」

「お前なあ……。んなこと言ってる場合か。手ぇ繋いで歩いてるんじゃなくって、俺の氣を掴んで歩いてると思えよ。出しっ放しにしといてやっから。簡単な結界代わりにもなんだろ」

「……じゃあ、甘える」

ふざけた口調で、一度は差し出された手を龍麻は拒もうとしたが、結局、そっと、伸ばされたままの京一の手へ、自分のそれを重ねる。

怖ず怖ずと体温が近付いて来るや否や、京一は、指と指をしっかりと絡め。

真夏の太陽の如き鮮烈な彼の氣が、少しずつ己へと注がれて来るのを感じながら、龍麻は瞼を閉じて、龍脈の流れを探した。

「ひーちゃん?」

「……………………こっち」

……ほんの、少しだけ。

コートの襟を覆う黒い後ろ髪の先から、細かい、金色の粒子のような光を零し、京一の呼び掛けを合図に目を開いた彼は、真っ直ぐ顔を上げ、歩き出した。

「……だとさ。……行くぜ、劉」

「ああ」

自分達から一歩離れた所で、黙って見詰めて来るだけだった劉へ京一が声を掛け。

三人は、城門を潜った。

時折、龍麻の毛先から微かに、よく目を凝らして見なければそれと判らない、細かい金色の粒子に似た光が零れるのを、意識して、微妙な調整の要る『力』の使い方をしているからなのか、それともこれも、良くないことの前兆なのか、と京一も劉も悩みつつ、龍の通り道を辿って行く彼と共に『魔窟』を縫い、街の反対側に出た。

「こっちには、城門が残ってないみたいだから、龍を送り出す石版は見当たらないけど、ここが出口の筈」

「終点、か」

「……どうや? アニキ」

春節の赤い提灯や、金色の装飾は消えたものの、観光客に向けた、相変らずの極彩色渦巻く商店街を抜け切った辺りで、ぴたり、龍麻は足を止め、付き従った二人も周囲を見回した。

「期待してた変化はないなあ……。……三元里は出ちゃったけど、龍脈は未だ辿れるから、もう一寸行ってみようかな」

「んー……。そら意味が無い思うよ? 今回のことはあくまでも、三元里っちゅう中で起こったことや、思うた方がええんちゃうやろか。そうやないと、アニキは何時でも、龍脈の方向考えて歩かなならへんことになる。けど、普段はそないなこと考えて歩かんと平気やろ?」

「……確かに」

「じゃあやっぱり、あの紙切れ何とかしなきゃ駄目だってことか。…………何で、選りに選って、飲み込ませやがったんだよ、あの女…………」

「俺が訊きたい…………。……ああ、ヤなことまで思い出した……」

「…………悪りぃ」

けれど結局、彼等の望みは得られず、京一と龍麻は、揃って首を振る。

「まあまあ。……しゃあない、収穫はあらへんかったんやから、戻ろうや?」

が、落ち込んでいても仕方無いから、一旦ホテルに帰ろうと劉は踵を返し掛けて、でも、龍麻はふと、動かそうとした足を止めた。

「そうだね……。……ああ、でも、一つだけ、収穫めいたことはあったかな」

「え、何や? アニキ」

「昨日の朝、京一には言ったんだけど、あれから、猛烈に気持ち悪くなったりはしない代わりに、自分が『何か』に敏感になっちゃってて、一寸したことで気分が悪くなるような、常にしんどい感じが、ずっと続いてるんだよ。本当に、大して酷くはないんだけど。何となく、疲れが取れない、みたいな。だから、俺、何に敏感になってるんだろうって思ってたんだけど、それの正体みたいなのは、何となく判った」

「で? お前は何に敏感になってんだ?」

「龍脈、そのもの。龍脈が、少しでもおかしくなってたり、活性化してたりすると、俺、体おかしくなるみたいだ。……黄龍の『本宅』の、汚くなってたり荒れてたりする所に行くと、『別荘』の俺はアレルギーになります、みたいな感じ」

「…………もう少し、シリアスな例え、出来ねえ?」

立ち止まり、辺りを振り返り振り返りの龍麻の言い種に、京一は肩を落とす。

「やー、どう表現しても一緒なら、判り易い方がいいかなー、と」

「はは…………。ま、何れにしたかて、封印が緩んどることには間違いあらへんな」

項垂れる京一からそっぽを向いた龍麻に、劉は乾いた笑いを向け。

「……戻るか……」

「……そうだね」

繋いだ手を何時までも離さぬ二人と、二人の手許を然りげ無く見遣った劉は、ホテルに戻った。