劉が縁者へと付けた連絡の答えは、もう、手の者達も、京一も、女達の許へ向かった後だ、というそれだった。
現れるかも知れないからと、劉から聞き及んでいた京一の風体そのものの青年を見付け、その者が確かに蓬莱寺京一であることを確かめたから、共に乗り込むと手の者から連絡があった、と。
その報せを聞き終え、電話を切って、「どうするのか」と劉は再度龍麻に尋ねた。
……龍麻の答えは、変わらなかった。
行くだけ行く、と。
彼は、ドアノブに手を掛けた。
だから、劉はもうそれ以上何も言わず、黙って龍麻に付き従い、地下鉄に乗って、光孝寺前を抜け、二人は、全てが終わってしまっていた、うらびれた雑居ビル前に立った。
その頃には、もう、龍麻も劉も、数十分前そこに立った京一のように、頭から氷雨に濡れていた。
その日の雨の前では、傘も役立たずだった。
「京一…………」
────目指したビルの中に踏み入るでなく、街角に立ち尽くし、龍麻はぽつり、京一の名を呼んだ。
傘も差さず、着て出て行ったコートも身に着けていない京一が、酷い雨故に人気の途絶えた通りの直中で、剥き出しの刀を手に佇んでいたから。
「……何で、あないな顔しとるんやろうな、京はん…………」
雨に打たれるだけの京一の横顔を見詰め、痛みを感じている風に顔を歪めた龍麻の傍らに添って、劉は声を震わせた。
雨に流され掛けの鮮血を絡み付かせた刀を右手で握り締め、アスファルトへ視線を落としている彼の面は、余りにも虚ろだった。
「あないな京はん、見たことないわ…………。高校の頃から今まで、どんだけ猫被っとったんやろう……」
「…………京一は、只の馬鹿だよ。何時だって、どんな時だって、どうしようもない大馬鹿。泣けてくる程の馬鹿だ……。…………あのさ、劉」
「……何や? アニキ」
「俺は……俺は、京一のことが好きだよ。大好きなんだよ。気付いたのは、本当に最近だけど。気付いたら止まらなくなった。京一のこと考えてると、愛してるって、大声で叫びたくなる。…………でも……でも……──」
──虚ろを隠そうともせず雨に濡れる彼を見詰めながら、囁く声で言うと龍麻は、ゆっくりと、京一へと歩き出した。
その時、雨は急に一層の酷さを増して、雫がアスファルトを打つ音は甲高くなったが。
「…………………………どうして……、どうして俺には、愛してるって言えねえんだ……」
俯かせていた面を持ち上げ、見開いた瞳の中にも氷雨を浴びながら京一が呟いた一言を、確かに龍麻は聞いた。
「……京一」
けれど。
その呟きを確かに聞いても、龍麻は彼を呼び、両手を伸ばした。
「…………龍麻」
呼ぶ声で、京一の面には色が戻り、虚ろは雨と共に流れて消えて、頬には、この上もなく優しい笑みが浮かび、声も応え。
伸ばされた手には、手が返った。
「龍麻……。龍麻…………」
返された手は伸ばされた手を引き、幾度も幾度も、伸ばされた手の持ち主の名を繰り返しながら。
……京一は、龍麻を掻き抱いた。
カラン……と、右手より零れた刀が、アスファルトにぶつかって、甲高い音を立てたのにも気付かず。
彼は唯、龍麻を掻き抱き続けて。
「…………帰ろう?」
「……そうだな…………」
縋り付くように己を抱く京一へ、龍麻は、一言だけを言った。
────京一のことが好きで、大好きで、京一のことを考えてると、愛してるって、大声で叫びたくなる。
…………でも……でも……彼には、その言葉を求められないなら。
どうしても、愛してるの一言を、京一には言えないと言うなら。
──雨の一夜が明けた。
劉は、朝から遠縁の者達に呼び付けられ、後始末その他に駆り出されたようだったが、実際に彼が何の為に呼ばれたのか、遠縁の者達と如何なる会話が交わされるのか、その一切に、京一も龍麻も興味を抱けなかった。
何だ彼
起こってしまった出来事の取り返しは付かない、それは動かし様のない事実で、それが事実である以上、他にどんな事実が飛び出ようが、どのような始末が行われようが、その手間がどうだろうが、どうでもいい、とすら二人は思っていた。
生きて行く上での土台も、感情も、ぐちゃぐちゃになってしまった自分達の今に、彼等は一杯一杯だった。
一日も早く広州を離れたい、その想いだけで。
…………だから、翌日。
漸く縁者達より放免され戻って来た劉に息もつかせぬまま、彼等はホテルを引き払い、広州駅より厦門へ向かう汽車に飛び乗った。