「しょうがねえだろ。実際、お前は馬鹿だしな」

赤茶色の前髪を、右手で握り潰すようにしながら俯き加減になった京一の吐露を、師は切って捨てた。

「……馬鹿シショーに言われなくても判ってんだよ、んなことくらいっ」

「だが。てめぇの馬鹿が判ってるだけ、だろう? お前は、自分の馬鹿が判ってるだけだ。それ以上でも、それ以下でもねえよ。馬鹿だから? だったら、どうなんだ? お前にゃ、その先があんのか? 『俺は馬鹿だから』。……そこで止まっちまったら、お前、死ぬまで馬鹿のまんまだぜ? 違うか?」

その、さらっとした言い種に、キッと京一は激しく面を持ち上げたが、飄々とした師の態度は変わらなかった。

「それ、は……」

「…………なあ、不肖の馬鹿弟子。お前は未だ、何か思い違いをしちゃいねぇか? お前は、何の為に強くなりたいと思った?」

「……誰よりも、何よりも大事なあいつを、護りたいから。あいつと一緒に、互いの背中を護り合いたいから」

「じゃあ、もう一つ問答だ。────馬鹿弟子。お前は、『誰よりも、何よりも大事なあいつ』の、何を護りたいんだ? 命か? 魂か? 想いか? 存在か? それとも、その全てか? ……俺はな、お前達みたいな若造とは年季が違う、人生の達人だから──

──はあ? 人生の達人? あんたの何処が?」

「………………黙って聞きやがれ。──兎に角、だ。人生の達人ってな、ちょいと大袈裟にしても、俺はお前達とは、産まれ落ちた世間の境遇が余りにも違う。だから、ヒトでしかない人だろうが、異形だろうが、斬って捨てることなんざ屁とも思わねえし、そいつは俺にとっちゃ、護るとか、護れないとかいう範疇の外でしかねえが。『お前達の世界』はそうじゃねえから、異形やヒトをも斬る斬らないに、重きを置きがちになるのも判らない訳じゃねぇ。……だがな。異形やヒトをも斬り捨てる、それは結局、『それだけのこと』だ。お前達にとっちゃ、途方もなく大きいことだろうと、突き詰めちまえば『それっぽっち』。…………俺の言いてぇこと、解るか?」

「……何となく、は」

飄々と続く師の言葉は、『そんな場所』に辿り着き、ん……? と京一は首を傾げる。

「異形やヒトを斬り捨てる、それに重きを置くなっつってんじゃねぇ。色んな意味の重さを置くがいいさ。だが、その部分だけ見てどうする。強さの意味をお前が理解したらしいのは、一応褒めてやる。が、護るってのは、段平だんびら振り回して何も彼もを叩っ斬っていくことか? それだけが、護るってことか? そうじゃねえだろ? ………………馬鹿弟子。今のお前はな、お前の『あいつ』を護る為の一部分が、全てになり掛けてんだよ」

「一部が、全て…………」

「そうだ。……じゃ、もう一遍、さっきの問答をくれてやる。お前は、『誰よりも、何よりも大事なあいつ』の、何を護りたいんだ? 命か? 魂か? 想いか? 存在か? それとも、その全てか?」

告げてやったことを、確かに己の中に落とそうとする風に口の中で繰り返し呟いた弟子を横目で眺めながら、師は立ち上がり、小屋の隅より酒瓶と湯飲みを二つ引き摺り出して来て、酒を注いだ片方を、弟子の前へと突き出した。

「…………俺は、あいつの全部を護りたい。命も、魂も、想いも、存在も、人生も、何も彼も、全て。……唯黙って、大人しく護られてるような奴じゃねえし、あいつはあいつなりに、俺を護るんだろうけど、それでも、俺は……」

座り直しながら突き出して来た湯飲みを受け取り、煽るように一息に飲み干して、京一は、問答に答えた。

「何も彼も全て、か。又、大きく出やがったな。…………命を護るなら、命を脅かすモノを斬って捨てる。それは、俺達みたいな生き方しか出来ねえ連中には、至極当然のことだ。それと同じように、魂なら魂を、想いなら想いを、それぞれ護る為の方法が、刀振り回す以外にも在る。なのにお前は、『あいつ』の全てを護りたいと思ってるくせに、命を護る術だけが、護る全てになり掛けてる。──こんな山ん中で、一昔振りに馬鹿弟子のツラ拝んだが、それでも一目で判ったぜ? ……お前、何を思い詰めてる? 思い詰めてることがあります、ってな。ツラに書いてある」

あっという間に飲み干された湯飲みを一瞥し、勿体無い……と呟いて、己はチビリチビリと酒を舐めながら、鋭過ぎる眼光を師は弟子に向ける。

「…………………………十七の春に出逢って、暫くが過ぎてから、ずっと」

……どうして、この男はこんなにも『嫌』な目を、俺に向けるんだろう。

どうして、この男には何一つ、隠し事が出来ないんだろう。

見透かされるのは我慢出来ない最悪の師匠で、なのにどうして、俺は、この男に、この男の言葉に、何時だって縋りそうになるんだろう。

まるで、親父に助けを求めるガキみたいに。

────鋭い、己のそれによく似た鳶色の瞳で射抜いて来る『馬鹿師匠』の顔をぼんやり眺めながら、どうして……、と思いつつ、京一は口を動かした。

「ずっと……ずっと、あいつは大事な親友で、背中護り合いながら戦える相棒で、掛け替えのない戦友で、誰よりも、何よりも大事な奴で、それは、今でも変わらなくて、俺はあいつを護りたくて、人生懸けてでも護り通したくて、でも…………でも、俺には、愛してるの一言が言えない……。あいつの求めてる言葉が、どうしても言えない……。大事で、何よりも大事で、あいつは俺にとっての絶対の存在で、惚れてるのに、『好き』なのに、あいつに徒なす奴がいるなら雑作も無く殺せるのに、あいつの望んでる言葉だけが言えなくて、俺はあいつを追い詰めてるだけで、もう、あいつの為に俺が出来ることは………………っ……」

ぼんやり、ぼんやり、師の顔を眺めながら、憑かれたように彼は一気に吐き出して、酷く顔を歪めた。

「二十二にもなって、んな泣きそうな顔して、泣きそうな声絞ってんじゃねぇ」

ぽろりと京一から零れた湯飲みを片手で拾い上げ、舐めるだけだった酒を飲み干し、二つの湯飲みを、ぽい、と師は、懐に放り込む。

「……何で、俺の歳なんか覚えてんだよ…………」

「俺だって、数くらい数えられるぞ? ……不肖の馬鹿弟子でもよ、俺にとっちゃ、たった一人の弟子だからな。冬が来る度、指折り数えた。お前は今年で幾つになった……、ってな。まるで、てめぇのガキみたいに。………………馬鹿弟子」

そうしてその手を、彼は膝へと戻さず、京一のこうべに乗せた。

「何だよ…………っ」

「まさか、お前が思い詰めてやがることが、そんな類いの話だとは夢にも思わなかったが、それでもそれは、お前の中の『剣』だとか、強さだとか、何かを斬り捨てるってことに、酷く絡んでんだな。本当に、お前は俺と同じ、どうしようもない剣術馬鹿だ」

ポンと乗せた手で、ぐしゃぐしゃと、京一の頭を彼は撫でて。

「止めろって。ガキじゃねえんだから」

撫でる手を、京一は振り払おうとして。

「餓鬼だろう? あの頃は一昔にもなったのに、お前は未だに馬鹿な餓鬼だ。天邪鬼で捻くれまくって育ちやがったくせに、何でてめぇは、最後の最後を『折り畳めない』、真っ直ぐ過ぎる馬鹿な餓鬼なんだかなあ…………」

それでも師は、弟子の頭を撫で続けた。

「馬鹿弟子。お前が一丁前に思い詰めてやがることの答えは、お前にしか出せない。……だから。強くなれ」

「………………馬鹿師匠」

「……何だよ」

「…………俺は……俺はどうしたって、当分、あんたみたいにはなれそうもねえけど……。でも……でもなっ。強くなりたい……。俺は、強くなりてぇよ、師匠…………っ……」

「判ってる。──だから、強くなれ」

払い除けても払い除けても、師の腕は頭よりずれず、京一は、悔しさに唇を噛み締めながら、眦に涙を滲ませた。