悔しさに滲む涙を耐えに耐えたら、何故かひたすら馬鹿師匠に酒を勧められ、ここに居座るのは、不法侵入とか不法占拠とか言うんじゃ……? との問いもぶつけられぬまま、京一はことりと寝入り、そして、翌日の明け方。
ガッス! と堅い何かに頭を殴られ、叩き起こされた。
「……ひーちゃん…………。殴るこたぁねえだろ……」
「誰が『ひーちゃん』だ。馬鹿野郎」
ついうっかり寝惚け、『あいつ』とだけ言い通した龍麻の渾名を洩らした京一は、再度、師に頭を殴られ。
「痛ってぇなっ! これ以上馬鹿になったらどうしてくれんだっ!」
漸く、あ! と、転がされていた、ベッドのような、台のようなそこから飛び起きた。
「下らねぇこと気に病むんじゃねえよ。それ以上、馬鹿になりようはねぇ。俺が請け負ってやる。…………おら、行くぞ」
キーキーと、未だ浅暗い内から喚き立て始めた弟子を師は鼻で笑い飛ばし、ぽい、と京一の頭を殴った『堅い物』を放り投げて寄越した。
「……え?」
それは、この数年触れる機会がなくなった樫の木刀で、勢い受け取った彼は、きょとんと首を傾げる。
「強くなりてぇんだろ? これだけやってりゃ強くなれるって訳じゃねえが、俺にもお前にも、『こんな路』しかねぇからな。三日かそこいらなら、付き合ってやらぁな」
目を点にしたままの京一を、再度、師は鼻で笑い、己の分の木刀を肩に担ぎながら、とっとと小屋を出て行った。
「三日かそこら、付き合ってやる、だあ?」
その言い種が気に入らない、と。
ふぅらり出て行った師の後を、勇んで京一は追った。
師曰くの、『三日かそこいら』の約束は延びに延び、『二十日かそこいら』になった。
でも、三日前後、と真顔で師に言われたら、「そうだったか?」と思わず納得してしまいそうになる程、師との再会から二月末の声を聞くまでの時の流れは、京一にとっては早かった。
来る日も来る日も、あっという間に陽が昇り、あっという間に陽が落ちて、未だ小学生だったあの頃そっくりの、悪態を喚きたくなる、厳しくて濃密な修行が続き、体中ボロッボロになったけれど、何かを考える暇も与えられず、ひたすらに木刀を振るうのは悪くなく。
ああ、俺はこの馬鹿の弟子なんだなあ……、と京一は、何とはなし、そんな感慨にも浸った。
…………そうして。
日々が瞬く間に流れ、やって来た、二月二十六日。
夜が明け始めた頃、何時ものようにガスっと木刀でぶん殴られて目覚め、何時ものように盛大な文句を吐いて、朝食も後回しに午前の修行を終え、「疲れたー!」と、森の直中で京一が引っ繰り返れば。
「午後にゃ、里に下りんだろ?」
よっ……、という軽い掛け声と共に、直ぐ脇に、師は胡座を掻いて座り込んだ。
「里って何だ、里って。ホータンだっての」
「ここが山なんだから、あそこは里だろ」
「……そりゃ、そうだけどよ…………」
「どうだっていいだろ、んな細けぇこたぁ。────ま、元気でやれ。未だ未だ修行させ足りねぇってのが俺の本音なんだが、生意気に、お前にゃお前の都合があるようだからな。…………ああ、本当に生意気だ。言葉にしてみたら、段々腹が立ってきやがった。ヒヨッコのくせに、師匠付き合わせて、事もあろうに終い日のある修行なんざしやがって」
「…………毎日毎日、そりゃー嬉しそーに俺をしごきやがったのは、てめえだろ」
「当たり前じゃねえか。馬鹿弟子をしごくのが楽しくない訳がねぇ。情けなくもあったがな。どうして俺の馬鹿弟子は、相変らずこんなにも弱っちい、ってよ。……いい加減、俺から一本でも取ってみやがれ。あ? 弱っちいくせに、生意気なヒヨッコ」
「てめぇが、俺に輪ぁ掛けてバケモンなだけだろ……」
腹が減ったとか、昼酒が呑みたいとか、そんなブツブツを織り交ぜつつズバズバ言って来る師と、大地に引っ繰り返ったまま京一はやり合い。
「……………………ふっ……。ふはは……。あっははははははははは!」
バケモン、と彼が呟いてやったら、師は、唐突に高笑いを始めた。
「な、何だよっ」
「そうか、そうか。お前は、少なくとも俺がお前よりは強えぇってことと、少なくともお前が俺よりは弱えぇってことを、言葉に出来る程度にはなったって訳だ。……あー、めでたい、めでたい」
いきなりの大笑いにカチンと来て、がばりと京一が跳ね起きれば、師は腹を抱え、涙さえ滲ませながら高く笑い続け、一頻り笑い転げてから、ポンポンと、数度、弟子の頭を軽く叩いた。
「何で、あんたの言い回しってのは、こうも腹立たしいんだ…………」
「そりゃあ、お前が餓鬼だからだ。お前が餓鬼で、俺は大人で、お前よりも、俺の方が強いから」
又、小さな子供扱いをして! と頭を叩く腕を撥ね除け、溜息を零した京一に、師は又、盛大に笑った。
「……あー、そうですねー。仰る通りですねー。シショーはお強くていらっしゃってー」
言い種も、絶えない笑い声も、どうしようもなく悔しく、が、言い返せる言葉は余りなくて、そっぽを向きつつ当て擦りを京一は言い…………ふ、と。
「………………なあ? 馬鹿シショー」
ポッと胸の中に湧いたことを、どうしても師に尋ねてみたくなった彼は、師のように、その場に胡座を掻いて向き合い、真顔で呼び掛けた。
「馬鹿は余計だ」
「うるせえな、どうだっていいだろ、んなことっ。………………シショー」
「……あん?」
「あんた……何で、そんなに強いんだ? あんたの強さって、何だ? ……あんたは昔、護るモノがなければ『強く』はなれないって、そんなようなこと、俺に言ったよな。じゃあ、あんたは、何を護ってんだ?」
この上無い真顔を作り、パン! と両膝の上に手を乗せて、真っ向勝負で彼が問えば。
「……………………聞きてぇのか? 俺の……えーーーーと。あー、何つーんだったかな。…………そうそう、『ろまんす』」
師は、ニヤリと笑んでみせた。