「……年寄りのロマンスなんか、別に聞きたかねえよ…………」
決して上品とは言えない笑みに、げんなりと京一は項垂れたが、それでも、わざと拵えたのだろう下卑た笑みの奥に、この場にいない、何処かの誰かに向けられているらしい、優しく柔らかいモノを見付け。
剣士としての腕前は確か、というのが判っているだけで、素性も、どうやって生きているのかも一切合切謎な馬鹿師匠にも、やっぱり、抱えているモノはあるのだと、京一は知った。
師の抱えている何かは、重過ぎる何かかも知れない、とも。
「……お前と同じだ。俺の護るモノは、お前の『あいつ』のような…………」
だから、ぽつりと低く洩らされた呟きは聞こえなかった振りをして、京一は勢いを付けて立ち上がった。
「ったく。これからホータンまで降りて飛行機乗って、ウルムチ経由で福建省戻るってのに、手加減なしにしごきやがった挙げ句、年寄りのくせに、ロマンスがどうたらこうたら、訳の判んねえこと言い出しやがって。あー、腹立つぜーーーっ!」
「………………。もう一本やるか?」
「勘弁して下さい。すいません。……二十八日までに戻れなかったら、約束破りになっちまう……」
起き様、必要以上の大声で文句を叫べば、ピッと、鼻先に木刀を突き付けられ、ひぃ、と京一は慌てて師へ頭を下げる。
「なーーーにが約束破りだ、生意気な。未だに、思い詰めてやがることを解決も出来ちゃいねぇくせに。そういう一人前の口はな、お前の『あいつ』の前で、『愛してる』くらい、さらっと言えるようになってから叩きやがれ」
「う、うるせぇなっ!」
「ホントのことじゃねぇか。ホントのこと言われて、ぐうの音も出ねえから、そうやって、お前は喚きやがんだろ? ………………おい」
「……何だよ」
「……戻るのか? 何も言えねぇのに、何も解決しちゃねぇのに、それでも、お前は戻るのか?」
だが、師は何処までも容赦無い科白で京一を叩きのめして、ニヤニヤした笑いを引っ込め、抑揚なく問い掛けて来た。
「…………戻る。何も言えなくても、何も解決してなくても、何も出来なくても、俺は戻る。惚れてるのも、『好き』ってのも嘘じゃねえし、あいつを護り通すのが俺の人生だって、俺は疾っくに定めたし、傍にもいないで泣かせるよりも、傍で泣かせた方が未だマシだ」
問い掛けに、真っ正直に京一は答えた。
「傍にもいないで泣かせるよりは、傍で泣かせた方が、か。……意地の悪りぃ考え方だとは思うが……ま、『正しい』」
すれば師は、一瞬だけ酷く遠い目をして、唇の端だけを歪めて笑った。
一旦小屋に戻り、麓へと下りるべく、京一は、少な過ぎる荷物を手にした。
「お前、両親にくらいは報せを入れてんのか?」
てきぱきと支度を整えた弟子の背中を眺めながら、師はそんな言葉を投げた。
「あ? ……あー、一応。半年に一遍くらい。そうしねえと、あいつがうるせえから」
「ふーーーん……」
「……それがどうしたよ」
「大したこっちゃねぇ。──達者でやれ」
「言われなくても。そっちこそ、俺が一本取りに来るまで、くたばんなよ」
どうにも、何かを含んでいるとしか受け取れぬ抑揚で問うて来た師に、肩越しに振り返り、京一は言い返す。
「俺から一本取れる程、お前が強くなれたらな。そん時ゃ、幾らでも受けて立ってやらあ。頼まれたって、俺はくたばらねぇしな」
可愛気の欠片も無い科白ばかりを選んで告げる彼に、師は、ひょいと肩を竦め、
「ああ、そうだ。……餞別だ」
ぽい、と『棒切れ』を投げて寄越した。
「餞別? …………って、これは………………」
慌てて体を捻り、勢い受け取ったそれは、一見は何の変哲もない白木の木刀で、だが、掴んだ手が痺れる程、痛々しいまでに清冽で満たされていた。
軽く掴んでいるだけで、何故か、愛
「そいつには、『阿修羅』って名が付いてる。神刀と例える奴もいるし、妖刀と例える奴もいるが、一刀の下、魔を滅ぼせることだけは確かだ」
「何で、こんなモノ……」
「餞別っつったろ? ──お前のその袋の中味も、この世に二つとねぇ程大した刀だが、そいつは、ヒトも魔も満遍なく斬れるように打たれてる代わりに、斬れないモノもある。だが阿修羅は、ヒトは斬れねえ代わりに全ての魔を討てる。……その二振りがありゃ、大抵のことは何とかなんだろ。時と場合って奴で、使い分けるのも悪かねぇ。……お前は、お前の『あいつ』の全てを護りたいんだろう? 全てのことから。だから、くれてやる。それに、それをお前にくれてやった処で、お前が俺に勝てるわきゃねぇしな」
「………………一言余計なんだよ、糞っ垂れ。でも……有り難く貰っとく。返さねえからな」
「てめぇこそ、一言余計だ、馬鹿野郎」
────阿修羅。
その名を冠した一振りの木刀を握り直し、胸に名前を刻み、京一は、小屋の扉に手を掛けた。
「……じゃあな、京一」
「路頭に迷わねえようにな、師匠」
「お前に言われたかねぇ」
「俺だって、あんたと一緒にされたかねえよ」
出て行く背中に、素っ気なく師は言葉を放り、嫌そうに顔を顰めながら京一は言って。
「……師匠」
「ん?」
「有り難うございました。……又、何時か」
振り返り様、彼は、深く頭を下げた。
「…………おう」
垂れた頭
「何で、馬鹿な餓鬼程可愛いかねえ……」
ぽつり、困ったように呟きながら、静かに小屋の扉を閉めた。