半月後の四月から己にとっても通学路となる、今は人通りの少ない道を歩きながら、あれ? と。
彼、緋勇龍麻は首を傾げ、空を見上げた。
確かに、頭上の天気は殊の外良く、早春らしい空の色、早春らしい陽光ではあったけれど、通学路を歩きながらの彼がたった今感じた気配は、真夏のきつい太陽のような、強くて、熱い程に暖かい、明るく眩しい気配だったから、おかしいなあ、今は春先だよねえ……、と。
空を見上げ、季節を確かめて彼は、不思議なこともあるものだと、首を捻った。
「ま、いっか」
だが、そんなことを気に留めても仕方無いしと、彼は留めてしまった足を再び進め、やがて現れた、真神学園の校門を潜った。
己が通った道、潜った校門、そこを、少し前、蓬莱寺京一という名を持った少年が通って行ったことなど知らず。
門を潜り、校庭の端を抜けた彼は、校舎の中へと消える。
真神学園の物ではない、新宿界隈では誰も見掛けたことのない制服を着込んでいる彼の後ろ姿を見掛けて、おや? と思った部活中の生徒達も数名いたが、それもやはり、知らぬまま。
──約半月後の、四月上旬。
龍麻は、この学園の三年に編入することになっている。
だからその日、彼は、編入に関連した手続きをする為、故郷である信州の片田舎から上京し、学園を訪れていた。
学園への編入と同時に始めなくてはならない一人暮らしの準備の為の上京でもあって、けれど、夕刻には地元に戻る電車に乗らなくてはならないから、その日は彼にとって何かと慌ただしい一日なのだが、事務室での手続きを終えて、校門前まで戻って来た彼は、そこに佇んで、来月からの学び舎を振り返った。
────新宿に行け、真神学園へ行け、と。
或る日突然目の前に現れて、己に古武道を教え込んだ初老の男は、細かい理由を語らずそう言った。
戦わなくてはならない、とか、三ヶ月前、これまでの己の母校だった明日香学園で起こった『あの出来事』のような、とか、そんな風な話をつらつらとされた覚えはあるけれど、結局の処、東京の新宿へ行って、真神学園へ通って、その上で『何か』をしなくてはならない、という以外の要領は得なかった。
その『何か』はきっと『戦い』で、『あの出来事』の時のように、『人であって人でないモノ』とのそれなのだろうけれど。
だから、鳴滝という名の初老の男は、不思議とも言える『古武道』を自分に教えて……でも。
何故、それを成さなくてはならないのが自分なのか、との想いは消えないし、何故、新宿の、しかもこの学園なのか、とも思う。
……これから先、この学び舎は、学び舎に通う自分は、一体どうなって行くのだろう、ここで何が起こるのだろう、真神学園で、新宿で、東京で。
そして、結構な確率でそれに巻き込まれて行くのだろう自分は…………。
………………振り返った学び舎を見詰めて龍麻は、ぼうっと、そんなことを又考えた。
でも、それを嫌だ、とは、もう彼は思っていなかった。
鳴滝という男に初めて会った頃は、色々と思い煩うことも多かったけれど、こうして、真神学園へ通うことを決めた以上、今更グダグダと言うつもりはないし、なるようになれ、とも彼は思っている。
それに正直な処、彼としては、新しく通うことになったこの学園で上手くやって行けるかとか、三年にもなっての転校生を、同級生達に受け入れて貰えなかったらどうしようとか、女の子程、そういうことは気にしないけど、友達が一人も出来なかったら、それはそれで淋しいとか、右も左も判らない東京での一人暮らしは不安、とか。
そういった悩みの方が深刻だった。
授業だって何だって、田舎よりは都会の学校の方が進んでいるのが世間一般的な相場だし、生活にしたって遊びにしたって、と。
極普通の、高校三年生が抱えて然るべき、先行きに対する不透明感の方が遥かに、彼にとっては。
…………何故ならば。
東京で、新宿で、真神学園で、己が何を成さなければならないか、やって来るだろう戦いが何なのか、その戦いの果てに訪れることは何か、といった事柄よりも、極普通の高校生であることの方が彼にとっては重要だったし、彼の中で占めているウェイトも大きかった。
日常から、逸脱したくなかった。
「……ま、丸っきり普通の高校生って訳にはいかないんだろうけどさ。俺だって、高校最後の一年とか、東京での生活とか、憧れの一人暮らしとか、堪能したいもんねえ…………。新しい学校、楽しいといいなあ。上手くやってけるといいけど……」
聴く者のいない願望を呟き、校舎を眺めることを止めた彼は、今度は通学路へと向き直った。
先程通った時に感じた、夏の太陽の如くな強くて眩しい気配は、もう無きに等しかったけれど。
ふわりとした、残り香のような気配は、未だ微かに感じられた。
「誰かの気配だといいな。この学校の生徒の気配だったりしちゃったら、もっといいんだけどな。……こんな気配の奴の友達になれたら、清々しそうだし」
その、残り香のような気配を、惜しむように感じながら彼は、暫し嬉しそうに目を細め。
「あっ! 不動産屋に行く時間がなくなるっ!」
ふと、腕の時計の示す時刻に気付いて、大慌てでそこより駆け出した。