──1998年 04月──

一九九八年四月七日。

新宿の、都立・真神学園高校三年C組に、緋勇龍麻ひゆうたつまという名の、転校生がやって来た。

『だから』、『物語』は始まる。

「緋勇龍麻と言います。一年間だけですけど、宜しく」

──三年C組の、朝のホームルーム。

担任である、英語教師のマリア・アルカードに連れられて教室の中に入って来た、ホームルーム前からクラス中の噂で持ち切りだった転校生は、黒板に、読み易い字で己が名前を綴った後、ほんの少しばかり上ずった声でそう言った。

「はーい、はーい!」

龍麻が口を噤むや否や、質問を浴びせ掛けるべく、教室中のあちらこちらから女子の声が飛んで、彼は、その勢いに少々気圧されている風だった。

「あー、緋勇、ねえ…………」

比較的後ろの方に己の席がある京一は、誰が見てもやる気が一切感じられない姿勢で、ぼうっと、律儀に女子の質問に答えている彼を見遣り、ふーんと、値踏みするように呟く。

自他共に認める『オネェチャン好き』の彼だから、正直、男の転校生には興味は持てなかった。

──美人でスタイルも好みな女の転校生だというならいざ知らず、野郎なんざどうだっていいんだよ、が転校生に興味が持てない京一の、本音の一つだ。

底抜けに明るくて、明るいが故に時折手が付けられぬ、だが、その性格のお陰で友人も知人も多く、人望も厚く、どうしようもない馬鹿でスケベ、という、同級生達の彼に対する『評価』を知らない下級生の女子達からは、やたらとモテる、というのが、京一という人間で、でも。

実の処彼は、『群れる』ということを一切好まぬ質だったし、本当の本音という奴を、滅多なことでは親しい友人にも見せないし、馬鹿程明るく、実際馬鹿で、挙げ句スケベ、という己の対外的なキャラにわざと徹しているし、年がら年中引っ付いてれば友人って訳じゃねえだろ? という男なので、男の転校生なぞ、殊更、だったのだが。

ぼうっと、一切の興味を持たぬまま、気紛れに見詰めた転校生の前髪が、瞳の殆どを隠す程長いのに気付き、あいつ、あんな髪型で鬱陶しくねえのかなあ……、とか何とか思ってしまった辺りから、何故か彼は、どうでもいい筈の『野郎の転校生』から、目が離せなくなった。

長過ぎると思える前髪以外、取り立てて興味を惹かれる部分は未だ感じられないが、何となく、彼は転校生の観察を行い。

よくもまあ、あんな風にぴーちくぱーちく喋る女共の質問に、律儀に答えんな、とか。

適当に答えてる訳でもねえし、ノリがいいって風にも見えねえから、真面目な奴なんだろうなあ、とか。

お堅いだけの優等生だっつーんなら、面白くも何ともねえな、とか。

……興味なぞ持てない筈の男の転校生の値踏みを、クラスメートの質問攻撃をマリアが遮るまで、京一は続けてしまった。

そうしている内に、マリアに促されるまま龍麻は、空いていた、クラス委員長で今年度の生徒会長でもある美里葵の隣の席──京一の席よりも後ろの列の席へ着くべく、通路を歩き始め。

「ん…………?」

気恥ずかしいのか、何処となくそそくさと進んで行く龍麻が己の席近くを通り過ぎた時、京一は、気付いた『それ』に、複雑そうな表情を作った。

──小学五年生の頃から中学へ上がるまで、彼は剣の師匠と生活を共にしていて、その日々の中で、『氣』というモノに付いても、一応は学んでいた。

人だけではなくて、万物の全てが持ち得る氣のこと、それを、戦いの技として利用すること、それらも。

それ故に、その気になれば彼には他人の氣を探ることが出来、だが今は、そんなことをするつもりなぞこれっぽっちもなかったのに、傍らを通り過ぎて行った龍麻から、探らずとも感じられる、一般的な人間の氣とは少しばかり違うらしい氣を感じてしまったから。

「……変な奴」

何だ? こいつ、と。

複雑な表情を拵えた直後、席に着き、真新しい教科書とノートを鞄から出している龍麻を振り返って、京一は顔を顰めた。

そして、気になった。

他人と違う氣を人が持ち得る理由、それは幾つかあるけれど、龍麻という彼は、その幾つかの理由のどれに当て嵌まるのだろう、と。

……だから。

考え込むくらいなら即行動、がモットーの彼は、一時限目の授業が終わり、休み時間になったら、こっちから話し掛けてみるかと決め。

授業の始まりを告げるチャイムの音がスピーカーから鳴り響くと同時に、ノートを開き、その前に教科書を立て、居眠りを決め込んだ。

運良くバレなかったのか、それとも毎度のことだと教師にも見捨てられたのか、一時限目の間中、誰にも咎められることなく居眠りを続けた京一は、授業終了のチャイムが鳴り、辺りがザワザワと騒がしくなってやっと。

「んあ……?」

情けない声を上げて目を覚ました。

……えーと。何だっけかな。…………ああ、そうか、授業が終わったのか。あーーー……。そうだそうだ、緋勇、緋勇、と。

寝惚けた頭でキョロキョロとクラスメート達を見回し、やっと、ホームルームでの出来事を思い出し、彼は、転校生の席を振り返る。

と、そこでは、龍麻の隣の席の葵と、葵の親友で、京一が年がら年中男女扱いしている桜井小蒔が、龍麻を捕まえ、挨拶と言葉を交わしていた。

聞き耳を立ててみれば、その会話は葵と小蒔、特に小蒔の一方的なそれで、転校生に与えるには極一般的と思える言葉を、若干頬を染めつつ葵は掛けており、誰にでも平等がモットーな筈の、学園のマドンナと有名な親友が、珍しく男性相手に頬を赤くしているのを見て取り、これは脈有りとでも思ったのか、己も、己の恋愛のことには疎いのにお節介を焼いて小蒔は、「好みの女性のタイプは」だの、「葵のことをどう思う?」だのと捲し立てて、龍麻を困らせている風だった。

──よ、転校生」

そんな少女達の巻き起こす嵐が過ぎるのを待って、京一は龍麻の傍に寄る。

「えっと……」

「俺は、蓬莱寺京一。これでも剣道部の部長をやってる」

すれば、今度は何だろうと、余程先程の『嵐』に戸惑ったのか、困惑の視線を龍麻は長い前髪の中から向けて来て、それを受け止めつつ彼は、至極軽いノリで自己紹介をした。

「蓬莱寺京一、君?」

「……ガキじゃねえんだから、『君』ってのは止そうぜ、緋勇。これから宜しくな。判らないことがあったら訊けよ。教えてやっから」

「…………有り難う。これから宜しく」

へへへ、と今時の高校生らしい『浅い笑い』を京一が浮かべたのにホッとしたのか、龍麻は明るく笑って返して、不意に、ふわぁっと、嬉しそうな顔を作った。

「……どした?」

「あ、何でもない。良くして貰えて嬉しいなあって思っただけだよ」

「そうか? ならいいけど」

前髪の所為で遠目からは窺えなかった、が、今ははっきりと見遣れる龍麻の面──確かに女子共が騒ぎ立てそうだと、京一にも評価出来る整ったそこに、ほんわかとした色が浮かんだことに、少しばかり彼は訝しんだが。

悪い気はしないと、つい調子づいて。

「……緋勇」

目線だけで京一は、一寸顔を寄せろと龍麻に求めた。

「…………? 何?」

その意図をきちんと汲んで、龍麻も京一へと耳を貸した。

「隣の席だから、仕方無いとは思うけどな。このクラスには、うるせぇのがいるから。美里──真神学園の聖女様に話し掛けられても、あんま浮かれんなよ」

ちらっと、『うるさいの』達がいる教室の一角へと視線を流しつつ、椅子に座ったまま身を乗り出して来た龍麻の耳許で、京一はそんな忠告をくれてやる。

「あー……、何となく、言いたいことは判る」

彼が視線を流した先を、龍麻も又見遣って、成程、と浅く頷いた。

「ならいいさ。兎に角、そーゆーこと。大人しくしとくに越したことはないぜ。楽しい学園生活を送る為の、処世術マナーって奴」

「忠告、感謝するよ。有り難う。…………でも、さ」

「ん?」

「たまたま、美里さんが隣の席になったってだけで、因縁吹っ掛けて来るくらい喧嘩っ早い奴って、早々いるのかなあ……」

「だから、『うるせぇの』っつってんだよ、俺は。転校生だろうと、偶然の隣同士だろうと、関係ねえっての、連中には」

「………………成程」

「お、センコーが来る。……じゃ、又後でな、緋勇」

「うん」

京一が与えてやった忠告を素直に受け止めながらも、龍麻は少し納得がいかない風情を見せて、本当に判ってんのか? と京一は肩を落とし。

丁度そこで、チャイムが鳴った。