連れ出される格好で訪れた、体育館裏の寂れた一角には、一本の、とても良い枝振りをした桜の木があった。
木は、校内のどの桜よりも見事な満開の花を咲かせて……──否、咲かせ続けていた。
校門脇や、校庭脇の桜達の中には、もう、散り始めている木も少なくなく、花房を保っている木達も又、花の勢いを衰えさせているというのに、その木だけは、未だに。
だから、自分を引き摺って来た『うるさいの』よりも、待ち構えていた他の『うるさい』連中よりも、佐久間、という名前の、同級生であり、『うるさいの』の親玉である彼よりも、龍麻は先ず、桜に意識を向けた。
正直、『うるさい』連中など、今の彼にはどうでも良かった。
見事な花を咲かせ続ける、とても良い枝振りの桜の木の方が、余程重要だった。
桜そのものと。桜の花そのものと。
桜の木から洩れて来る、真夏の太陽の如き、氣。
その方が、遥かに。
佐久間達が葵のことを引き合いに出して、ああだこうだと言っているのが聞こえない訳ではなかったし、病院送りがどうのと、物騒な科白が飛び出しているのも判ってはいたが。
初めてこの学園を訪れた時、通学路で感じた氣。
今日、京一に話し掛けられた時にも感じた氣。
それが、今この場にもある、ということの方に、どうしても彼は意識を引かれて、ぼうっと、佐久間達の言葉を聞き流した。
……その態度が、『うるさいの』達の神経を逆撫でしているとも思わず。
神経を逆撫でされた憤りを、朝から抱えていたお門違いな憤りに乗せて、『うるさいの』達が、生意気な転校生を叩きのめそうと動き出しているのもそっちのけで。
「転校生相手に、ちぃっとおふざけが過ぎるんじゃねえのか?」
………………と。
ぼうっとしている龍麻の風情も、『うるさいの』達の憤りも、全て遮る声が、桜の木の枝の間からした。
「…………蓬莱寺」
その声の主を、一同は見上げ。
龍麻が呟くよりも早く、佐久間がその名を言った。
「蓬莱寺。お前、転校生の肩を持つのか?」
「さあね、どうだかな」
「………………丁度いい。お前も、前から気に入らなかったんだ」
桜の木を見上げ、太い枝に寝そべるようにしていた京一へ、渋い声を佐久間が洩らせば、茶化しているような科白が京一から返り、ならば、と。
佐久間は、お前も一緒に片付けてやると、そう息巻いた。
「……よっ、と」
すれば京一は、じっと佐久間の顔を見詰めた後、軽やかに木から飛び下り。
「奇遇だなあ、佐久間。俺も前っから、お前の不細工なツラが気に入らなかったんだよっ」
心底愉快そうな顔をして、心底愉快そうな声で、佐久間へと言い放ち、竹刀袋の中から木刀を引き抜き構えると。
「緋勇! 俺の傍から離れんじゃねえぞっ!」
龍麻が売られた喧嘩を自分が買ったと言わんばかりに、五人の同級生へ挑み掛かって行った。
「あっ! 一寸待って、蓬莱寺っ!」
まるで小踊りしている風な京一の背中を慌てて追い掛け、龍麻は彼に並ぶ。
「傍から離れんなとは言ったがよっ。んなに近付いたら、お前まで巻き添え喰うだろうっっ」
「だけど! この喧嘩、売られたのは俺だしっ。俺だって別に、喧嘩が出来ない訳じゃないしっ」
「……緋勇、お前………………。…………大丈夫そうだな。じゃ、半分任せるわ」
肩を並べ、佐久間達へと拳を振り上げた龍麻を横目で見遣って、京一はぶつくさと文句を垂れたが、己の木刀が一人目を伸すと同時に、龍麻の拳がもう一人を伸したのを見て、じゃあ、仲良く半分ずつな、と。
あっさり彼は龍麻に背を向け、少し離れた所の『うるさいの』の一人へ走って行った。
「半分、でいいのかなあ……」
でもそれって、お人好し過ぎないか? と思わなくはなかったものの。
半分ずつと言うなら、まあ……、と。
龍麻も又、己のノルマを果たす為、『うるさいの』の一人に近付き。
大した時間も掛けずに、京一が二人、龍麻が二人、と『うるさいの』を伸して、佐久間へは、仲良く一発ずつをくれてやって、彼等は喧嘩を終えた。
……否、終え掛けた。
一撃ずつを貰い、地にへばりはしたものの、佐久間の憤りは萎んではおらず、再び立ち上がる様子を見せたが、そこへ、恐らくは杏子から事情を聞いたのだろう葵が、その日一日授業には出なかった、醍醐雄矢という、この学園の総番でもある同級生を連れて来たので、レスリング部所属の佐久間は、同じ部の部長である醍醐の言葉を聞き入れた格好を取って、去って行った。
「君も、余り粋がらない方がいい」
──佐久間が行ってしまうのを待って、醍醐は龍麻にも言う。
……毎度のことだとでも思っているのか、京一への彼よりの嗜めはなかった。
だが、何処となく咎める風な醍醐の様子も直ぐに消えて、ふいっと、新しい同級生へ向けるに相応しい表情を湛えると。
「ようこそ、真神学園へ。……ああ、この学園の、もう一つの名前を教えよう。……ここは、魔人学園と呼ばれているんだ」
自分はお堅い性格です、と宣言している如くの口調で彼は、この学園の別名を、龍麻へと教えた。