その日彼等が、老朽化を原因に取り壊しが決まり掛けている、立ち入り禁止の旧校舎へ赴いたのは、一寸した事情があってのことだった。
その日──京一と龍麻が、佐久間と戦った、二日後。
────佐久間達との一戦を、実の処最初から見ており、龍麻の使う技とその強さに興味を持った醍醐が、前日、立ち合いを彼へと申し込み、野次馬兼審判を決め込んだ京一の見守る中、レスリング部々室を舞台に行われた立ち合いに勝利を収めたのは龍麻で、でも。
腕っ節の方は確かな割に、どうやら、何事に対しても深く考え過ぎる気配の感じられる、何処かおっとりしている龍麻が、醍醐から吹っ掛けた立ち合いとは言え、知り合ったばかりの同級生を伸してしまったことを、内心では気にしているんじゃないかと気遣い、放課後、校門に先回りして京一は龍麻を捕まえ、お気に入りのラーメン屋、王華へと誘った。
ラーメン屋への寄り道に、醍醐も誘ってあること、彼もそれを楽しみしていること、それも京一が龍麻に告げれば、龍麻は嬉しそうにはにかんで、良かったと、京一が想像した通り、醍醐との立ち合いの結果を気にしていた風な素振りを窺わせつつ胸を撫で下ろし、だから、これで屈託なく、と男三人肩を並べて王華へ行こうとした処へ、食いしん坊の小蒔が割り込んで来て、結局そのまま、四人でラーメンを食べに行くことになって。
………………そこまでは、何でもなかった。
極普通の高校生の、よくある放課後の一コマだった。
何味のラーメンが好きだとか、他愛無い話をしながら注文したそれを啜っている最中、そこにシケ込んだ同学年のカップルが、そのまま行方不明になっているらしい話を聞いて、校内新聞の真神新聞一面トップをその記事で飾る為、生徒会長という立場故に、旧校舎の鍵も教師達から借りられる葵に付き合って貰って、件の場所に取材へ乗り込んだ杏子が、「大変よ!」と叫びながら飛び込んで来た時も。
そういう事情で共に旧校舎へ行ったら、見たこともない赤い光の一団に襲われて、それから逃げている間に葵の行方が判らなくなってしまったから、一緒に来て探して欲しい、と慌てふためく彼女に、龍麻達四人が懇願された時も。
未だそれは、『常識』の範疇だった。
…………………………なのに。
立ち入り禁止のそこは、立ち入り禁止であるが故に、良く言えば、恋人と『こっそり愛を育みたい』真神の学生達にとっては絶好のスポットだったから、教師達は知らぬ、が、誰にでも入れる大きな穴が、校舎裏側の塀の一部に空いており。
杏子の案内で、そこより中へと忍び込んだ彼等が、程無くして、床の痛んだ教室の一つに倒れている葵を見付けた辺りで、段々、彼等を取り巻く風景は、『常識』から逸脱し始めた。
……気を失い、床に倒れ伏す葵は、何故か透明感の強い青色の光に包まれていた。
しかもそれは、杏子と葵の二人を襲った光とは全く違うと言う。
故に、彼等は唯々首を傾げた。何が起こっているのか、誰にも理解出来なかった。
けれど、無事に葵は見付かって、意識も取り戻したから、不可思議なことは一旦頭より追い出し、良かった、と彼等は安堵して、余り気分のいい所ではないし、危険だから早々に立ち去ろうと言い合い──特に、幽霊の類いが苦手なことを、京一以外にはひた隠しにしている醍醐が積極的に主張した──、『秘密の出入り口』を、六人は目指し始めたが。
葵を見付けた教室を出もしない内に、ピクリと、京一と龍麻と醍醐の三人が、肩を震わせた。
…………彼等は、一斉に感じたのだ。己達目掛けて飛ばされる、不穏で不気味な氣を。
しかもその気配──正体は、到底普通の蝙蝠とは思えぬ凶暴な蝙蝠だった気配は、喧嘩や戦いなど一度もしたことがないだろう少女達をも連れているが故、逃げの一手を打とうとした彼等の先を塞ぐように、間髪入れずに襲い掛かって来た。
その為、仕方無し、杏子と葵を逃がし、少年達三人は、自分も戦うと言い張ってその場に残り、学校帰り故に携えたままだった、弓を構えた小蒔──弓道部部長の彼女をも含めた四人で、蝙蝠の群れに立ち向かい。
最終的には、一度は逃げたものの、どうしても彼等のことが気になって戻ってきてしまった葵も含め、五人で以て戦い、蝙蝠達を退けたのだけれども。
………………その時には、もう。
彼等を取り巻く全ては、完璧に、『常識』や『日常』より、逸脱し切っていた。
「この蝙蝠達も、おかし過ぎると思うけど…………」
彼等に倒され、死骸となり床に落ちた蝙蝠を、戦いが終わってより戻って来た杏子は、酷く真剣に凝視してから、龍麻達五人を見比べた。
「……けど、何だってんだよ、アン子」
「おかしいって言うか……、あんた達のその『力』、何…………?」
「知るか、んなこと。俺達が訊きたい」
しかし、杏子の問いに答えられる者は誰もおらず、何処か苛立った口調で京一が吐き捨てた。
………………人の生き血を吸う、しかも、明らかに人を殺すことを目的としてそれを行おうとした、只の獣とは思えぬ蝙蝠──言い換えていいならば、化け物、を。
どうして自分達の力だけで退けることが出来たのか、小蒔や葵は固より、荒事に慣れ過ぎている京一や醍醐にも判らなかった。
どう考えても、異常なことだった。
──京一には、氣を使った戦いが出来る。かつて、師と仰いだ人……今でも、心の奥底では師と仰いでいる男に、幼き頃、その術を学んだから。
醍醐も京一同様、師と仰ぐ老人に、以前その術を学んだことがあり。
龍麻も又、何処で学んだのかは京一にも醍醐にも判らないが、その術が使えるようで。
……が、そう言った、自分達自身で理解している力とは違う『力』が、蝙蝠達と戦い始めた刹那より彼等の内には溢れ始め、氣を使うまでもなく、『化け物』は倒れた。
弓道の腕前の方は、醍醐も、京一もが認める一級品だけれど、『どのような』戦いもしたことなどなく、唯、「ボク達が何とかしなくちゃ」の一念のみでその場に留まり、懸命に、と言うよりは無我夢中で弓を引いていた小蒔もそうであったし。
葵に至っては、蝙蝠の牙や爪が友人達を掠める度、思わず、「あっ……」と手を伸ばせば、その掌より、先程の青い光が迸って、龍麻達の負った傷を瞬く間に癒す、と言った風で。
自分達の身に何が起こったのかなど、誰にも。何一つ。