杏子の問いに、誰もが答える術を持たぬ中。
京一は、ふっ……と、傍らの龍麻へ視線を流した。
彼も又、軽く持ち上げた己が両手を眺め、呆然としている様子だったが。
自分達が抱える呆然と、龍麻の抱える呆然は、少し意味合いが違う気が、京一にはした。
自らの掌を見詰める龍麻の瞳には、何か、悲哀のような物を、彼は感じた。
「……緋勇?」
その瞳の色に、もしや、彼は何かを知っているのでは、と思い、京一は声を掛けた。
「………………ん?」
だが、彼が掌から視線を外し、京一を見上げた途端。
──目醒めよ──
辺りに、声が響いた。
……否、彼等の脳裏に、直接。
唯、響く声は余りにも強く、大きく。
不可思議な『力』とは関わりを持たなかったらしい杏子にも聞こえただけで。
「何だ…………?」
「ヤだ、何これっっ?」
響き始めた声の所為で、醍醐は僅か背を丸め、小蒔は両手で耳を塞いだ。
────目醒めよ────
「嘘……。止めて………っ」
「美里ちゃんっ!? あっ……」
小蒔のように耳を塞いでいた葵も、皆の異変を目の当たりにした杏子も、次々、耐え切れなくなったように、痛んだ古い床の上に倒れる。
小蒔も、そして醍醐も。
──────目醒めよ──────
……響き続ける声はやがて、ガラスの破壊音が幾重にも木霊しているような雑音を伴い始め。
「…………これって…………」
「どうなってやがんだ……っ! あ、おいっ! 緋勇……っ」
何時しか全員が、先程の葵と同じ、透明感の強い青色の光を放っていると気付き、瞳を見開いた龍麻も、友人達が倒れ行く中、自らも意識が遠くなり始め、が、何とか龍麻を視界に留めながらの京一も、床に昏倒した。
…………………………それでも、尚。
ナニモノかの声は響き続ける。
強く。大きく。
旧校舎全体を、揺るがすかのように。
彼等の意識が途切れる、寸前までも。
目醒めよ
…………と。
────彼等が意識を取り戻したのは、何故か、日没後の旧校舎前だった。
気を失った、旧校舎の中ではなく。
今在るのは、校庭の、土の上だった。
「誰が、俺達をここへ……? さっきのあれは、何だったんだ…………?」
「さあな。……判らねえ。何も彼も、判らねえよ…………」
制服に付いた土埃を払いながら醍醐は立ち上がり、逆に、京一はその場に胡座を掻いて座り込んだ。
「何だったんだろうね、葵…………」
「私にも、判らないわ……。……でも、何処にもおかしなことが起きてる感じはしないし、体も変わりなさそうだし……」
「本当に、何だったのかしらね……。それに、何で、あんた達五人はああなって、あたしはならなかったんだろう……?」
パンパンと、スカートの裾を叩きながら立ち、少女達三人は、不安そうに言い合う。
「…………緋勇。……おい、緋勇。大丈夫か? お前」
「あ、うん。平気……。……俺も、さっきのあれは何だったんだろうって、思わず考えちゃって。一寸、起き上がるのも忘れた…………」
そんな中、何時まで経っても龍麻だけが体を起こさず、大丈夫かと京一が声を掛ければ、彼はやっと、苦笑を浮かべつつ半身を擡げた。
「そうか。……なら、いいけどよ……」
「……………………俺達に起きたことが何なのか、気になるのは確かだが。もう、日も暮れた。取り敢えず、家に帰ろう。何時までも、ここでこうしている訳にもいかない」
何処か辿々しくそう答える龍麻の風情は、右も左も判らぬ何かの中に放り込まれたような気分の京一達と全く同一で、先程感じた、緋勇は何かを……、との勘は、俺の気の所為だったかと、京一は口を噤み。深呼吸を一つして、至極真面目な性格の醍醐は、女が一人歩きをしていい時間じゃないと、皆に帰宅を促した。
「そうね……」
「……そうだね。醍醐クンの言う通り……」
彼に諭されるまま、少女達は、旧校舎に入る前、校庭の茂みの中に隠しておいた学生鞄を取り上げ、何とはなし、とぼとぼとした足取りで校門を目指し始める。
「俺達も行こう」
「ああ。…………行こうぜ、緋勇」
「……うん」
その後を、同じく少年達も追い、一行は一塊になって、母校を後にした。
「…………やれやれ……」
──校門へ向かい始めた彼等の背を、旧校舎前の物陰から現れた人物が、秘かに見送っているのも。
その者より、溜息のような声が零れたのも。
その正体が、彼等の学年主任、生物教師の犬神杜人であるのも。
……何一つ、知らぬままに。