──もしかして、この男は、と。
狂刀携える彼と対峙した皆が一様に思った程、男の『人』としての気配は希薄で、肌で感じ取ったその感覚を裏付けるように、男の周囲には、只の野犬とは到底思えぬ、何処か違和感を醸し出す『犬』達が、数匹従っていた。
………………男は、真っ直ぐ龍麻を目指して突き進んで来ていた。
それを見て、無意識の内に葵が、両手を額の前に翳した。
「体持たぬ精霊の燃える盾よ、私達に守護を!」
手を翳したのが無意識ならば、その呪を唱えたのも無意識なのだろう、何処か違う世界を見るような目付きで葵は一息に言い切り、その呪に合わせ、辺りに光が起こって、龍麻の周囲の空間が、薄く色付いた。
「有り難う、美里さん!」
声を張り上げ礼を言い、龍麻は男よりも早く挑み掛かって来た野犬の一匹に拳を振り下ろす。
「緋勇っ!」
そこへ京一が飛び込んで来て、龍麻と背中を合わせるように立ち、死角から飛び込んで来たもう一匹の犬を木刀で薙ぎ払った。
「御免っ」
「いいから、てめぇのことだけに集中してろ!」
咄嗟にそれだけを言えば、京一はそれでも口角を上げて笑って、己とて、自身のことで手一杯だろう中、龍麻を叱る風に叫び、得物を構え直す。
「犬は、それでも伸せそうだけど……」
後ろを京一に任せて再び野犬を蹴散らし、龍麻が直ぐそこに迫っていた男に打ち掛かるも、振り回される刀が邪魔で、彼の拳も爪先も、上手く決まらなかった。
「……そうだな。お前の間合いもタイショーの間合いも、刀相手にゃ、ちぃっときついか。……ま、でも何とかなんだろ」
「そんな、楽天的な」
ならば、と龍麻と体を入れ替えた京一が男に挑んだが、木刀と本身の鍔迫り合いも、余り分のいい話ではなく。
「二人共、大丈夫なのっ?」
そこへ遠目から、野犬と戦う醍醐を盾にした小蒔の放った矢が打ち込まれた。
「お。流石は弓道部々長。小蒔の野郎が、俺の木刀みてぇに年中弓抱えてるような奴で助かったぜ」
その隙に、軽口を叩くことだけは忘れず、京一は再び男と対峙する。
「蓬莱寺っっ! 一人じゃ無理だって!」
「お前だって、一人じゃ無理だろっ!」
「そうかも知れないけど……。…………あ、そうだ! 醍醐。醍醐ーっ!」
慌てて京一に加勢して、が、二人掛かりでも中々決着が付きそうにないのを悟ると、龍麻は大声で、最後の野犬を倒した友を呼んだ。
「何だ?」
「あのさ。二人共、『氣』を練ったりとかって、出来てたよね?」
彼が駆け付けて来るのを待ち、余り自信無さ気に龍麻は言う。
「ああ。出来るぞ」
「おう。お前も出来んだろ?」
けれど、彼の想像を裏切らない答えが二人より返されたので。
「うん。……じゃあさ。それ、あの男に三人分纏めてぶつけてみたらどうかな? ……あ、人間に氣を放ったことはない?」
「………………ある。……あるが、まあ滅多には……。…………だが、そうも言ってられねえ、か」
「そうだな……」
ままよ、のつもりで口にされた龍麻の提案に従い、彼等が男を取り囲めば。
──途端。
明るい陽光のような光が、男の三方を囲んだ少年達の中央から洩れた。
「凄ーーーい! ねえ、今のどうやったのっ?」
──絡み合った三人の氣が生んだのだろう光が男を昏倒させたと皆が気付いた直後、小蒔が走り寄って来て、歓声を上げた。
「…………どう、と言われても…………」
しかし、龍麻は口籠る。
上手く説明出来る自信が無かったから。
「勢いって奴だ」
すれば、庇うように京一が間に入った。
今まで己達が使ってきた氣に、先日、旧校舎にて『得てしまった』らしい『力』が絡み合い、想像以上の威力と技を生んだことを、龍麻は上手く表現出来ないのだろうと踏んで。
「京一も、醍醐クンも! 二人があんなこと出来るなんて、ボク今まで知らなかったよ! 何? あれ」
「……あー……。まあ、その。……氣って奴なんだけどよ……」
「氣? 気功とか、そういう奴の親戚? 凄いじゃないか、どうして今まで黙ってたのさ、ああいうことも出来るって」
「以前、ちょいと習ったことがあるだけだ。滅多なことで人に向けていいもんじゃねえし、自慢するもんでもねえから……」
「うっわ、京一のくせして、格好付けたこと言ってる! ──ねえねえ、醍醐クンも? 誰かに習ったりしたの?」
「………………ああ、まあ、少々、な……」
「へーー。じゃあさ、今度ボクにも教えてよ、いいでしょ? 醍醐クン!」
「それは、構わないが……」
──自分達が『目醒めた』らしい力は、凶器でしかない日本刀を構えた男を、一瞬で昏倒させられるだけの物だったなんて、と。
戸惑いの真っ直中にいた少年達の思いに気付かず、京一と醍醐を捕まえた小蒔は、興奮頻りの様子を見せ。
「誰も、怪我はしていない? 平気?」
その傍らで葵はひっそりと、誰も負傷していないか、それを確かめた。
「それはそうと、あんた達。逃げた方がいいんじゃないの? 人が来るわよ。その内、警察も来ると思うし」
そんな彼等へ、杏子が逃げろと促して。
「お、それもそうか。面倒臭いことになる前に、逃げようぜ。色々訊かれると厄介だしな」
「そうだな。…………あの刀はどうする? そのままにしておいて良い物とは思えないが」
京一と醍醐は、逃走の算段をし始めた。
「あのポン刀なー。……村正、だろう?」
ふと思い出したように告げた醍醐の一言で、男の手を離れ、地に転がった村正の存在を思い出した京一は、流石は剣の道に生きているだけのことはあるのか、『村正』と銘打たれた刀にまつわる曰くを知っているらしい渋い表情で、そっと、柄に触れた。
…………だが、握ろうとも、拾い上げようとも彼はせず、柄に触れた中腰の姿勢のまま動きを止め。
「………………蓬莱寺? どうかした?」
「……あ、ああ。……何でもねえよ」
訝しんだ龍麻の呼ぶ声で漸く我に返ったかのように、村正から手を引き剥がした。
「良くねえなあ……」
「何が?」
「あの刀。……良くねえ」
それきり、もう彼は村正に触りたがらず。
「…………そう?」
何処より鞘を探して来たのだろうか、何故かマリアが、やけに強い色を瞳に乗せつつ、村正を鞘へと納めると。
「はい」
と、龍麻に渡した。
「……え? えっと、先生?」
「ここに置いておく訳にはいかないのでしょう? 貴方達がそんな物を持ち歩くの、私は納得出来ないけれど、そうも行かないというなら、仕方無いのでしょうしね。……だから、緋勇君」
「はあ…………」
「大丈夫よ。今、私が見た物は、私の胸の中にだけ納めておくわ。貴方達には貴方達の、事情があるのでしょうし」
放り投げるようにされたそれを勢いで受け取りつつも、マリアの意図がさっぱり読めない龍麻は、恍けた顔を拵えたが。
「拙い、サイレンだ!」
「げっ。ずらかれ!」
「って、アン子! キミは何で逃げないんだよっっ」
「決まってるじゃない、真神新聞に載せる写真撮って、警察の捜査に協力して金一封貰って、序でにジャーナリストとしての道を抉じ開けるのよっっ。あ、大丈夫、あんた達のことは喋らないから!」
「アン子ちゃん、そんなこと言ってる場合じゃないと思うわ」
「醍醐、アン子の奴ひっ担いで来いっ! お前のガタイなら楽勝だろ? 緋勇、お前も何時までもボサっとしてんな!」
「…………あ、う、うんっ」
「一寸、醍醐君、何すんのよーーーーっ!」
「いいから黙れ、遠野っ! ──バラバラに逃げろよ! 西口のバスターミナルで落ち合おう!」
幸か不幸か、パトカーの鳴らすサイレンが遠くより聞こえ始めたが為、彼等は散り散りになって、新宿駅西口目指して逃げ出した。