それより、彼等の四月は目紛しく過ぎた。
もう、あの、新宿中央公園にての一夜のような出来事など、起こり得ぬし起こり得て欲しくない、と思っていた龍麻達の思いを裏切って、あの夜のことを過去と流せもしない内に、杏子が持ち込んで来た、『人を襲う鴉』に関する調査依頼の話が発端となり、龍麻達五人は渋谷へと赴くことになって、渋谷の路地裏で、その鴉に襲われていた、ルポライターの天野絵莉や、龍麻達と同じく不思議な力に目醒めていた、渋谷区神代高校二年の雨紋雷人と知り合ったり、やはり不思議な力に目醒め、鴉を使役し人々を襲わせていた、雨紋の同級生の唐栖亮一と出会し、唐栖の所業を改めさせようとしていた雨紋と共に、唐栖と戦うことになったり、と。
彼等に、立ち止まることすら許さず、四月は流れた。
が、それでも、下旬の頃には、多少の落ち着きを彼等は取り戻し。
──二日前の二十三日が、醍醐の誕生日だったこともあり。
この先きっと自分達は、この四月に遭遇したような事件に、否応なく巻き込まれて行くのだろうとの覚悟を決め始めた龍麻達五人に、雨紋が仲間として協力を申し出てくれたこともあり。
四月最後の週末の、二十五日土曜日。
親睦会と、醍醐の誕生日祝いを兼ねて、インディーズのバンドで活躍している雨紋が出演する、渋谷のライブハウスを一同は訪れていた。
……どんな事件に巻き込まれようとも、送る日常を確かめたかった、というのも理由ではあったが、要は、何かに託つけて騒ぎたかった、とのそれが本音で。
未だ未だ当分は『お年頃』の彼等は、雨紋達のライブを聴いた後、閉店後の店の一角を借りての打ち上げに混ぜて貰いながら、馬鹿騒ぎに興じていた。
……尤も、明日もライブがあるからと、雨紋のバンド仲間達は早い時間に席を立ってしまっていたけれど、それでも。
「だぁかぁらぁぁぁぁっ! 俺はそんなに酒が強くないって、何度言えば判るんだよ、蓬莱寺っっ!」
「だぁかぁらぁっ! 言ってんだろ! 酒なんざ慣れだ!」
「京一っ! 緋勇もっ! いい加減にしないか、俺達は未だ未成年なのだから、酒は止せとあれ程言ったろうっっ」
空になり掛けているグラスに手で蓋をして、龍麻は京一から逃げ回り、京一は、逃げ回る龍麻を捕まえて、何とかグラスにビールを注ごうと企み、醍醐は醍醐で、飲酒はいかん! と二人の追い掛けっこを更に追い掛けて。
「……ホント、馬鹿だよねー、京一って……」
「小蒔。それは言わないでおいてあげましょうよ。可哀想だわ。楽しい席なんだし」
「…………ねえ、雨紋君。今度、取材させてくれない? うちの新聞で、雨紋君達のバンドの特集記事組みたいのよ。インディーズだけど、凄く人気出てるじゃない? だから。いいでしょう? って言うか、いいわよねっ!」
小蒔は、爪楊枝が刺さったたこ焼き片手に溜息を付いて、ジュースを手に葵は親友を宥め、杏子は、京一達の追い掛けっこを眺めて爆笑している雨紋へとにじり寄った。
「え? 俺様達の?」
「そうよ」
「そりゃ、まあ……。他の連中がいいって言えばいいけどよ」
それまで、真神にも、いい女が多いなー、と鼻の下を伸ばしていた雨紋は、突然、ドアップで杏子に迫られて、思わず仰け反る。
「悪いことは言わない。雨紋、止めとけ。アン子に一遍でもいい顔すると、ケツの毛まで毟られっぞ。何書かれるか判らねえしな」
「何ですってぇぇぇ! 京一、あんたアホのくせに何てこと言うのよっ!」
「本当のことだろう? お前の頭の中にゃ、新聞を売りまくっての銭儲けしかねえの、俺は知ってるんだからな!」
と、そこへ、少し離れた所から、京一の助け舟と言うか横槍と言うかが入り。
「えっ? ……アン子さんって、そんなに凄い記事書くのか……?」
「ああ、そうだぞ。お前んトコのバンドの記事が売れでもしたら、続報、とか言って、お前と俺が槍対剣の立ち合いをした! とか何とか、でっち上げ兼ねねえくらい、質悪い」
「きょーうーいーちーーーっ! どうしてあんた、そんなことにばっかり鼻が利くのよっ!」
「……………………成程。……サンキュー、京一センパイ。今の助言『だけ』は、有り難く受け取っとくぜ」
ちらっと、京一と杏子を見比べて雨紋は、そそっと、追い掛けっこと叱咤に疲れた醍醐の隣へ席を移した。
「……一言余計だ、『後輩』っ!」
「蓬莱寺ー。もう疲れたー。いい加減諦めてくれよーー」
「しょーがねーなー。……今夜は勘弁してやるか」
すれば、それを切っ掛けに足を止めた彼へ、龍麻から泣きが入って、漸く、ドタバタとした騒ぎは終わりを見る。
「はあ……疲れた……」
「お前が逃げるからだ」
「……蓬莱寺がしつこいからだよ」
「酒が呑めて、損になることはねえ」
「…………どーゆー哲学、高校三年生」
「そーゆー哲学だよ」
故に、談笑だけが彼等の間には戻って、ふっ……と。
穏やかな会話からも逃れる風に、京一との話の途中、ジュースのそれへとグラスを持ち替えながら龍麻は、急に遠い目をした。
「……どうした? ホントに疲れたか?」
「…………あ、そうじゃなくって。一寸、この間のこと思い出して」
「この間のこと?」
「ほら、雨紋と初めて会った日にさ、渋谷駅前のスクランブル交差点で、俺とぶつかった女の子いたろう?」
「ああ、そう言えば、そんなこと言ってたな」
「ここが渋谷だからかな。今までそんなこと忘れてたんだけど、急に思い出したんだ。……あの子、何で、俺に名前なんか訊いたんだろうなあ? って、本当に、ふと」
「名前ぇ?」
「うん。俺とぶつかった拍子に、彼女転んじゃったからさ、悪いと思って手を貸したんだ。そしたら、名前教えて下さいって。手、貸しただけのことなのに。……今から思い返してみれば、一寸変な子だったよなー、って」
「………………お前それ、逆ナンされたんじゃねえの?」
唐突に見せられた龍麻の遠い目に、やり過ぎたかと京一は少々慌てたが、語られた話はそんなことで。
呆れたように、彼は言う。
「逆ナン? ……まさか」
「でも、名前訊かれたんだろ? んで、教えたんだろ?」
「そりゃ、まあ。何となく名乗っちゃったけど。……でも、だとしたら益々変だよ? 名前だけしか訊かないなんて。もっと、色々、学校は何処ですかー、とか迫って来たんなら兎も角。…………何だったんだろーなー、あの子……。変な人じゃなきゃいいけどなあ……」
しかし、京一の言い分に、龍麻は納得し兼ねる様子を見せ。
「…………余り無闇に、知らない人に身分を明かしたりしない方がいいと思うわ、緋勇君」
あの、と、珍しく葵が口を挟み。
「葵、それって、小学校の先生みたいだよ」
「……あっ。御免なさいね、緋勇君! そんなつもりじゃなかったの、但、最近は色々物騒みたいだから、って思って……」
小蒔の高い笑い声と、親友の指摘に真っ赤に頬を染めつつの葵の悲鳴めいた声が、閉店後のライブハウスを満たした。