五月の終わり、仲間達とカラオケに行った日から暫くの間。

龍麻は京一と、何度か紗夜の話をした。

結局あの子は何だったんだろう、と。

渋谷のスクランブル交差点でぶつかった処を助け起こしただけで名前を尋ねられ、桜ヶ丘中央病院前で二度程行き会った時には、偶然ですねとやけに親し気に話し掛けられ、醍醐と凶津の事件が遭った頃、抜け道代わりに使った中央公園で彼女が不良に絡まれている処を助ければ、「又こんな風に会いたいな」と迫るように言われ、としていたから。

本当に何だったんだろうと、六月始めの頃、不思議で仕方無いと、龍麻は京一に愚痴めいた科白を洩らした。

「だから、言ったろう? 逆ナンだよ、逆ナン。一目惚れとかされたんじゃねえの? 彼女に」

「でも……。どう考えても辻褄合わないんだよ。彼女さ、桜ヶ丘の前で会った時、友達の見舞いに来たって言ったんだ。…………産婦人科だよ? あそこ。表向きは、だけど」

「お前に会いたくって、あそこまで押し掛けて、で、適当なこと言ったんじゃないか? 恋する乙女のパワーって奴だ、きっと。いやー、憎いねえ、この色男」

「………………だとしたらそれって、ストーカー紛いってことじゃん……。素直に喜べないよ、俺。……ああー、東京は怖い所だー! おとーさーん、おかーさーん!」

が、その度に京一が言うことは、至極単純で簡潔で、納得いかずに龍麻が食い下がっても、京一は龍麻の言うことを茶化したから、彼も又、開き直りの冗談めいたそれで返している内に、紗夜のことは話題に上らなくなり。

不自然とも言える『偶然の再会』もご無沙汰だったから、彼の中で紗夜は、過去の人となり掛けていたのだけれど。

「こんにちは、龍麻さん」

その日、突然姿を見せた、校門前で待ち伏せしていたらしい彼女は。

嬉しそうに近付いて来た。

「…………こんにちは」

えへ、と笑う彼女の姿に、何事、とは思ったものの、理由もなしに邪険にする訳にもいかず、困惑したまま彼は、ぺこっと頭を下げる。

「あの……、龍麻さん。今から私と、デートして貰えませんか?」

「……へっ? デート……?」

「はい。デートです。……私なんかじゃ、嫌ですか……?」

挨拶はしたものの、さて、どうしよう、と彼が思っていれば、紗夜はいきなり、デートを、と申し出て来た。

「ううん、そんなことはない、けど……。でも、何で俺……?」

「龍麻さんとは偶然何度も会えたし、この間は助けて貰ったし、何より私、龍麻さんと色々お話してみたいんです。……駄目ですか…………? あ、あの! 私、しながわ水族館のチケット持ってるんです、二枚。だから、良かったら……。……えっと、今日は何か予定がある、とか……?」

「予定はないよ。……………………うん、いいよ。じゃあ一緒に、しながわ水族館行こうか。俺が相手で良ければ」

──何で? どうして? しかもデート?

……と、言いたくはあったが。

デートに誘って来る紗夜の態度は何処か必死そうで、これが、蓬莱寺が言ってた恋する乙女パワーって奴かなあ、本当にそれだけなのかなあ、でも、女の子に恥掻かせちゃ可哀想だし、比良坂さん可愛いし……、と。

色々疑問はあるが、年頃の少年でもある龍麻は、謎の多い少女が相手ではあるけれども、「デートかあ……」と、ちょっぴりだけ浮かれながら、彼女の申し出を受けた。

「ホントですか? 良かったー! じゃあ、行きましょう、龍麻さんっ」

すれば紗夜は、嬉しそうに笑って、早く行こう、と、彼の腕を引いた。

海の無い県で育った彼はこれまで、余り水族館に縁がなかったので、訪れたしながわ水族館は、どれもこれも、新鮮で面白かった。

水槽を覗いてははしゃぐ紗夜も可愛く思えて、何だかよく判らない謎な子、という印象も、大分薄れ。

水族館を出、近所の公園で一休みをする頃には、彼は極自然に彼女と言葉が交わせていた。

一人ではしゃいでしまって御免なさいと項垂れる様に、優しく首を振ってやれば、彼女は微かに頬を染め、奇跡を信じるか、とか、将来の夢があるんだとか、そんな話を始めて。

何時しか彼女は、己が身の上を語り出した。

未だ幼かった頃。仕事で海外に赴任していた父の帰国が決まり、休みを利用しての遊びがてら迎えに行った帰りの飛行機が墜落してしまい、両親に庇われた自分と兄だけが生き残って、両親は……、と言った身の上を。

その出来事が今も心にあるから、看護婦になりたいと思うのだ、ということも。

「そうなんだ……。大変で、辛い思いしたんだね、比良坂さんも……。……何か御免、こんなことしか言えないけど……」

彼女の身の上話に、二人を繋いでいた雰囲気は重くなり、在り来たりの科白だけれど、と龍麻は顔を俯かせた。

「えっ? そんなことないです! 私の方こそ、変な話しちゃって御免なさい……」

「ううん、変な話だなんてことないよ。……俺も、ホントの両親がいないから、一寸だけかも知れないけど、気持ち判らなくもないし……」

「…………龍麻さんも、ご両親が……?」

「……うん。俺が産まれて直ぐに、亡くなっちゃったって」

「そうだったんですか……。…………私達、一寸、似てますね」

「……そうだね」

ぽろっと、龍麻も又己が身の上を洩らしたら、紗夜は酷く複雑そうに呟き、次いで、似てますね、と。

ほんの少しだけ、嬉しそうに言った。

「でも……。でも、私は………………」

だから、龍麻も又、自分達は似ているのかもと返せば。

急に紗夜は悲しそうな顔をして、バッと立ち上がると、何処へと駆け出してしまう。

「えっ? 比良坂さんっ?」

何か、拙いことを言ったのだろうかと、大慌てで龍麻はその後を追い掛け、裏路地までも踏み込んだが、もう、何処にも紗夜の姿はなく。

「そんなに、変なこと言った覚えはないんだけど……。──……ん?」

戸惑い立ち尽くした彼は、彼女の代わりに、アスファルトの上に、一枚の写真を見付けた。

「比良坂さん……」

拾い上げたそれには、彼女と、知らない青年が映っていた。

面立ちが何処となく彼女に似ているから、知らない青年は、彼女の兄弟か、然もなくば親戚と思えた。

「今度会えたら、返そう」

何かに挟んで持ち歩いていたのだろうそれは、幾度も幾度も取り出されては眺められていたのを示すように、角が少々擦り切れており。

それを学生服の内ポケットに仕舞って龍麻は、一人駅へと向かった。