──1998年 07月──
暦は、七月になった。
……相変らず、『根源』と思える旧校舎での出来事は謎のままで、彼等にとっての節目の一つになったとも言えるのだろう『あの出来事』から、過ぎた時間も細やかだったけれど、学園生活の流れは滞りなかった。
毎年八月上旬に行われる、全国高等学校剣道大会の準備の為、京一は毎日副部長に追い掛け回されたし、中旬に行われるクラス対抗水泳大会のことで小蒔や葵達は日々盛り上がっていたし、醍醐は、仲間達の中で一番、気と話が合うらしい紫暮の実家である空手道場へ、事ある毎にいそいそ通っていた。
『旧校舎詣で』の方も相変わらずで、他校の仲間達も、最近は堂々と放課後の真神学園へ顔を出すようになっており。
紗夜の事件のことが、本当に全て拭い去れた訳ではないけれども、龍麻も、騒がしくて楽しい日々を送った。
学期末試験も待ち構えている、それが終われば、補習さえ喰らわなければ、だが、夏休みもやって来る。
細やかな旅行の予定や遊びの予定を立てたがる者もいたし、六月は出来なかった『宴会』の計画も出た。
皆で海に行こうとか、山の方がいいとか、花火大会に行きたいとか、そんな話も。
しかしながら、どうしたって高校生の悲しさ、夏の間中遊び呆ける資金力はないし、受験生もいるし、何より、何時何処で『事件』に巻き込まれるか判らないのが今の彼等の運命だから、取り敢えずはお手軽に区営プールにでも行こうかということで、『今夏の壮大な遊び計画』は一旦落ち着いた。
────港区芝の区営プールに行こう、と龍麻を誘って来たのは京一だった。
彼曰く、芝のプールは『穴場』で、短大生のお姉様方が多く訪れるから、ナンパには持って来い、なのだそうで。
本当にこいつは、オネーチャン馬鹿だと思いながらも、ここの処ずっと、放課後、副部長に道場へと引き立てられている彼が放つ、「俺の青春ーーー!」との叫びに、若干同情を覚え始めていたから、いいよ、と二つ返事で龍麻は返し、ナンパにも付き合う約束までした。
……京一程ではなくとも、健全な男子たる者、女性の水着姿に興味は無い、と言ったら嘘なので。
が、教室の隅でコソコソと立てていた彼等の、芝プールでオネーチャンをナンパ計画は小蒔に嗅ぎ付けられ、結局何時も通り、五人揃って仲良く、七月最初の週末、プールに行くことになった。
芸はないが、アルタ前で待ち合わせし、最初に龍麻が着き、次に、珍しく遅刻をしなかった京一が着き、うるさい女共を置いて二人きりでナンパに行こうと、諦めの悪いことを言い出して、けれどお約束通り、悪巧みは折よくやって来た小蒔と葵に聞き咎められ、道中、東京タワーに寄りたいだの増上寺へ寄りたいだのと言った、叶っても叶わなくても構わない願望を皆がそれぞれ口にしつつ、辿り着いた芝プールで、彼等は水遊びを始める。
格別に暑い日だった所為か、舞子や亜里沙にミサ、雨紋と知り合った事件からこっち何かと縁のあるルポライターの天野絵莉、担任のマリア、といった面々も芝プールを訪れていて、彼女等とも細やかに言葉を交わしたり。
プールのPRを兼ねたグラビア撮影に来ていた、高校生アイドル舞園さやかを見掛け、興奮し、彼女を間近に見る為に、撮影現場を取り囲む人垣を蹴散らそうと木刀を振り上げた京一を、醍醐と龍麻で羽交い締めにして何とか暴挙を止めたり。
何を切っ掛けにそう思い込む風になったのか、泳ぐ時はゴーグルとシュノーケルを装備するのが当然と信じ、その日も実行した醍醐と、プールサイドにまで木刀入りの竹刀袋を持ち込み、これだけは手放せねえ! と言い張った京一との間で始まった、『何方が馬鹿か比べ』を、「どっちも馬鹿だよ……」と龍麻が切って捨てたり。
俺は、京一と同レベルの馬鹿かとショックを受けつつ水に浸かった醍醐を、京一と小蒔と龍麻の三人掛かりで背後から襲い、水に沈めてみたりしながら。
至極愉快に、彼等は夏の一日を過ごして、新宿に帰るべく、プールの正面入口に向かえば。
楽しかった夏の一日、僅かの間とは言え穏やかだった日常、それに終わりを告げる、事件が始まった。
プールの入口を離れようとした途端、何かが腐っている臭い、としか言えない異臭が漂って来た。
次いで、悲鳴も。
何れも、発生源は出て来たばかりのプールのようで、彼等は中へ取って帰ろうとしたが。
現れた少年がそれを止めた。
如月翡翠という名の少年。
──顔見知りの相手だった。
四月の花見の翌日、適当な理由をでっち上げて処分しようと龍麻と京一が持ち込んだ『村正』を、血の曇りが残っているのに気付いたろうにも拘らず、何も言わずに引き取ってくれた、真神新聞の片隅に広告を出している、東京北区の如月骨董品店の若主人が彼だ。
そんな彼との縁は、一度きりで終わるだろうと龍麻も京一も思っていたが、そうはならなかった。
…………仲間内の間ですっかり定例行事と化した『旧校舎詣で』の際、現れる異形の者達を討ち倒す度、辺り一面に散らばる異形の者達の使っていた得物だったり、異形が取り憑いていた札だったり珠だったりの処分に、随分前から彼等は困り始めていた。
修行という名の戦いが終わる度現れるそれらを、最初の内、彼等は旧校舎地下の各階片隅に積み上げ放置していたのだけれど、段々目に余るようになって、或る日、『旧校舎詣で』を終えた後、日没後の旧校舎前に車座で座り、仲間全員顔付き合わせ、あーだこーだと言い合った果て、物事を長考する癖が全くない京一がキレ。
「使える物は何でも使え、要らない物は売っちまえ、元手はタダのリサイクルだ! 今流行りのエコとやらだ! きっと地球にも優しい!」
と叫び出したから、じゃあ、村正も黙って引き取ってくれた胡散臭い骨董品屋に売り付けてみようか、と話は纏まり、夜の剣道部々室に忍び込み、防具を入れる袋を持って来て品を詰め、男性陣全員でそれを引っ担いで胡散臭い骨董品屋に赴いてみれば、しっかりと値踏みはされたものの、若主人は出所も訊かずに品を引き取ってくれたので、今更、女性陣とて気持ち悪がりもしない、『リサイクル』に耐え得る品以外は、その日より、如月骨董品店で処分されて来た。
故に彼等は、自分達を押し留めた少年を知っており、何故止める、と龍麻達が詰め寄っても、如月は、もう間に合わない、の一点張りで、増上寺が『落ちた』だの、増上寺地下の『門』を開けるのが奴等の目的だのと、龍麻達の誰にも理解出来なかった謎な言葉を吐き、終いには、東京を護るのが自分の一族の義務だから、君達は全てを忘れろと言い残し、去ってしまった。
「……何だ? あの骨董屋。変な奴だなー」
「…………うん。何言ってるか、全然判んなかった」
「俺達のこと説得したけりゃ、もっと判り易く説明しろっての」
「あ、同感。頭ごなしに、忘れろー、とか、立ち去れー、とか言われてもね。知るかって感じ」
人混みの中に消えた如月の背中を見送りながら、京一と龍麻はひたすらに首を傾げたが、何をするよりも早く、パトカーのサイレンが響き始めたが為、これまでの数ヶ月間で培ってしまった習慣に従い、彼等は脱兎の如くその場を離れ、新宿へと舞い戻った。