辿り着いた鍾乳洞の奥地は、不思議な薄明かりが灯っていた。
如月曰く、この真上に当たるらしい芝・増上寺が長年護り続けて来た鬼門は、水岐の手によって、開かれ掛けていた。
……開かれ掛けた門の向こうに姿見せ始めるは、ダゴン。
その完全なる出現を阻止すべく彼等は戦いの構えを取ったが、そこに、品川区の廃屋に突如現れ、炎角と名乗った男と似た鬼面を被った、水角と名乗る女が出現した。
水角は、己も炎角も、『鬼道衆』の一人だと言い、水岐を操って、増上寺下の『門』を開こうとしていたのは自分達だと暴露した。
鬼門は鬼門でも、『鬼道門』と呼ばれる門を、と。
…………誰よりも、それを受け入れられなかったのは、水岐だった。
だが、この世に不要な人間を滅ぼし、世界を海へと還すのだと最後まで言い続けた彼は、水角の導きによって、化け物──鬼へと姿を変えた。
在りし日の、莎草のように。
もう二度と、ヒトには還れぬ姿へ。
「水岐君…………」
……その様に、僅か龍麻の顔が曇る。
「要らねえこと思い出してんな。お前には、この、蓬莱寺京一様が付いてるだろ?」
「……うん」
「どうしても駄目な時は、俺がケツ持ってやる。今まで、互いに背中護って来た者同士だろうが、俺とお前は」
「京一にケツ持って貰わなきゃならない程、情けなくないよ、俺だって。──じゃ、行こうか」
「おう。行くぜ!」
親友の顔に浮かんだ曇りを吹き飛ばすべく、京一がバシリとその背を叩けば、すっと龍麻は顔を上げ。
戦いは始まった。
数多現れた『深き者』、真の異形へと姿変えた水岐、正体の知れぬ水角、そして、召還を阻止しきれなかったダゴン。
それ等との戦いは、少々熾烈だった。
海の神や、水に属する異形と、水の技を得意とする如月の相性は酷く悪く、只でさえ苦戦を強いられたのに、古の昔、聖柩さえ捧げられたという、深き者を従える海神の力は強大で。
でも、下半身が魚のような形をしているダゴンの動きは余り素早くなく、そこに彼等は活路を見出した。
龍麻にしても、醍醐にしても、余り技の射程は長くない。
木刀に氣を乗せて放てる京一が、若干射程にゆとりが有り、一番は、小蒔の矢だった。
故に、彼女の弓が放つ矢での攻撃を盾に、近付いては打ち、そして離れ、を幾度となく繰り返し、やっと、何とか。
ダゴンを追い詰めるに至った。
────深き者達が倒れ行く声も、再びこの世に、と姿見せたダゴンの吐く怨嗟も、水岐の断末魔も、端から人足り得なかったのか、その身を蒼の珠へと変えた水角の悲鳴も。
……何故か、聞くに堪えなかった。
聞くに堪えない声々が消え、辺りを振動が襲う。
「崩れるぞ!」
それを感じ取って、醍醐が皆を促したが、葵は。
戦いの最中、仲間達を護る光の盾を生み、傷付く彼等の体を癒し、としていた時のように、水岐へと駆け寄る。
「……もう嫌。もう、目の前で人が死ぬのを見るのは嫌……。本当に、この道しかなかったの? 鬼になってしまった者を、人に戻すことは叶わないのだとしても。魂の為に、躯を天に還すしか、本当に方法はないの……?」
呟きながら、癒しの呪で右手を輝かせ。
「私達の……私の力は、何の為にあるの? どうして、誰も護れないの? もう……もう、こんなのは嫌…………」
ふっと、彼女が涙を流せば、何処より、雪のような何かが降り始め、鍾乳洞の最奥は幻想的な光景に包まれ、振動すらも止んだ。
「水岐君、しっかりして、水岐君っっ」
………………だが、彼女の願いは儚かった。
もう自分には、母なる海へと還る以外の道はないと言い残して彼は、葵の手の中より、霞となって消えた。
水岐が逝ってしまった直後、鍾乳洞は又揺れ出し、泣き崩れる葵を小蒔が宥めて、這々の体で彼等は地下より脱出した。
「鬼道衆、か……。あいつらの所為で……」
「凶津も、別れ際にその名前を言っていたな。もう直ぐ、鬼が、鬼道衆が、この世を支配する、と」
「……冗談じゃねえ。そんなことさせて堪るか」
「そうだよ! ボクだって、もうこんなのは嫌だよ、あいつら、絶対に許せないっ!」
「そうよね……。……そう、私も、私も許せない…………」
鍾乳洞が崩れ落ちて行く音を、青山霊園の片隅で遠く聞きながら、彼等は皆それぞれ、憤りを吐く。
「……………………取り敢えず、帰ろう。もう時間も遅いし。美里さんと桜井さん、大丈夫? ご両親に叱られない?」
「あ、それは大丈夫だよ、緋勇クン! ボクは部活で遅くなるって言ってあるし、葵も、生徒会の仕事で遅くなるって連絡してたもん。ね? 葵」
「ええ。最近はずっと、水泳大会のことで遅かったから、家は大丈夫」
……憤りは中々消えなかったけれど、何時までもそこに佇んでいる訳にもいかないと、龍麻は皆を促し。
「如月君は?」
「………………そんな心配をされたのは、初めてだ。……僕は一人暮らしだから、気にしなくてもいい。……それよりも、緋勇君。もし良ければ僕にも、あの鬼道衆からこの街を護る手伝いをさせてくれ」
最後に如月へと振り返った龍麻に、振り返られた当人は、自らそう申し出た。
「うん。こっちこそ宜しく」
「わーー、如月クン、ボク達の仲間になってくれるの? だったらこれから、お店の品とか負けてくれる?」
「…………それはそれ、これはこれだよ、桜井さん」
「えーーー、ケチーーーー!」
「無駄な交渉は止めとけ、美少年」
「誰が美少年だっ! 如月クンは、京一と違って正真正銘美少年だけどっ!」
「うるっせーなー、黙れ、小蒔。──それよりも、如月。お前、一人暮らしなんだよな? あの店が自宅か?」
「……? そうだが?」
「おしっ。じゃあ、今月末の集まりの会場は、お前の家なー。先月出来なかった分、今月は派手にやろうぜ、皆ー!」
「ちょ、一寸待て、話が見えないぞ?」
「あ、あのね。私達毎月、何だ彼んだと、仲間同士月末に集まって、親睦会みたいなことをするのが恒例になってしまっているの。京一君が言っているのは、そのことよ」
「だからって、何故家で…………」
「広そうだから、いいじゃないか。極力、迷惑は掛けんようにするし。なあ、緋勇?」
「そうだねー。気を付けるけど、誰かの家でってのは有り難いかも。大丈夫、ちゃんと皆で相談して何か持ってくからさ! 宜しく、如月君。……じゃ、帰ろー!」
「オーーー!」
……その申し出に、皆は気を良くし。
盛り上がりの輪より、如月のみを一人置き去りにして、さっさと予定を決めると彼等は、鍾乳洞での重い出来事を振り払うように、意気揚々と家路に着いた。