龍麻や醍醐と別れた後、京一が向かった先は、二人が想像したような繁華街ではなく、真神学園旧校舎だった。

「悪い、龍麻。ちぃっと、約束破るわ」

決して一人ではそこに潜らない、というのが、龍麻よりの提案で決まった、仲間達全ての約束の一つだったが、旧校舎へ潜り込める抜け穴の前に一人立ち、この場にはいない親友へ詫びを告げると、彼は躊躇いもなく踏み込んだ。

戦前、旧帝国陸軍の施設として使われていたらしい、確かに立ち入りを禁止されても致し方ない『ボロ校舎』の一階隅より、異界と繋がる地下への階段を下りて、木刀を構え、竹刀袋をズボンのポケットに捩じ込み、京一は一人、姿現した異形のモノ達と戦い始める。

初めて龍麻と二人、ここへと探検に下りた頃より数ヶ月が経っても、一体何処まで続いているのか不明な『そこ』を、潜れる限りは、とひたすらに戦いながら、彼は下り続けた。

異形と戦うことにも、異形との戦いそのものにも慣れて、誰の目にも明らかな程京一の実力は上がり、氣を練り上げる早さ、それを木刀に乗せる術、氣と術より生み出される技、敵の氣に対する感度、それらも格段に成長したが、今宵、旧校舎に潜った彼の目的は、修行ではなく『収穫』だったし、雑魚でしかない相手とは言え、数多の敵とたった一人で渡り合う為、氣を練り上げ続けて行くのは今の彼にとっても重労働だし、彼には負った傷を癒す力はないから、目標は、可能な限り深部へ、だけれど、余り深追いはすまい、と決め、程々の所で彼はそれを切り上げ、掻き集めた収穫を手に、旧校舎より出た。

────新宿駅東口にて皆と別れた時、時刻は午後六時近かった。

が、今はもう午後十時を廻っていて、天頂には月があるのに、冷たい秋の雨が降っていた。

「天気雨か……。狐の嫁入りっつーんだっけか、こーゆーの。……嫌な雨だな……」

毎度のように、剣道部より失敬して来た、『収穫』を放り込んだ袋を肩に担ぎ直して、彼は一人、夜の校庭を抜ける。

それより向かった先は、北区王子の、如月骨董品店。

「……邪魔するぜ」

純和風に建造された店の前に彼が立ったのは、もう午後十一時だったが、若主人の就寝時間を知っている彼はガンガンに呼び鈴を鳴らし、如月の渋い顔も物ともせず、店に踏み入る。

「何なんだ、こんな時間に…………」

「客だ、客」

単衣の着流しの上に夏羽織を引っ掛けた、誠風情な姿で、ムスっと店先に座った同学年の少年へ、ドコっと京一は、担いで来た袋を放り投げた。

「…………旧校舎に潜ったのか? 緋勇は? …………まさか蓬莱寺、君、一人で──

──他の連中には、黙っててくれ。特に、龍麻。あいつには、絶対言うなよ。……頼むわ」

突き出された袋の中の品、薄明かりを灯しただけの店先でも見えて来た、あちこちが少々裂けている制服を纏った京一の姿、それらから、如月は事情を察する。

「君の達ての願いと言うなら、そうしてもいいが。……一つ貸しだぞ、蓬莱寺。今度、蔵の掃除でも手伝え」

「おう。掃除くらい、幾らでもしてやらぁ」

「…………で? 君の大のお気に入りの緋勇との約束まで破って、旧校舎に潜って得たこの品を持ち込んだ目的は?」

「……幾らになる? それで」

物問いた気に見遣って来る如月と、対価は蔵掃除な契約を交わし、京一はドスンと、店の上がり口に陣取った。

「………………こっちへ。そういう客だと言うなら、茶くらい淹れてやる」

「サービスいいじゃねえか」

如月の目には、何処までも粗野と映る仕草で居座った彼を、荷物と共に座敷に通し、茶を淹れ、少々の時間を要してから。

「ま、こんなものだな」

彼は、弾いた算盤を京一の前に突き出す。

「相変らずケチくせぇなあ、骨董屋っ。俺とお前の仲だろうっ」

「何時、僕と君が、どういう仲になったと。……商売は商売だ」

「……チッ。アン子みてぇなこと言いやがって……。──……如月。それで手に入る、刀、あるか?」

「…………刀? 本身の? それが君の目的か?」

「そうだ。……あるのか、ないのか。どっちなんだよ」

「なくもない。……が、尋ねていいか、蓬莱寺。……何か遭ったのか?」

あくまで、店と客という関係だけを考慮して弾いた金額に、京一が渋い顔をしながら本題を告げると、今度は如月が顔色を変えた。

「少しだけ、な。……事件が遭った訳じゃなくて。俺の、心境の変化って奴が」

「……白状しろ。蔵掃除二回で、今夜のことは全て、緋勇達には黙っててやる」

「……………………。……今までな。俺は、目の前の敵を倒すことだけを考えて来た。何が始まりだったのかなんて、誰にも判らねえだろう内に、俺達の周りには戦いがあることが当たり前になってて。東京の街を護るとか、俺達の敵が鬼道衆だとか、そんなこと、俺にとっては、後から付いて来たことでしかなかった。でも、昨日今日で、織部神社の巫女さん達や、白蛾翁とかいうジジイに、龍脈がどうの、風水がどうの、鬼道がどうの、なんて話を聞かされて。一寸、な。俺達のやってることが、東京の街を護ることに繋がるとか、鬼道衆相手の戦いだとかが、俺の中で大きくなってな。………………でも」

「……でも?」

「…………こんなこと、絶対言いたくねえし。龍麻にも白状してねえことを、何でお前相手に、とは思うけど。ご大層な理由の為に戦える程、俺は……俺は未だ、強くない、多分。だけど、今の俺達の周りには、ご大層なことかも知れない戦いがあるのが当たり前だ。だったらせめて、道具に頼るしかねえじゃねえか」

『他人』ならいざ知らず、誰の目にも──如月の目にも、京一が誰よりも大切な友と位置付けていると映る龍麻と交わした約束を破ったことが、既に余り尋常ではないのに、今まで決して手放そうとしなかった、愛用の木刀と決別し、刀を、とすら京一は言い出し、そんな彼が、未だ仲間達のことを、『友』ではなく、『戦いを共にするだけの仲間』としか扱うことの出来ていない部分が、その内面の多くを占めている如月ですら気になって、思う処を白状させてみれば。

普段の、底抜けに明るくて、馬鹿で、オネーチャンのことしか語らなくて、けれど周囲のムードメーカーな『京一』は鳴りを潜め、目の前の男は、本当に『蓬莱寺京一』か? と疑いたくなる程、真摯な顔、真摯な声で京一は『白状』をした。

……恐らく、語られたことが『理由』の全てではなかろうが、理由の一端であるのには間違いなさそうで、それくらいは告げぬと、如月が納得しないと彼は思ったのだろう。

「……極めれば、木刀だって、何でも叩っ斬れる。でも、俺には未だそこまでは。…………なら、何を、誰を、斬ることになっても、『確実に斬れる』得物を。……そうするっきゃねえだろ」

「………………蓬莱寺。君は……──────……少し、待っててくれ。蔵から取って来る」

己に言い聞かせるように言い続ける彼に何かを問い掛け、が、それを飲み込み、すっと立ち上がって蔵へと向かった如月は、一振りの日本刀を携え戻って来た。

「これなんか、どうだい?」

「………………いいのか? 到底、あの値段で買える刀じゃねえだろう? これ」

「問題無い。君達が家に持ち込んで来る品の代金を、緋勇に頼まれて、家で管理してるのは君も知ってるだろう? 必要に応じて、皆の武器だの防具だのを仕立てたり修理するのに、使ってくれと。……君の木刀を、僕は今まで一度も弄ったことはないからね。その分で」

渡された刀は、数時間で稼げた金で賄えるとは到底思えぬ見事な品で、京一は訝しんだが、今までの経緯で帳尻は合う、と如月は答えた。

「悪りぃな。……っと、そろそろケツ上げねえと、終電か。──じゃ、又な。茶、ごちそーさん」

「ああ、又。緋勇に宜しく」

木刀を収めてある竹刀袋に、無理矢理刀を押し込んで帰って行く京一を骨董品店主は見送り、薄くだけ灯していた店の灯りを落とし、戸締まりをし、でも、玄関口に佇みながら、ふと考え込む。

…………去って行った彼に、問うてみたかった。

そうとまで決めたのは、何の為にだ、と。

以前、己へ向けて、一人、背負った使命の為に死にでもしたら、それこそ下らないと言い切った彼に。

──京一がそれでも白状して行ったことは、正しく『覚悟』だと如月は受け取った。

『何か』の為に『何か』を殺すことになっても、という覚悟だけではなく、それ程の覚悟で挑まなければ、己も又朽ち果てる、と言った類いも含まれた覚悟。

……蓬莱寺京一という男が、鬼道衆との戦いや東京を護ることだけに自らをも懸けるとは如月には思えない。

だとするなら彼は一体、それだけの覚悟を決めて、何を護ると定めたのだろう。

…………それを如月は、彼に問うてみたかったが。

答えが返されることはないだろうとの予感に従い、先程それを問うこと止めた彼は、今又、その予感に従い、その場に佇み続けることも止めた。