京一が、旧校舎に一人潜っていた頃。
家路を急いでいた醍醐を呼び止める者がいた。
誰だと振り返ってみれば、そこにいたのは、行方不明となっている佐久間の手下の一人で、ん……? と醍醐は顔を顰め、そんな彼に、相手の少年は、赤くて四角くて小さい物を放り投げて寄越した。
…………醍醐が小蒔に渡した、お守りだった。
「これは……。……貴様っ!」
「佐久間さんが、体育館裏で待ってるぜ」
怒りに頬を染めた彼へ、少年はそれだけを告げ、消える。
「…………桜井……っ!」
去った彼は追わず、お守りを握り締め。
醍醐は真神学園へと走った。
「待ってたぜぇ、醍醐……」
駆け付けた学園の体育館裏には、確かに佐久間がいた。
部の打ち上げに行く途中か、打ち上げの帰り道かに捕まえたのだろう小蒔を、その足許に転がしながら。
「桜井! しっかりしろ、桜井っ!」
体中のあちらこちらも、顔も殴られ、セーラー服の胸許をも引き裂かれ掛けた痛々しい姿で横たわる小蒔に、彼は駆け寄ろうとする。
「醍醐クン……。…………あっっ……!」
しかし佐久間は、彼女の髪を掴んで引き摺り起こすことで、醍醐の動きを止めた。
「桜井……。──佐久間っ、貴様っ!」
「こいつはなあ、俺を叩きやがったんだよ。生意気な男女のくせに。……こんな女の為に、ノコノコやって来るなんてなあ、醍醐」
「佐久間! 桜井を離せっ。離すんだっ!」
「うるせえ! 俺に命令するなっ! 俺はもう、お前の手下じゃないんだ!」
「待て、佐久間、俺はお前を手下だと思ったことなど一度も──」
「──うるせえってんだよ! お前なんか、善人面した裏切り者だ! ……お前は…………お前……あんたは……、あんただけは、俺のこと判ってくれると思ってたのに……。……それを、裏切りやがってっ! 俺にはもう、何処にも行く所なんかねえのに!」
狼藉を止めようと再び醍醐は動き掛けたものの、小蒔を盾にされた上、聞きたくない言葉も突き付けられて、彼は留まる。
醍醐は一度だって、佐久間を手下などと思ったことはない。
同級生で、同じ部活の仲間だと思っていた。
何を以て、裏切った、と言われているのかも判らないし、自分のことを判ってくれると思ったのにそうではなかった、と言うのが、何に起因しているのかも判らなかった。
……でも。
佐久間が叫んだそれは、約三年の年月を隔てて二度戦った凶津が、彼へ──醍醐へとぶつけて来た想いに似ていた。
そのもの、と言っても良かった。
一度目は、自首させる為に戦って、二度目は、その暴挙を止める為に戦って、戦いを経ても、それぞれがそれぞれに向けた想いを行き違えさせてしまった彼。
二度目の後、一度目の後と同じく少年院へ収監されるのだろうと思っていたのに、だから、何時の日か自分達の関係もやり直せると思っていたのに、戦いの数日後、惨殺死体となって発見された、凶津。
『何者』かより『力』を得たのだと言っていた彼は殺され……、恐らくは、その『力』を与えた者に殺され、もう二度と、逢うことは叶わない。
………………そんな彼が、二度の戦いでぶつけて来た想いに、佐久間のそれは等しくて、醍醐は僅か俯いた。
「俺はなあ、もう、昔の俺じゃないんだ。俺は、『あいつら』から『力』を手に入れたんだ! ……醍醐、今までの恨みを晴らしてやる。お前を、ぶっ殺してやる。お前も、この女も、緋勇も蓬莱寺もだ! そうすれば、美里は俺の物になるっ。……ああ、もう誰も、俺に敵いっこねえんだからな!」
「佐久間……。……佐久間、今なら未だ……」
だが、再度の佐久間の言葉に、醍醐は何とか一歩を踏み出して。
「動くな! 動いたら、この女の顔に一生消えない傷が残るからな……」
制服のポケットより取り出したナイフの先を、佐久間は小蒔に押し付けた。
「逃げて……。醍醐クン、逃げてっ! こいつ、普通じゃないんだよ! さっきだって……──」
「──黙れ、桜井っ!」
故に、醍醐の動きは又止まり、己の所為で、と小蒔は、痛みを堪えながら彼に訴え。
──────その時。
何処より、声がした。
醍醐の頭の中で。
彼の頭に直接響いているのに、小蒔にも佐久間にも聞こえた声が。
『目醒めよ────』
……と。
初めて旧校舎に足を踏み入れたあの時、同じように皆の脳裏に響いた声が。
「う…………あ……、ガッ…………」
声が掻き消え、何が、と佐久間が狼狽えた途端、見開かれた小蒔の瞳には、急に苦しみ始めた醍醐の姿が映った。
「醍醐クン……、醍醐クンっっ!!」
…………声の所為だ、と。
きっとあの声の所為だ、醍醐クンが苦しみ始めたのは、と小蒔は思ったが。
『目醒めよ────』
無情にも、声は再び響いた。
すれば一層、醍醐の苦しみは増して、苦しみの呻き声は、獣の咆哮の如きそれに変わり、彼の体は、人と虎とを混ぜたような姿に変わった。
「醍醐クン…………?」
「ひっ……。ば、化け物…………っ! ……え、……あ……、うわああああっ!」
呆然と、小蒔は醍醐の名だけを呼び、醍醐の変化に驚いた佐久間は慌てて逃げようとしたが、佐久間自身の体も鬼と化した。
先程響いた声とは違う誰かの、『変生を』、の言葉と共に。
「ウォォォォォ……!」
鬼と化し、何時しか鬼面の者達をも従えた佐久間へ、獣のような姿となった醍醐の咆哮が浴びせられた。
そして。
……その咆哮と共に地を蹴った醍醐は、瞬く間に、鬼面の者達と佐久間だった鬼を、獣の如き爪で屠った。
異形のモノ達を裂く音の後、悲鳴が上がり、断末魔の叫びが上がり。
「……………………醍醐、クン……」
その場に崩れるように座りながら、彼の名を呼ぶしか出来ない小蒔が、ふっと気付いた時には、人の姿に戻った醍醐は、何も残さず、塵となって消えて行った『佐久間』や異形のモノ達が立っていた場所に、這いつくばるようにしていた。
「醍──」
「──来るな! 来るな、桜井っっ! ……来ないでくれ………………」
そろり立ち上がり、小蒔が近寄ろうとすれば、醍醐は苦悶に満ちた絶叫を放って。
「で、でも……」
「俺は……俺は佐久間を……。佐久間を…………っ……」
バッと立ち上がり、何処へと駆け出す。
「醍醐クンっ! 何処行くのさっっ! 醍醐クンっっ! ……醍醐クン……」
「……さようならだ、桜井…………」
去ろうとする彼を、声の限り小蒔は呼んだが、醍醐は。
一度だけ立ち止まり、振り返りもせず別れを告げ、夜の校庭に消えた。
………………空には、満月があるのに。
何時しか、雨が降り出していた。