西新宿の外れの、竹林の中に佇む龍山の庵へ新宿駅から向かうには、新宿中央公園を抜けて行くのが一番早いと、王子より戻り、公園内を駆け抜けていた二人は、やはり先を急いでいた葵と小蒔と行き会った。

「京一君! 緋勇君っ!」

「醍醐は多分、龍山のジジイんトコだ!」

「うんっ。ミサちゃんに占って貰ったら、ミサちゃんにもそんなこと言われたっ」

「急ごうっ。出来るだけ急いだ方がいい、絶対」

駆ける足も止めぬまま、目指す場所は龍山の庵であるのだけを確かめ合い、四人は走るスピードを上げたけれど。

急に、京一は先を争うように走っていた小蒔の襟首を引っ掴んで止め、止まり損ねそうになった葵の腕を龍麻が取って、自分と京一の後ろに押しやった。

「…………急いでんだよ。邪魔すんじゃねえっ!」

「下がってて、桜井さんも、美里さんも」

敏感に、何かの気配を察したらしい京一は、竹刀袋を突き出し宙へと叫び、龍麻は少女達を庇いながら、制服のポケットから手甲を取り出す。

「……我が名は、岩角」

その二人の前に、すう……っと、一人の大男が姿を現し、名乗った。

鬼道衆の一人である、と。

自分達は、或る女を捜している。それをするのに邪魔なお前達を倒す、と。

「倒す、か。……へへへ。やってみろよ。雑魚がどれだけ束になって掛かって来たって、俺達にゃ敵わねえぜ?」

「……急いでるしね、俺達」

「おうよ。忙しいんだ、俺達は。なあ、龍麻? ────美里! 小蒔! こいつらは俺達が引き受けるっ。だから早く、醍醐の所に行ってやれっ!」

一人が欠けている今なら、お前達を、と、ジリジリ近寄って来る岩角と鬼面の者達に、キッと眼差しを向け、京一は怒鳴る。

「……わ、判ったっ! ──っ、葵っっ?」

「きゃっ!」

が、駆け出した小蒔と共に行こうとした葵の前に、鬼面の男が近付き行く手を塞ぎ。

「葵ーっ!」

「小蒔、行って! 私は大丈夫、私もここに残って戦うから、小蒔は早く醍醐君を!」

「う、うんっっ! 必ず、必ず醍醐クン連れて戻って来るから! それまで、待ってて皆っ!」

葵の叫びに背を押され、小蒔は一人で走り出した。

「行かせるか!」

「桜井さんの後なんて追わせないよ。あんた達の相手は、俺達だ」

「楽しませてくれるんだろう? ……さあ、やろうじゃねえか、俺達で」

醍醐の許へとひた走って行く彼女を、一人の鬼面の男が追おうとしたが、少年二人はそれを制し。

龍麻は両手に嵌めた手甲を打ち鳴らし、京一は刀を取り出した竹刀袋を投げ捨て。

「四つの顔持つ蛇の輝ける輪よ、私達に守護を!」

葵の呪法の声は響き、日没後、新宿中央公園が舞台の、戦いの火蓋が切って落とされた。

初めて訪れた時、「パンダがいそうだ」と無邪気に思った程広い竹林の中を駆けて、駆け続けて、その勢いのまま、小蒔は龍山の庵に飛び込んだ。

「おじいちゃんっ! 醍醐クンいるんでしょうっ!?」

──……おるよ」

膝に手を付き、肩で息をしながら叫んだ彼女に、部屋の片隅に踞って、呪を唱えていた龍山は振り返る。

「ここに、おる」

すっと彼が立ち上がったら、その角の暗闇から、壁に凭れ、項垂れるように座る醍醐の姿が現れた。

「醍醐クン! どうしちゃったの、醍醐クンっ。しっかりしてよ!」

微かにだけ唇を開いて、焦点の全く合っていない瞳を宙に彷徨わせている彼の傍らに寄り、小蒔は肩を揺すった。

……反応は、なかった。

「おじいちゃん、醍醐クン、どうしちゃったの……?」

「…………一昨日、ここの庭先に倒れているのを見付けてな。何とか事情は語らせたが……それ以来、ずっとこうじゃ。──醍醐は、心を何処かに飛ばしてしまったのじゃよ。背負った『力』による変生を突如迎えて、それを嬢ちゃんに見られて、我を失ったんじゃろう。……要するに、自分の殻に閉じ篭ってしまったんじゃ、この馬鹿者は」

「そんな……! …………っ。ねえっ。戻って来てよ、醍醐クンっ。こっち見てよっ! 皆、醍醐クンのこと待ってるんだよ。醍醐クンが戻って来るって信じて戦ってるんだよっ! 醍醐クンってばっっ! 何で自分の中になんか閉じ篭るのっ? ボクに見られたからって、何でっっ? 醍醐クンは、ボクを助けてくれたんじゃないかっっ!! ……醍醐クンっっ。ボクのこと見てよっっ!!」

龍山の告げることを、信じたくないと小蒔は、醍醐の体を揺すり、叫び、としたが、彼は変わらなかった。

だと言うのに、そんな中、独りでに、庭に面した障子が開け放たれ、振り返った小蒔と龍山の眼前──庭先に、ふわり、と鬼面を被った男……そう、炎角が浮かび上がる。

「白虎の力に目醒めしその者、貰い受けに来た。我等が悲願の為、龍脈を乱す為」

「ふざけるな! 醍醐クンを渡したりなんかするもんかっ!」

「渡されずとも、貰い受ける。小娘、貴様も、龍山も殺してな」

「……儂と、嬢ちゃんを殺す、とな」

煙のように現れ、鬼面の中で笑いを洩らす炎角に、小蒔は怒鳴り、龍山は途絶えさせていた呪を再び唱え始める。

「………………くっ。老いぼれのくせに、龍山っ!」

彼の唱える呪は、結界と代わりとなるのだろう、庵の中に踏み込もうとした炎角は、呪が流れ始めた途端、苦悶の声を上げた。

「嬢ちゃん、今の内に、醍醐を連れて逃げるんじゃ」

「嫌だっ! おじいちゃんこそ、醍醐クンを連れて逃げて! ボクがあいつと戦う! 醍醐クンは、ボクを護ってくれたんだ。今度はボクが、醍醐クンを護るっ! 炎角っ。ボクが相手だっ!」

この隙に、醍醐を連れて逃げろと言う龍山へ、小蒔は嫌だと叫びながら。

あの時醍醐クンが姿を変えたこと、ボクが気にしていないって判らせることが出来たら、もしかして……、と。

ままよ、と小蒔は醍醐の唇へ、掠めるように自らのそれを重ね、弓と矢を手に、靴も履かずに庭先へ飛び出して行った。

「嬢ちゃんっ!」

炎角に一人向かって行く彼女の背へ、龍山は咄嗟に、せめて、と炎封じの呪をぶつける。

炎を使役する鬼面の男に、彼女が傷付けられるのを少しでも防げるように。

「ボクが勝ったら、引き下がれっ!」

「勝てるものならな。……貴様が勝とうが負けようが、白虎の男を貰い受けるのは変わらないが」

「……この、卑怯者っ!」

炎角の前に、醍醐を護るべく立ち塞がり、啖呵を切りながら彼女は矢を射った。

だがそれは、彼に達するより先に、現れた彼の手下達に弾かれてしまう。

「…………醍醐っ! お前のことを、あれだけ想ってくれとる嬢ちゃんがいるというのに、お前は何処で何をしておるかっ!」

明らかに、多勢に無勢である戦いに、それでも挑み続ける小蒔を片目で見遣りながら、龍山が声を張り上げた。

「…………………………桜、井……」

──戦う小蒔の背が、やっと瞳に映り始めたのか。師と仰ぐ老人の声が届き始めたのか。

ぽつり、醍醐は小蒔の名を呟いた。

…………あの夜より、彼の脳裏には、『白虎よ』と呼び掛ける、何者かの声が木霊し続けている。

こうしている今でも、それは消えない。

でも、己を護ると戦い続ける小蒔の背を瞳に映し。

先程、確かに触れて行った『小蒔』を、自らの唇に思い出し。

「桜井…………。桜井……。……小……。小蒔……っ!」

醍醐は、自らの意思で身を捩った。