修学旅行の初日さえ、盛大な寝坊をしたらしい遅刻魔の親友を、やきもきしながら東京駅の新幹線ホームで待ち、何とか列車の出発ギリギリに飛び込んで来た彼の手を掴んで引いたら、直後、プシュっと音を立てて閉まった扉に無情にも押されて、傍にいた醍醐や杏子までをも巻き込み通路にもんどうり打って転がる羽目になり、龍麻は、盛大に床へぶつけた後頭部を摩りながら京一へと怒鳴った。

「何で、こんな日にまで遅刻するんだよ、京一の馬鹿!」

「…………悪かった、って。一寸……その、寝付けなくてよ」

「遠足前の幼稚園児じゃあるまいし…………」

「似たようなもんでしょ、この馬鹿は。……っとにもー、痛いわねーーっ! 転ぶなら自分一人で転びなさいよっ」

「馬鹿野郎! 誰が幼稚園児だ、俺の悩みはもっと高尚だ!」

「へー、よく言うわ。何よりも、あんたが高尚なんて言葉知ってたのが意外よ。……ん、もうっ。スカート汚れちゃったじゃないっ」

「どーせ、あれだよ。京都でお寺なんか見学したくないから、何とかして逃げ出す方法はないかとか、そんなこと考えてたんだよ、京一だもん」

「本当にお前は……。修学旅行は団体行動なのだから、それを乱すな」

「でも、間に合って良かったわ、京一君。良かったけど…………マリア先生の所に、謝りには行ってね?」

巻き添えを食った杏子や醍醐は渋い顔をしながら、小蒔は呆れながら、葵は苦笑しつつ、それぞれ京一に一言ずつくれ、やれやれと席へと戻って行く。

「京一。…………悩みって?」

「……別に、大したことじゃねえよ。…………悪かったな、龍麻。……へへへ、何か、昨日から謝ってばっかだけどよ」

「そんなこと、気にしなくてもいいけど……。ホントに大したことじゃないんだ? 確かに、目、真っ赤だよ、寝不足みたいに」

しかし、杏子の売り言葉に買い言葉で彼が吐いた言葉を気に留めた龍麻は、京一の顔を覗き込んだ。

「どーってことねぇって。さ、俺達も席に行こうぜ。……って、あー、マリアせんせーに、謝って来ないとマズいか……。一寸、行って来るな」

でも、龍麻の眼差しに京一より返されたのは、誤摩化すような笑みと、少しばかり重そうに、竹刀袋を担ぎ直す仕草だった。

京都を目指してひた走る新幹線が、東京駅を出発して一時間程が過ぎた頃。

普段よりも早い起床が齎す寝不足を解消し始める者、仲良しグループで集まってゲームを始める者、お菓子の袋を開きながらお喋りに興じる者と、同級生達が思い思いのことを始める傍らで、龍麻達も又、三人掛けの座席を向かい合わせにし、五人集まって、ああだこうだと話に花を咲かせていた。

そこへ、修学旅行中の写真撮影も担当している杏子が、車内風景撮影の為の巡回と、ミサと共にやって来たので、六人が定員のそこに何とか座り込んだ七名は、一層話で盛り上がり。

「…………あ、そうだ。京一、京一」

京都で、行きたい甘味処があるのと、甘い物の話で少女達だけが盛り上がり始めた頃、思い出したように、龍麻が、貴重品等を詰めた小さなバッグを漁った。

「ん? どした?」

「三日くらい前に、修学旅行なんだからって、義母かあさんが気を遣って色々送ってくれた荷物の中に、夏の間に届いてたんだけどって、これも入れてくれてたんだ」

「どれどれ……」

バッグの中から彼が探し出したのは、一枚の絵葉書のような物で、龍麻の手許を覗き込んでいた京一は、ヌッと差し出されたそれを、受け取りつつ首を傾げる。

「絵葉書……っつーか、写真葉書? ……で、誰? こいつ等」

葉書にプリントされた写真に映っていたのは、見知らぬ少年と少女だった。

「……ほら、前の学校の、例の友達二人。女の子の方が、青葉さとみ。男の方が、比嘉焚実って言うんだ。向こうは、一学期が修学旅行だったから、行った時の写真を葉書にして、田舎の方に送ってくれたみたい。東京の住所が判らなかったから、って」

「………………いいのか? 読んで」

「うん」

写真に写る二人は、龍麻が以前通っていた明日香学園で起こった事件の話を聞いた際、出て来た『あの二人』だと知り、ああ……、と京一は軽く頷き、促されるまま、文面に目を走らせた。

…………書かれていたことは、元気ですかとか、新しい学校はどうですかとか、旅行は楽しかったとか、そんなような在り来たりのことばかりだったけれど、自分達三人は、何時までも友達だからとも書き添えてあって。

「…………良かったな」

照れ臭そうに笑う龍麻の頭を、京一は乱暴に撫でた。

「………………うん」

「えー、ボク達にも見せて! ……わー、緋勇クンの前の学校の制服って、こんなだったんだー」

「ほう、以前の学校の友人か」

「へぇ……。同級生のお二人?」

「ううん。クラスは違ったんだけどね」

「仲良しグループだった、って訳ね。わーーー、『ひーちゃん、お元気ですか?』だって! 緋勇君、ひーちゃんって渾名だったのっ?」

「ひーちゃ〜んって、可愛い〜わね〜」

「……遠野さんも、裏密さんも、そこに注目しなくても…………」

と、パッと、京一の手から少女達が葉書を取り上げ、又、きゃあきゃあと騒ぎ出す。

「ひーちゃん、ねえ」

「何だよ、京一っ。そう呼ばれてたものは、仕方無いじゃんかーっ」

「名字の緋勇から、『ひーちゃん』?」

「……多分」

「まあ、いいじゃないか。可愛い渾名なのだし」

「醍醐まで、そーゆーこと言うしーっ!」

「事実だろ。……ひーちゃん。ひーちゃん、か。……今度から、そうやって呼んでやろうか、龍麻……じゃなかった、ひーちゃん」

「……俺がひーちゃんなら、蓬莱寺が名字の京一は、ほーちゃんだからな」

「…………せめて、京ちゃんだろ、そこは……。つか、ほーちゃんも京ちゃんも、俺にゃ相応しくねえって。でも、お前は『ひーちゃん』。了解?」

「狡い、京一っっ」

「えー、いいじゃないか、可愛いよ、ひーちゃんって。ボクも、今度から緋勇クンのこと、ひーちゃんって呼ぼうっと。……ねえ? 葵」

「……せ、せめて、龍麻君、にしておいてあげた方が…………」

「ミサちゃ〜んも、ひーちゃ〜んが、いいな〜〜」

「ま、いいじゃない。龍麻君でも龍麻でもひーちゃんでも」

少女達が始めた騒ぎは、葉書の文面にあった龍麻の渾名より、そんな処へ辿り着いて、こんなことになるとは思わなかったと、そそくさと取り返した葉書を仕舞い込んだ龍麻の傍らで、京一は又、ほんの少しばかり重そうに、刀を入れたままの竹刀袋を握り直した。

──因みに、結局。

京一は、からかう為の冗談として、小蒔やミサは本気で、龍麻のことを『ひーちゃん』と呼び続けた四泊五日の修学旅行が終わる頃には、仲間達の一部にしっかり、彼の渾名は定着した。