──1998年 10月──
そこに、山があるから登るように、そこに、女風呂があるから覗く。
……とか何とか、女性が聞いたら大顰蹙だろう男の浪漫とやらを掲げ、修学旅行初日夜、宿屋にて、桃源郷を夢見る京一と、九割の付き合いと一割の思春期の好奇心が齎した出来心を抱えた龍麻が、女風呂の覗きを決行したり、人助けの為、宿まで抜け出して、レジャー施設建設の利権に関わっていたヤクザと戦ってみたりとした、何時も通り騒がしくて賑やかで、少々物騒だった、彼等の四泊五日の修学旅行が終わった頃。
月替わりのカレンダーは又一枚捲られ、十月となった。
龍麻達が、修学旅行から戻った週の週末、土曜、夜半。
そのような時間、人気などある筈の無い真神学園校舎の中で、本来、最も人気なぞない旧校舎の『秘密の入口』付近に、蠢く人影があった。
「……一山越えたらしい『子供』達は、戦いは終わったとばかりに、ここの処ここにはご無沙汰のようだからな。今の内に……、という奴か?」
その背後で、サリっと地面踏みしだいた獣の足音に、人影が立ち止まれば、影を呼び止めた大きな獣は、人の言葉を喋った。
「貴方には関わり合いのないことよ。……そう、私のような生き方の出来ない貴方には」
「君が、俺のような生き方が出来ない、の間違いだろう? ……些細な違いだと思うがな。陽光の下に生きるのも、月光の下に生きるのも」
「……だから。私と貴方は、違うわ。何度も、同じことを言わせないで! それとも今になって、私に手を貸してくれるとでも言うの?」
「それは、無理な相談だ。俺は何もしないし、何もするつもりもない。誰にも、何にも」
「………………どうかしらね。少なくとも貴方、『子供達』にはご執心に見えるわ」
「気の所為だろう? ……兎に角、もういい加減にしたらどうだ。旧校舎のことなど、忘れた方がいい。どうにかなるものでもない」
人の言葉を喋る獣──人狼は、影へと向け、淡々と、抑揚もなく諭し続けたが、影は何処までも、人狼に背を向けたままで。
やがて『二人』は、これまでのように決別し、背中を向け合い別れた。
──雲の切れ間から下りて来た月光が、影をマリアとして、人狼を犬神として、それぞれ浮かび上がらせる中。
翌、日曜。
楽しい修学旅行の疲れなど、それなりには簡単に吹き飛ばせるお年頃の彼等は、他校の仲間達の中にも、似たような時期に修学旅行だった者がいたこともあって、修学旅行のお土産交換会をしようと、如月の家に集まる約束をしていた。
約束の時間は午後二時。
けれど、その一時間半程前、骨董品屋の店先を、醍醐、アラン、マリィの三人が潜った。
「……ああ、待っていたよ」
集合時間に先んじて、連れ立ってやって来た三人を、家では着流し姿でいるのが普通らしい如月は、当たり前のように出迎える。
…………仲間達には内緒で、この時間にやって来るようにと三人だけに告げたのは、彼自身だったから。
「何の用なんだ? 如月。俺達だけこんな風に呼び出して」
「友達同士、隠シ事ハ良クナイデース」
「マリィね、日本語上手くなったのよ! だから、色々お喋り出来るよ!」
以前宴会を開いた座敷に通され、訝し気に醍醐とアランは如月の様子を窺い、マリィは、努めて明るく振る舞う。
「隠し事、という訳ではなくて」
年齢は兎も角、見た目は『小さな少女』もいることだしと、菓子まで添えた茶でもてなしつつ、ぎこちなくマリィへと笑い掛けて、如月は居住まいを正した。
「君達だけに、話がある」
「ダカラ、何ノデスカ?」
「……以前、雄矢君が、白虎の宿星に目醒めた時のことを覚えているかい?」
「………………それは、まあ。俺自身のことだ、忘れるなという方が無理だな……」
「勿論、覚エテマース」
「マリィは知らないけど、皆に教えて貰ったよ」
「…………あの時、姿を消した雄矢君、君を探す為にここへやって来た龍麻君と京一君に、僕が君の宿星の話をした辺りのことは、きっと、あの二人から聞いているだろうから、繰り返しては言わない。……でも。僕があの時二人にした話の、続きを聞いて欲しい。……何故、雄矢君が白虎の宿星を持っていると僕には解ったのか、何故、そんなことを僕は知っていたのか」
「ふむ……。確かに、それは何故なんだ?」
「……その理由は、僕も又、四神の一つ、玄武の宿星の下に生まれているからだ。僕は、幼い頃からそれを祖父に聞かされていたし、僕自身が玄武の宿星だからか、四神の宿星を持つ者は、何となく判る。……けれど、それは感覚だけで確信にまでは繋がらないから、雄矢君の時は、京一君への曖昧な忠告しか出来なかったが……今回は、色々と調べて、感覚の他に確信も得た。……アラン、マリィ。落ち着いて受け止めて欲しい。君達二人も又、四神の宿星を持って生まれて来た者達だ。アランは東の青龍の、マリィは南の朱雀の」
「……………………朱雀って、何?」
「朱雀はね、中国の伝説に出て来る、神とされる鳥だ。因みに、青龍とは文字通り、青色の龍のこと」
「じゃあ、マリィも鳥になるの?」
「そんなことはないよ。宿星を受け止めて、それに向き合って、少しずつ慣れて行けば、いきなり見た目が朱雀に変生することは有り得ない。……雄矢君だって僕だって、大丈夫だろう?」
真剣な顔付きで語られ始めた如月の話は、四神の宿星に関することだった。
己も又、そんな星の下に生まれた者の一人だと告白した彼は、アランもマリィも、その運命を持つ者だと告げ、驚きに目を丸くした彼女を安堵させてから。
「それをね、君達に知っておいて貰いたかったんだよ」
静かに言った。
「……成程な…………。如月も、アランもマリィも、俺と……」
「ナラ、Me達ハ、四神ノ運命デ結バレタ者、トイウコトデスネ!」
それを受け、感慨深気に醍醐は呟き、アランは常よりも大袈裟に笑った。
「だが、何故だ? 如月。俺達四人が、そういう宿星を持つ者同士なのは判ったが、鬼道衆のことが片付いた今、それはもう気にせずともいいんじゃないのか?」
「…………まあ、な。しかし、鬼道衆によって乱された龍脈が、未だにおかしいのは確かだ。アランにしても、マリィにしても、心得ておいて損は無いだろう? ……それに」
「未だ、何かあるの?」
「四神はそもそも、天の四方を司るモノだ。天の四方の中心にいる、四神の長である黄龍に仕え、従うモノ。菩薩眼に仕えるのではなく、龍脈の力の源──黄龍に。……これまでの事件を切っ掛けに、四神の宿星を持つ者全てがこうして集ったのに、四神が仕える黄龍はいない。このまま、四神の宿星を持つ者にとっての黄龍──そんなものを持つ者がこの世にいるなら、の話だが……黄龍の宿星を持つ者が現れぬまま、何事もなく時が過ぎればいいが、もし、黄龍の宿星を持つ者が、この先僕達の前に現れるようなことがあれば……いや、もしも、黄龍の宿星を持つ者が、既に現れているなら…………」
……醍醐の呟き、アランの笑い声、それを受けても、語り続ける如月の声は静かなままだった。
「如月。お前は未だ、この先にも何かが俺達を待ち受けているかも知れないと、そう言うのか?」
「……判らない。それは僕にも判らないけれども。もしかしたらと、そうは思う。何かが待ち受けているかも知れないし、いないかも知れない。何かが待ち受けているとしても、それは、今の僕達の仲間──『力』持つ者全てを待ち受けているのではなく、四神の宿星を持つ僕達四人だけを待ち受けているのかも知れない。…………だから。この話は未だ、君達の胸の中にだけ留めておいて欲しい。何も起きなければ、僕の戯れ言で終わるのだから」
愛用の湯飲みを、らしくなく手の中で弄びながら、如月は、静かに静かに言い切り。
「もっと、お菓子を食べるかい? マリィ」
少しだけ、怯えたような顔付きになった彼女へ、優しく問い掛けた。
──東京に、この年この時集った『力』持つ者達の中にも、翌年の春を迎えれば、学び舎を卒業し、この街を離れて行く者がきっと出る。
……この年この時、この東京に集った者達が、交えた道を分つまで。
後、半年。