文京区での事件が終わって、数日が経った頃。

「…………………………いい加減にしてくれ……」

放課後、学ランの内ポケットでシャラシャラと着信メロディを鳴らし始めたPHSを取り上げ、その発信元表示欄へ目を走らせ、前のめりになった京一は、げんなりとした顔で、傍らの龍麻の肩口へ突っ伏した。

「……又?」

「……又」

「…………でも、出てあげれば?」

「…………い・や・だ」

「………………一寸、熱意が先走り過ぎてるかな、とは思うけど、無視は可哀想なんじゃ」

「………………俺のプライベートを、全部あいつの先走り過ぎてる熱意との付き合いに廻せってか、ひーちゃん? ああ?」

人は疎らになったとは言え、始まったばかりの放課後の教室の、人々の注目を一身に集める程延々延々と鳴り続けるPHSにとうとうキレて、ブチリと電源を叩き切り、再び己の肩口に額をめり込ませた京一の頭を、よしよし、と慰める風に龍麻は突き、一応執り成してみたが。

ガバっと起き上がった京一の、誠恨みがましい視線を、ガチンコで彼は浴びた。

「何だ、京一。どうしたんだ?」

「あ、醍醐。──京一、一寸困ってるみたい。困ってるって言うか、戸惑ってるって言うか……」

そこへ醍醐がやって来たので、龍麻を睨み付けながら、三度みたび、龍麻当人の肩口に沈み込む、という芸当をやってのけた京一の、現状説明を彼は始める。

「……? 何に」

「…………昨日ね、霧島から、桜ヶ丘を退院したって京一に電話があったんだ」

「おお、そうか! 退院したか。それは良かったじゃないか」

「うん、それは良いことなんだけど。その電話で京一、霧島に稽古付けて下さいって頼まれたんだ」

「……ふむ。いいじゃないか。霧島は京一のことを少々誤解しているかも知れないが、自称だろうと何だろうと、京一の一番弟子ではあるのだろうし? 望まれるなら、稽古の一つくらい」

「まあね。でも、京一はそれ、断ったんだよ。多分、退院したばっかりの彼に、あんまり無理させるのも、って考えてのことなんだろうけど」

「………………俺はそんなに、優しかねえよ」

「……うるさい。俺にはそう見えたんだから、俺の肩でへこんでる男は黙る。──でもね、霧島は諦めなくって、そこから何度京一が断っても、『粘るなー……』って感心しちゃうくらい電話攻撃仕掛けて来て、今も、放課後になったばっかりなのに電話来てさ。…………で、京一がキレちゃった、って訳」

「成程…………。……しかし霧島も、情熱に溢れると言うか、猪突猛進と言うか……、うーむ…………。………………ん? 一寸待て、それを龍麻が知っている、ということは、京一、お前又夕べ、龍麻の所に泊まったのか?」

「……いーじゃねーかよ、メシ一緒に喰うかって話になったんだよ、そしたら、ひーちゃんが作ってくれるっつーからっ」

「あ、醍醐。それは本当。何か、一人で夕飯食べるの嫌な気分だったんだ」

「…………龍麻、余り京一を甘やかすな」

う、に濁点を付けたような微妙な唸り声を上げつつ、相変らず肩口辺りでぐりぐりと額を擦っている京一の頭を、時折トントンと突いてやりながら龍麻は醍醐に事情を語って、語られた当人は、同情の滲んだ眼差しで項垂れ続ける友を見遣りながらも、気付かなくていいことに気付いた。

「甘やかしてる……? ……そーゆーのとは違うと思うよ。俺自身が内心で困りながらも京一の望むことだけ叶えてたら、それは甘やかしてるって言うのかも知れないけど、別にそうじゃないから。俺が京一と一緒に夕飯食べたくって誘ったんだし。どうせ泊まりになるの判ってて」

「……いや、龍麻、そうじゃなくて」

「何? 俺の考え方、何か変? ……四月からちょくちょく、京一とかが遊びに来てくれてたから、俺未だに、独りぼっちの食事って慣れないんだよね。だから、一緒に食べてくれる人がいた方がいいし、嬉しいし。……あ、そうだ。今日、醍醐も一緒に来る? 三人でご飯食べようよ」

「………………そ、そうだな……」

一人暮らしの龍麻の家に、京一は入り浸っているとしか思えない醍醐は、先ず京一を嗜めようとして失敗し、次に龍麻を嗜めようとして失敗し、「駄目だ、これは……」と肩を落とした。

「一寸、一寸! あんた達何やってんのよっ!」

「あ、遠野さん」

「……あー? アン子?」

「何だ? 遠野」

そこへ杏子が怒鳴り声と共に登場し、龍麻と醍醐は振り返り、京一はやっと顔を上げる。

「あんた達が、中野〜豊島区辺りに関することで何か情報がないか、って訊いて来たから、調べ上げて来てやったってのに、ほのぼのしてる場合?」

「……別に、ほのぼのはしてねえよ。どっちかっつーと俺は、苦悩してんぞ」

「あんたの悩みなんて、どーだっていいのよ! どうせ、京一の悩みなんて大したことじゃないでしょ、それよりも!」

バンっ! と彼等が陣取っていた机を一発掌で叩いて、けたたましくやって来た杏子は、さやか達の事件直後、帯脇のように、何かに取り憑かれているような事件を起こしている者はいないか調べて欲しいと、龍麻達から頼まれていたことを調査して来たと、メモ帳片手に捲し立て始めた。

彼女曰く、今、池袋界隈で、通行人が突然何かに取り憑かれたように人々を襲う、通り魔事件が勃発しており、ミサに視て貰った処、どうもそれは『狐憑き』と同じような現象で、ヒトが本来持っている『何か』──ヒトの本質とも言える『何か』を、その本質より想像出来る『獣』を取り憑かせて異形と化させているのではないか、古代、『憑依師』と呼ばれていた能力の持ち主達ならば、それを可能にすることが出来る、と言われたそうで。

「…………狐憑き、かあ……。怪談なんかではよく聞くけど……」

「か、怪談話は止めてくれ……」

「相変らずだな、タイショー。幽霊なんかより、人間の方がよっぽど怖いっての。…………でも、そういうことなら話は簡単じゃねえか。その、『憑依師』とかいう奴を、探し出してぶっ倒しゃ、池袋の事件は解決すんだろ? 芋蔓式に、帯脇に『大蛇』を取り憑かせた奴のことも判って、色々謎が解けるかも知れねえし」

話を聞き終えた少年達は、ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がった。

「京一は単純でいいよねー」

「小蒔ったら……。でも、京一君の言う通りだと、私も思うわ」

その背後では、何時の間にやらしっかり杏子の話を聞いていた、小蒔と葵も支度を始めて。

「おっしゃ、行くか」

「うん」

龍麻達五人はぞろぞろと、池袋へ向かう為校門を出た。

「……あっ! 京一先輩っ! 緋勇さんっ!」

が、新宿から池袋へは電車で一本だからと、道を辿り出した彼等の目の前に、図ったように霧島が通り掛って、その足を止める。

「………………げ。諸羽」

「奇遇ですね、皆さんっ。僕、桜ヶ丘で経過診て貰って来た帰りなんです。お会い出来て嬉しいですっ!」

「あ、そうか。通院はもう一寸するんだもんね。でも、退院おめでとう」

ぱああああ……と、それはもう、花が咲いたような全開の笑顔で駆け寄って来た彼より、うわあ、と京一は一歩引いて、代わりに龍麻が一歩彼へと出た。

「はい、有り難うございます! 皆さん、これから何方に? 又、何か事件ですか?」

「あ、うん。池袋の方にね。霧島の想像通り、一寸遭って」

「じゃあ、僕も一緒に連れて行って下さい!」

「………………お前なー。幾ら退院したからって、通院は未だ免れねえ身の上で、事件に付いて来るとか、稽古付けてくれとか、寝言言ってんじゃねえよ」

何時でも何処でも元気一杯、熱血真面目純情少年な霧島と、自分の親友をやっている割には、何処となー……くおっとりな龍麻の二人に話をさせていたら、のほほんとしたまま話は纏まってしまうと、二人の間に京一が嘴を突っ込んだが。

「……ほら、やっぱり」

「やっぱり、って、何がですか? 緋勇さん」

「ん? 京一が、霧島の『稽古付けて下さい』を断り続けてるのは、霧島の体のこと思ってだよね、って話」

「………………そうだったんですか……! 京一先輩、僕のこと、そこまで考えてて下さってたんですね! 有り難うございます、やっぱり京一先輩は凄いですっ。でも、僕もう大丈夫ですから、池袋へは一緒に連れてって下さい、僕は、皆さんのお役に立ちたいんですっっ」

「……ひーちゃん…………。……っとによー……。……諸羽も、付いて来るなら勝手にしろ、だが、自分の身は自分で守れよっ!」

のほほんマイペースコンビに思いも掛けぬ方へ話を転がされて、不機嫌そうに言い捨てると、京一は一人さっさと歩き出してしまった。

「あんな風に言ってたって、どーせ、霧島クンが危なくなったりしたら、何とかしちゃうのが京一なのに。……ねー、ひーちゃん」

「ねー、桜井さん」

「うるせえぞ、てめえ等っ! とっとと歩けっ!」

「はいはい。今行くから、待ってよ京一ぃ!」

ぷんすか、苛立った足取りで先行く彼を追い掛けて、龍麻も、皆も走り出し、霧島を加えた一行は、池袋へと向かった。