──1998年 11月──

十一月に入って、数日が経った。

登下校時、通学路で感じる風は、もうすっかり冬のそれだった。

………………そんな、或る日。

「ん…………」

──自宅寝室のベッドに横たわっていた龍麻は、傍らより洩れた呻き声に目覚めた。

何だろう? と身を乗り出して覗き込めば、その日も泊まり込んだ、ベッドの直ぐ脇に敷かれた布団に包まりつつ眠っている京一が、切れ切れに洩らす声だった。

「京一……?」

「……ん……っ……。俺、は……」

ぽつりぽつりと洩れて来る声は酷く苦し気で、カーテンの隙間から射し込む街灯の灯りに微かに浮かび上がった横顔は、びっしょりと寝汗を掻いていて、歪んでいて。

「京一。京一……。京一っ!」

慌てて飛び起き、布団を蹴り上げてベッドより滑り下りた龍麻は、彼の両肩を掴んで揺すぶった。

と、がばりと目覚めた京一は、覆い被さるようにして来る龍麻を見ようともせずに撥ね除け、枕元の竹刀袋を掴み上げると、ザッと飛び退りつつ組紐の結び目を噛んで解こうとし。

「………………え? ……あ…………」

「俺だよ……。気が付いた? 大丈夫? 京一、魘されてたみたいだから起こしたんだけど……御免ね……?」

「……いや、起こして貰えて良かった。…………悪い……。ホント、悪かった、ひーちゃん……。すまねえ…………」

やっとそこで我を取り戻した彼は、眼前にいるのは龍麻で、己がいる場所は龍麻の寝室で、との現実を思い出した風に、両肩の力を抜いて竹刀袋を置き、項垂れるようにその場へ座り込んだ。

「ううん。気にしなくていいよ。…………本当に、大丈夫? 嫌な夢でも見たんだ? …………何か、淹れようか、温かい物でも」

「……いや、いいって。悪りぃし……」

「駄目。絶対、駄目。今は、俺の言うこと聞いて貰うからね」

「………………判ったよ……。……サンキューな……」

「うん。一寸待ってて」

ぱちり、部屋の灯りのスイッチを入れ、目覚まし時計の針が午前二時半を射しているのをちらりと見遣り、キッチンに立った龍麻は、インスタントコーヒーを二つ作って戻って来た。

「コーヒーじゃ、眠れなくなるかと思ったんだけどさ。砂糖もミルクも沢山放り込んだから。……はい、京一」

「……おう……」

掛け布団は部屋の片隅に吹っ飛んでしまった、来客用の布団──本当に、京一専用となりつつあるそれの上に二人向かい合わせに座って、彼等はそれを啜り始める。

「………………ちいっと、嫌な夢見てよ……。だから…………」

無言で啜り続けたコーヒーが空になる頃、やっと、京一は低く小さく言った。

「……そっか。そういうこともあるよ」

「そう、だよな……。そういうことだって、あるよな…………」

「うん」

コトっと、小さな音を立てて飲み終わったコーヒーのマグカップをフローリングの床に置き、重苦しい溜息を零した彼へ、龍麻は微笑んでやり。

「…………京一」

「ん? ……って、ひーちゃん?」

同じくカップを置いて、徐に両手を伸ばした自分に京一が目を丸くしたのも構わず、ペシっと龍麻は、京一の両頬を手で挟み込んだ。

「そんな辛そうな溜息、京一には似合わない。真神一の伊達男な蓬莱寺京一らしくない。……元気出しなよ。京一が今抱えてること、話したくなったら何時だって俺が聞くからさ」

そうして彼は、以前京一にされたように、その頬を挟んだ掌の中に、そうっと、自らの氣を注いだ。

「ひーちゃ……」

「……前に、さ。俺が思い詰めちゃってた時、京一、こうしてくれたから。今度は、俺の番。……元気出して」

「……………………ありがとな、龍麻……。──そうだな! こんなの、俺らしくねえよなっ。俺は…………俺には、お前も、あいつ等もいてくれるんだしな…………」

すれば京一は、泣きそうな顔で微笑んで、龍麻の手に自らのそれを重ねた。

「うん。そうだよ、京一」

「…………でも、悪い、龍麻。……今夜だけ……今夜だけ、起きててもいいか? 今夜はもう、寝たくねえんだ……。今だけは……」

「そう…………。………………あっ、じゃあさ、折角だからゲームしよう、京一! ほら、この間俺が買って来た奴」

嬉しそうに、安堵しているように、笑みつつも。

もう、今夜は眠りたくないのだと京一が言うから、龍麻は殊更明るく声を張り上げ、彼を誘う。

「……あ? ゲーム?」

「うん。アクションゲーム。主人公の元・特殊部隊の軍人が、テロリストに占拠された島に乗り込んで……、ってストーリーの」

「あーーー、あれか。進んでねえのかよ?」

「あれ、思ってたよりも難しくってさー……」

「おっしゃ、いいぜ。見てろ、俺がクリアしてやっから!」

「あはー、期待してる」

……自分の為に、龍麻がそんなことを言い出したと、直ぐに京一は気付いたのだろう。

誘いに乗って、上手く進めず手子摺っていると訴えられたそれを、自分が見事クリアしてやると彼ははしゃぎ始め、龍麻は、二杯目のコーヒーを淹れる為に再びキッチンへ立ち。

……登校の為の支度を始めなければならない時刻まで、わいわいと、順番にゲーム機のコントローラーを握りながら彼等は、その夜を流した。

──京一が、龍麻の前より姿を消したのは、二人揃って寝不足の顔をし登校した、その日の夜だった。