指定された時間は午前一時。
故に、取り敢えず今は教室へ、と廊下を行く仲間達より、一寸用事があるからと龍麻は別れ、人気のない体育館裏へ行くと、京一お気に入りのスポットである桜の木の下にて、PHSを取り出した。
……杏子が言っていた、『拳武館高校』という単語に、彼は心当たりがあった。
去年の秋、以前在籍していた明日香高校で、莎草の事件が起こった頃、突然己の目の前に現れて、本当の両親のことを語ったり、莎草が持った『力』のことを教えてくれたりとした、初老の男。
己に武道を教え、新宿の真神学園へ行けと言った、鳴滝という彼。
その彼に武道を教わる為に通った道場の名前は、拳武館という名だった。
本部は東京の葛飾区にあって、私立の学校でもあって……。
鳴滝は、己が拳武館という組織の中のどの位置を占めているのかは教えてくれなかったけれど、かなり上の方の人間なのは、誰にも多くを尋ねられなかった龍麻の目にも一目瞭然で。
杏子の立てた仮説が全て正しく、今回の事件の裏には拳武館がいるなら、鳴滝は何かを知っているかも知れない、そう思って彼は、緊張で跳ね出した心臓と戦いながら、拳武館高校へ電話を掛けた。
電話番号案内で教えて貰える番号に問い合わせた処で、鳴滝と直接話が出来るとは限らないことなど、判ってはいたけれど。
もしも本当に『そう』なら、鳴滝と話し合えば何とかなるんじゃないかとの、一縷の望みを抱きつつ。
それでいて、もしも京一達を襲った連中の上に彼がいたなら、自分は決して彼を許せないし、きっと彼をも殺すのだろう、とも考えながら。
…………けれど、緊張が震わせる声で、電話に出た相手に鳴滝のことを問うたら、館長は海外出張中ですと、すげなく言われてしまって、もうそれ以上の行動を起こすことは、龍麻には出来なかった。
知りたいことは、一つも判らなかったけれど、大人しく教室に戻る以外の術はなさそうだった。
……でも、教室に帰った処で、と。
PHSを仕舞いながら苦笑を浮かべた彼は、ふと思い付いたように、眼前の桜の木に登った。
もう、八割程が落葉してしまった木の枝は、人目に付かぬように昼寝をする場所には向かなくなっていて、京一も、久しくここでサボリを決め込むことはなかったけれど、この桜が、真神の中での京一お気に入りスポットの一つであるのは変わりなく、四月の初めの出来事を、今尚如実に思い出させるから。
だから彼は、余り深くは考えずにそこに登った。
校内のどの桜よりも見事な花を咲かせ、どの木よりも力強く息衝く古木。
あの日、あの時、その枝葉の中に京一を隠しながら、真夏の太陽の如くな氣を洩らしていた木。
京一が、『降って来た』場所。
「………………何かもう、泣きたい……」
──己よりも立派な体躯をしている京一が、横たわりながら昼寝出来る程見事な枝に、踞るように腰掛けて、今はここからも、真夏の太陽のような氣が感じられないと、龍麻は抱えた両膝に顔を埋めた。
「見付けたら、絶対殴ってやる……。何が何でも、一発喰らわしてやる……」
制服の色に染まった視界を見詰めながら、こんな所でこんなことをしてたって、何にも変わらないからと、全て放り出して泣き出したくなっている己を、足にきつく爪を立てることで叱咤し、ぶつぶつ、恨み言を吐きつつ。
放課後のチャイムが鳴り響くまで、彼は一人、そうしていた。
葵は小蒔の家へ、小蒔は葵の家へ、それぞれ泊まり込むからと、放課後を迎えた少女達が親へと言い訳の電話を入れるのを待って、日没後、龍麻達は葛飾柴又へ向かった。
ファーストフードで更に時間を潰してから、帝釈天最寄りの地下鉄の駅へ行き、終電が去り、駅構内のあちらこちらでシャッターが下ろされるのを、手洗いだったり用具置き場だったりにこっそり隠れて待って、やっと。
やって来いと指定された時間、午前一時に時計の針は合わさった。
シン……と、唯静まり返るだけの下り電車のホームの、最後尾辺りに立った彼等に、待ち構えていた一人の少年が近付く。
「龍麻! 皆も!」
「藤咲さん!? 無事っ?」
その傍らには、亜里沙の姿もあって、少年は呆気無く彼女を解放した。
「良かった、藤咲さん……! 危ないから下がっててっ」
「駄目だよ。駄目なんだよっ! 皆、あいつと戦わないで! 戦っちゃ駄目なんだよっ!」
駆け寄って来た亜里沙の腕を少々乱暴に掴み、引き、自分や醍醐の後ろに控えていた葵と小蒔の方へ押しやると、龍麻は少年へと一歩踏み出したが、何故か亜里沙は真剣な顔をして、彼に叫んだ。
「藤咲さん?」
「そいつは違うんだよ! あたし達を襲った奴じゃないっ。京一に手を出した奴じゃないんだよっ! そいつは壬生って言って、確かにあの連中の仲間みたいなんだけど、この五日、あたしのこと、連中から庇ってくれてたんだっ。エルの手当だって、そいつが…………」
近付いては駄目だと押さえる葵達の手を振り切って、龍麻へ近付き、亜里沙は尚も事情を叫ぶ。
「…………藤咲亜里沙。君が僕のことをどう受け取ろうと勝手だが、僕の仕事は、緋勇龍麻以下五人の真神学園生徒を抹殺することだ。……蓬莱寺京一は既に始末された。残りは、君達四人。……戦うつもりがあろうとなかろうと、僕は自分の仕事をさせて貰う」
が、少年──壬生紅葉という名を持つ少年は、表情一つ変えぬまま抑揚無く言い切って、すっと、龍麻とよく似た構えを取った。
「……京一を、始末した………………?」
「…………ああ。拳武館の者が」
「それを、君も確かめた?」
「どうでもいいだろう? そんなこと。……どれだけ強かろうが、暗殺を生業にしている者に襲われて、一介の高校生如きが無事でいられる筈が無い」
「……あのさ。壬生って言ったっけ? 君。……確かめてもいないくせに、いい加減なこと言わないでくれるかな。京一は、一介の高校生じゃないよ。殺し屋に襲われたって、どうこうなったりしないよ。……あんまり、馬鹿にしないでくれる、俺の相棒のこと」
「だが、事実は事実だ」
「ふうん………………。……じゃあ、さ。そっちが、俺や俺達にもしも勝てたら。その言い分、本当に少しだけ検討してもいいよ。そんなことが起きたら、そっちの、起きたままの寝言、聞いてやってもいいよ。……京一は……京一はっ! 俺にも勝てないような奴に、遅れを取ったりなんかしないからっ!!」
構えを取りながら壬生が告げた、京一は始末した、の一言に、龍麻は瞳の色を変え、又、一歩だけ近付いた壬生へと心底不快そうに怒鳴ると。
「龍麻っ!」
「ひーちゃんっっ!」
「駄目よ龍麻君、一人ではっ!」
仲間達が止めるのも聞かず、全速力で駆け出して行った。