大したことが出来る訳ではないけれど、付き添いを盾に居座って、一応は無事に帰って来てくれた京一の傍にいたいな、と考え、仲間達が帰っても、龍麻は桜ヶ丘に居残ったのだけれど。
残りたい、付き添いがしたい、との己の言い分を、やけにあっさりたか子が受け入れてくれた時に感じた嫌な予感通り、京一が眠る病室へ行くや否や、空いていたもう一つのベッドに、たか子に襟首引っ掴まれて放り投げられた。
「緋勇、お前ここの処、碌に寝てもいないし食べてもないだろう? 医者の目は誤摩化せないよ。点滴サービスしてやるから、今日はここで大人しくおし」
ベシン、と叩き付けるようにベッドに捨てられ様言われて、うわー、バレてる……、と龍麻が片手で顔を覆っている間に、たか子はさっさと彼の上着を毟り取り、シャツの袖をまくり上げて点滴の針を刺すと、病室の灯りを落として出て行ってしまった。
そうされた途端、ドッと、疲れと眠気に彼は襲われ。
京一が眠るベッドを振り返る間もなく、コトリ、と眠った。
小春日和の、初冬らしからぬ、ぽかぽかとした陽射しと、何処か冷たい風が頬に当たるのを感じて、龍麻は目覚めた。
首を巡らせ、病室の壁に掛かる時計を見たら、午後二時だった。
……ああ、もうこんな時間だと、更に首を巡らせれば、開け放たれた窓辺に、行儀悪く腰掛けている京一と目が合った。
「よー、ひーちゃん。起きたか?」
「…………うん」
夕べ、と言うか、今朝方、自分はこの男の付き添いもどきをするつもりでここに残ったのに、どうして今、ベッドに寝ているのは自分の方で、元気溌剌と言った顔付きでこちらを覗き込んでいるのが京一なんだろう、立場が逆じゃないか、と。
少々ムッとしながら龍麻は起き上がる。
もう点滴は外されていて、窓辺の京一の許へ寄り、胸倉を掴み上げるに何の支障もなかった。
「起き抜けから、暴力的だなあ、ひーちゃん」
「……京一が帰って来たらさ、絶対一発ぶん殴ろうと思ってたんだよね、俺。だから、今それを実行しようかなー、と」
「…………夕べ、引っ叩いたじゃんか、俺の頭」
「あれで許してやろうと思ったけど、やっぱりムカつくから止めた。あんなことが遭った後なのに、相変らずのふざけた態度だし、怪我してたこと黙ってたしっ」
「だからって、お前の怒り任せの一発は、かなり洒落になんねえぞ?」
ぴょんと、ベッドより飛び下り、ツカツカ近付いて来たと思えば、問答無用で胸倉を掴み上げられ、やれやれと苦笑を浮かべつつ、京一はやんわり、制服の襟元に掛かった龍麻の指を外し、そのまま、くしゃりと彼の長い前髪を掻き上げた。
「……そんなんで、誤摩化されないから。きっちり言い訳聞くまでは、絶対に許さないから」
「判った、判った。……でも、一発貰うのも、言い訳聞かせるのも、後でな。俺、腹減ってんだよ。ババアが、俺もお前も帰っていいって言ってたからよ、王華にラーメンでも喰い行こうぜ。奢るし。そしたら、買い物付き合ってくれよ」
柔らかく髪を梳く仕草に、一瞬絆されそうになりながら、幾ら何でもここで甘い顔は出来ないと、ムッと龍麻は唇を尖らせ、けれどその顔を眺めて京一は笑う。
「……買い物って?」
「PHS。壊れちまったからな」
「…………ああ……」
自分は本当に本当に怒っているのに、未だこの数日のことを許してなんかいないのに、どうしてこの馬鹿は、こんな仕草を見せて、こんな風に鮮やかに笑うんだろうと、内心で溜息を零してから、何処へ買い物に行くのかと問えば。
さらっと、壊れてしまったPHSを買い直すのだと言われて。
深夜の地下鉄ホームで、八剣の前へと放り投げられた、無惨に壊れたPHSを、瞼の裏に鮮明に、龍麻は甦らせた。
「……あれが、身代わりになってくれなかったら……京一、今頃…………」
京一が帰って来てくれた、それだけで頭が一杯で、壊れたPHSを見たあの時、龍麻は多くを思えなかったけれど、今になって、やっと。
あれは京一の身代わりになってくれたんだ、でも、もしもあれが、違うポケットに入っていたら……、と、ゾッとした。
持って生まれた悪運がいいから、なんて親友は言って退けたが、彼が生きていたのは……否、生きていてくれたのは、本当に、一寸した運の差で、それが違ってしまっていたら、京一は今頃……、と。
ふるり、と震え始めた自らの体を、彼は抱き締める。
「そう……だよね…………」
「……ひーちゃん?」
「もしかしたら、京一だって……京一でも……、今、ここで、こうしてられなかったかも知れないんだよね……。……絶対、京一は無事でいるって信じてたけど……無事でいるのに帰って来ないのは、何かの事情があるからだって思ってたけど……、万が一のことだって、遭ったかも知れな…………」
窓辺から射し込む小春日和の陽光の中、一人だけ、もう間もなくやって来る冬の直中に放り込まれたかのように、寒々しく、己の肩を抱いた彼は、その場にしゃがみ込んだ。
「…………ひーちゃん。……龍麻。ほら、立てよ。俺は、ちゃんと生きてるだろう? 生きて、帰って来ただろう? 大丈夫だから。もう、何も心配することなんかねぇから。お前の気の済むまで謝るし。殴りたいんだったら、何発でも貰ってやるから。……な? 頼むからよ。元気出して、笑ってくれよ」
「……だって……。ずっとずっと、信じてたけど。京一はって、そう思ってたけど! 自分でも、馬鹿だって思うけど、今になって……」
「………………泣くなって。男だろーが」
「……っ! そんなの関係ないっ。男だからとか女だからとか、そんなの、今は関係ないっっ。……第一っ! 俺を泣かせてるのは京一じゃないかっ。京一が、一人で勝手にどっか行って、あんなことになって、だから……っ!」
「そうだな……。全部、俺の所為だな……。……俺の所為だから。もう、男だからとか泣くなとか、言わねえから。勝手に何処にも行かないから。泣き止めよ。お前に泣かれると、調子狂うんだよ……。何か、すっげー悪いことしたみたいでさ。……あ、まあ……実際、凄げぇ悪いことしたんだろうけど……、その……、どうしようもなく、胸が痛くなるから。泣き止んでくれ……」
リノリウムの床にしゃがみ込んで、ぽろっと涙を零し始めた龍麻と視線を合わせ、困り果てた風に京一は、彼の肩を抱いた。
「………………うん……。……泣き止む……。ラーメン奢って貰って、買い物付き合って、京一の言い訳聞かなきゃ……。…………あ、そうだ、京一……」
その腕に、真夏の太陽のような氣を乗せて肩を抱いてくれた彼を、龍麻は見上げる。
「ん?」
「未だ、言ってなかったよね。……京一、お帰り」
「……ああ、ただいま」
きちんとは出来なかったけれど、それでも彼は、未だ涙の止まらぬ顔に笑みを浮かべて言って。
答えながら京一は、再び、くしゃり、と、龍麻の髪を撫でた。