中華人民共和国・福建省山間部。
その片隅に、客家と呼ばれる民族の集落がある。
……十七年前の出来事は、その客家の村に程近い、岩戸で起こった。
────当時、客家の村近辺は、現在の東京と同じ状況に置かれていた。
そう、龍穴より吹き出す龍脈の力──黄龍の力を求めて、『凶星の者』が蠢いていた。
それを阻止すべく立ち上がったのが、緋勇弦麻……龍麻の父と、龍山や、楢崎道心という僧侶、それに、龍麻に古武道を教えた鳴滝冬吾等、複数名の、『宿星』に導かれた者達、それに、中国福建省に於ける龍脈や龍穴を守護し、封印し続けて来た、客家の村の者達だった。
…………だが、十七年前、中国を舞台に起こった、龍脈の、陰と陽の戦いにて彼等に出来たことは、『凶星の者』を岩戸に封印する、それだけだった。
……それとて。
客家の者達にだけその意思を伝え、共に戦い続けて来た仲間達には何一つ打ち明けず、単身、『凶星の者』と対峙し、その者を、陽の氣で満たされていた岩戸へと誘い込み、力が半減した処で自らと共に封印する、との手段を取った、弦麻の犠牲によって成せたことだった。
──その現場に、真実の意味で居合わせることが出来たのは、客家の者達のみで。
自らを犠牲にしても、『凶星の者』を、との弦麻の考えに気付いた龍山達が、息急き切って駆け付けた時には、もう、岩戸封印の役目を任された客家の者達が、呪封の言葉を唱えていた。
岩戸に踏み込み、敵と対峙し続ける弦麻の背中と、全てを、『世界』からも遮るように閉じて行く、岩戸の重た過ぎる扉を見詰めることしか、龍山達には出来なかった。
……彼等は、結局。
『凶星の者』には打ち勝てなかったのだ。
叶ったのは唯、封印のみ。弦麻一人を犠牲にしての。
彼一人を逝かせる結果を阻止出来なかった道心は荒れ、龍山には言葉もなく、『もう一人』は酷く不機嫌そうに、押し黙った。
客家の者達は、その身を以て龍脈と龍穴の危機を防ぎ、『凶星の者』を岩戸に封印した弦麻と岩戸とを、一族全ての者の命に代えても、永劫、護り続けると誓ってくれたけれど。
弦麻に、穏やかな眠りを約束するとも、誓ってくれたけれど。
それは、本当に細やかな慰めにしかならなかった。
彼等は、己達の無力さを、唯々痛感するしかなかった。
…………けれど、確かに『出来事』は幕を閉じ、弦麻と共に戦った者達は、それぞれの道を行った。
道心は、思うことがあるから中国に残ると言い、残りの者達は、祖国日本に戻った。
龍山は、彼の地で産まれたばかりだった龍麻を腕に海を渡り、弦麻の兄弟を訪ね、彼を預けた。
『刻』がやって来るまでは、せめて、何も知らずに平穏に暮して欲しいと願っていると、弦麻の弟夫婦に頭を下げながら。
………………そして、それより時過ぎて。
……十七年。
「そんなことが遭ったなんて…………」
──十七年前の出来事を語る為には、己が内に未
好々爺然とした面に、拭い去れない苦みを乗せたまま龍山が出来事を告げ終えれば、制服のスカートを、皺が寄る程、両手で強く握り締め、葵が呟いた。
……それを、『綺麗なだけでしかない只の理想』やもと、彼女自身考えてはいるが。
何人たりとも犠牲にすることなく、この街を護り切りたいと切に願う彼女にとって、龍山より語られた、龍麻の父の話は、居た堪れなくて堪らなかった。
「十七年前に、俺の本当の父さんが…………」
そして、龍麻も又、己が父の最期を思い、僅か上向いて、瞼を閉じた。
「……もしも叶うなら、弦麻がたった一つこの世に残した御主には、何も知らぬまま、平穏に生き続けて欲しいと思っていた。だから今まで、何も伝えては来なんだが……。『刻』は、来てしまった。龍麻、御主の背負った『星』が示す通り。……十七年前、弦麻が命を懸けて岩戸に封印した『凶星の者』、彼奴は、その封印を解いたのじゃろう。そして再び、あの時のように、龍脈と龍穴を我が手に納めようとしておる。御主を滅ぼすことをも、恐らくは胸に秘めて」
が、彼等の想いを他所に、龍山の話は未だ続き。
「俺を滅ぼす? 殺したい、と? 復讐をしたい、ってこと……ですか?」
「…………鳴滝に教えられたかと思うが。緋勇の家は、古くから、陰と陽の技を持つ古武道を、代々伝えて来た家系じゃ。……弦麻には、その技があり。そして御主達同様、『力』があった。あの時、『凶星の者』に立ち向かった誰よりも強い、類い稀なる『力』。それを、御主の父は持っていて、御主の母、迦代さんは、『菩薩眼の娘』じゃった」
「菩薩眼? 美里さんと同じ……?」
「そうじゃ。お前が、『力』持つ者、弦麻と、『菩薩眼の娘』、迦代さんとの間に産まれた子じゃから。故に、あの者は」
「……………………『力』持つ者と、『菩薩眼の娘』の間に産まれた、『黄龍の器』、だから……?」
「……そうじゃ」
「『黄龍の器』……」
再び、龍脈の力を手に入れんとする『凶星の者』が、己を──『黄龍の器』をも滅ぼそうとしている、と龍山に言われ。
嫌になる程あっさり、自身が『黄龍の器』だと肯定され。
龍麻は軽く、唇を噛み締めた。
「………………今まで、このことを黙っておった儂を、恨むか……? ……恨まれても仕方無いとは思う。じゃが、どうしても御主には、平穏に、幸せに暮し続けて欲しかった。宿星が齎すモノになど、何一つ関わり合いを持たず。…………だが、『刻』は来てしまった……」
未だに多くを語られずとも、『特別』な存在であることは、この場の誰にも理解出来る、『黄龍の器』。
逃げる余地もなく、己がそんなモノであると知らされたことを、龍麻はどう受け止めているのだろうと思いながら、溜息のように、龍山が、『刻』、と吐き出せば。
「……その、『刻』ってのは、何なんだよ、じー様」
それまで、一言も発さず話を聞いていた京一が、ギリッと龍山を睨み付けた。
「宿星が、描くその運命通りに、刻が廻り始める、『刻』」
「……………………何も彼も、運命ってか。宿星ってか」
「何も彼も、とまでは言わぬよ。だが、御主等の背負っているモノは、宿星であり、運命であり──」
「──納得いかねえ。運命がどうの、宿星がどうので納得出来る訳がねえ。俺は、運命なんざ信じない。そんなもので、俺達の……龍麻の人生振り回されて堪るか。今更、後から取って付けたような、ポッと出の理由なんか聞かされた処で、何になるってんだよ……っ! 戦うことを止めたりなんかしねえ。しねえけどっ! でもっ……」
竹刀袋の上から、キリキリと刀を握り締めて、酷く強く龍山を睨み付けると京一は、低く、苦し気に呻いた。