醍醐達三人と別れ、すっかり日が暮れた道を、再び西新宿方面目指して歩き始めて、程無く。
ぽつり、止んだ筈の雨粒が落ちて来始めて。
「…………あ」
「又、降って来やがったな……」
一緒に帰ろうと、肩を並べて歩いていた龍麻と京一は、空を振り仰いだ。
「結構、本降りっぽいね」
「そうだな。急いで帰るか」
「……急いで帰っても、結果は変わらなさそうな雨だけど」
「あーー、確かに。……じゃあ、その辺で雨宿りでもしてくか? ひーちゃん」
「…………うん」
パラパラ……と、降り始めは軽く、が、あっという間に激しさを増して来た雨に、京一は家路を急ごうと言い、が、龍麻は、そんな京一を引き止めたそうな素振りを見せ。
ならば、雨宿りをと、京一は龍麻の腕を引いて、通学路途中にある小さな公園の、木陰へ飛び込んだ。
「ここなら、そう簡単にゃ濡れねえだろ」
「うん」
太い木の幹に寄り掛かり、学生鞄を小脇に抱え、二人は又、枝越しに空を見上げる。
……会話は交わされず、暫し、葉を雨が叩く音と、京一が担いだ竹刀袋が、彼の肩をトントンと叩く音だけが響いた。
「………………ねえ、京一」
その沈黙を破ったのは、龍麻の方だった。
「……ん?」
得物で肩を叩く癖だけは留めず、京一は応える。
「結局、『黄龍の器』が何なのか、判らなかったね……」
「明日、道心とかいう坊主に会えば、判るじゃねえか」
「それは、そうなんだけどさ……。焦らされ続けてるみたいで、何だか釈然としない。いっそ、一刻も早く全部のこと知って、すっきりしたいって思ってたんだけどなあ……。何も彼もを知っちゃったら、もう、日常は帰って来ないかも知れなくても……」
「日常……、か……」
「……そう。日常。何が待ってるか判らない東京へ来ても、変わることありませんようにって、俺が望んでたことの一つ」
呼び掛けに耳を貸せば、今宵の降り始めの雨のように、ぽつりぽつり、龍麻はそう言い出して。
日常は帰って来ないかも知れない、との言葉に、京一は急に、目の前の風景の中から、龍麻だけが遠く霞んで行くような錯覚に陥った。
そして。
錯覚だ、と判っていても、咄嗟に、傍らの彼の腕を掴む己を止められなかった。
「……京一?」
「………………悪い……。お前が、何処か遠くに行っちまいそうな気がしたから。……そんなこと、ある筈無いって、判っちゃいるんだけどよ……」
「何言ってるんだか。……俺が、何処に行くって言うんだよ」
「……判ってる」
「だったら、そん──」
「──行くな」
「……え?」
「勝手に、何処にも行くなよ、龍麻」
「………………行かないよ。勝手には、何処にも」
「……身勝手に、んなことしてみやがれ、探し出して、引き摺り戻してやるからな」
強過ぎる、とは思えたけれど、己自身にもどうしようもない力を籠めて龍麻の二の腕を掴み続け、脅かすように彼は言う。
「怖い、怖い……。……覚えとくよ、ちゃんと」
その力に、ほんの少しだけ顔を顰め、けれど龍麻は笑った。
「……あのな、龍麻」
ふうわりと浮かんだ傍らの彼の笑みに、唐突に覚えた切羽詰まった感情は流され、普段の己を取り戻せた京一は、ああ、そうだ……、と。
こいつが、何処かに一人だけで行っちまいそうだなんて、勝手に俺が思い詰めてる場合じゃない、これまでのことと今日のことで、一番何かを抱えさせられちまったのは、こいつなのに、と。
龍麻が望む、『日常』を取り戻すべく、彼は話題を変えた。
親友の腕を掴み続けることだけは、止められなかったけれど。
「何? 京一」
「少し前から、ずっと考えてたんだけどよ。もしも全てが終わって、無事にガッコも卒業出来たら、俺、中国に渡ろうかと思ってんだ」
「へ? 中国? ……それは又……、随分と唐突な」
「そうか? まあ、唐突に聞こえるかも知れねえけど……。……色々考えたんだよ、俺も。俺なりに。高校生活が終わったら、どうするか、って。……何度考えても、答えは同じだった。俺にはやっぱり、剣の道しかねえよな、って、何時も、そこに辿り着いちまった。……もっと、今まで以上に強くなりたい。天下無双の言葉の通り。大切なモンを護る為に。その為に渡る場所は、別に中国じゃなくっても構わねえんだけど、あそこは氣とか、そういう類いの発祥地だし、馬鹿シショーも、あそこで修行したことがあるらしいから。……でな」
「……うん」
「未だ、卒業後の進路って奴を、お前が決め兼ねてて。ガッコを卒業する時に、全てが終わってたら。お前も一緒に行かねえか? 中国」
「…………中国、かあ……」
………………ああ、又。
掴まれたままの腕から伝わる京一の氣は、暖かいを通り越して、痛い。
真っ直ぐな意思、そのもののように。……と感じながら。
雨の空を見上げつつ、龍麻は、海の向こうの異国に、思い馳せてみた。
……父が眠る場所。恐らくは、母も眠る場所。
そんな異国で、相棒と二人、自分自身の道を歩く為に、強くなる為の修行の旅を続ける自分を彼は想像して、そして。
「……うん。行く。俺も行きたい。やっぱり、俺も強くなりたいし。全てのことが終わって、何がどうなっても、京一の相棒で、京一と、京一の背中護るって『場所』は、誰にも譲りたくないから。それに、これ以上、京一に先進まれちゃったら、悔しいしね」
例えば、五年後、十年後の自分達の未来がどう在ろうと、今の自分達にとって、その想像の中に描かれた姿が一番自然に思えて、龍麻は、ゆっくりと頷いた。
共に行く、と。
「それは、俺の科白。お前の相棒って場所も、お前とお前の背中護るって場所も、誰にも譲らねえ。お前を護るのは俺で、俺を護るのはお前だ。……俺だって、そう思ってるし。お前に先越されたくもねえからな。一緒に進むのも、良いよな。お互い、譲らねえまんま」
返された答えに、京一は、酷く嬉しそうに笑んだ。
「…………あ、雨が止んだ」
「みたいだな。……帰るか」
「うん。スーパー寄ってから」
「……付き合え、と?」
「勿論。そーゆー、生活感溢れるのも、又日常」
「わーったよ。付き合ってやる。大サービスだ、荷物持ちもしてやるよ」
「じゃ、お礼に、居眠りキングな京一が、絶対に知ってる筈無い期末テストの出題範囲、教えてあげるよ」
幸福を噛み締める風に笑った彼へ、龍麻も又、嬉しそうに笑み返し、雨の上がった夜道を、二人は再び辿り始めた。
「……う。忘れてたぜ、期末テストのことなんざ……」
「たまには開きなよ、教科書くらい」
「あのな、俺だって開くぞ、教科書は」
「へー……。……京一の生物の教科書なんて、未だに手が切れそうな程綺麗なのに、よく言うよ。京一も、少しは勉強することに慣れた方がいいって。中国行くからには、中国語、覚えなきゃならないんだから」
「いきなり、現実を突き付けんなよ、ひーちゃん……。……明日……は駄目だから、明後日にでも、本屋行って、中国語のテキストでも見繕うか……」
「……おおお。凄い、京一にしては建設的。でも、今夜から暫くは、テスト勉強だからね。悪いけど、帰さないから。仲良く、オベンキョータイム」
「えー、マジかよ……」
「マジ。冬休みまで、補習喰らいたくないだろう? 皆と、忘年会の約束だってしてるんだし」
────雨上がりの夜道を、『何時もの場所』目指して帰る二人の会話は、日常そのもの、だった。