翌日。
日付を言うならば、十二月八日、火曜。
放課後、新宿中央公園へ赴くべく、龍麻達五人は、教室の片隅に固まった。
新宿駅前で待ち合わせをしている、如月やアラン、マリィと落ち合う為に、一先ずはそこへ、と、すっかり下校の支度を整え終えた彼等は、足早に教室を出ようとして、……が。
「緋勇君。蓬莱寺君。醍醐君」
名指しで、少年達三人が、担任のマリィに呼び止められた。
「あ、マリア先生」
「はい? 何ですか」
「マリアせんせー、悪りぃんだけど、俺達急いでんだ」
出端を挫くように彼等を呼び止めたマリアの表情は、何処か強張っており、説教? と瞬間、彼等の脳裏に閃いたけれど、今の処、マリアより説教を喰らう心当たりなぞ、醍醐には無く。
龍麻と京一は、未だにきちんと提出していない、進路指導票に関する説教だと思ったので、今日はそれ処ではないと、彼等は、誤摩化しと逃げの一手を打とうとした。
「貴方達を、帰す訳にはいきません」
しかしマリアは、必要以上に、と思える毅然とした態度で、彼等へ断言した。
「……へ? 帰す訳にはって、マリアせんせー?」
「三年生の貴方達は、来週のテストが、高校最後のテストになります。その成績は直接、卒業の査定に関わって来るわ。……今回の期末テストで補習を受ける結果になったら、大事になるのよ? 特に、蓬莱寺君。貴方が一番深刻です。なのに貴方達と来たら、勉強に関することでも、進路に関することでもない『何か』で、何時も忙しそうにしているし、真面目にテスト勉強をしている様子も窺えないわ。……だから貴方達には、今週一週間、放課後に、特別授業を受けて貰います。学年主任の犬神先生とも相談して決まったことだから、そのつもりでね」
「え、今週一週間、丸々ですかっ? でも、先生、今日は、その…………」
きっぱりと言い切ったマリアに、京一は訝し気になり、説明を聞き終えた龍麻の声は裏返る。
「駄目です。一週間、放課後に拘束されることと、卒業後の貴方達の人生と、何方が大事だと思っているの。私も、他の教科の先生方も、貴方達のことを思って決めたことです。……いいわね? ──今日は、四時半から始めます。じゃあ、又後で」
だがマリアは、彼等の抗議を全て一蹴し、特別授業の支度を整えて来るからと、一旦、職員室へと戻って行った。
「嘘だろー…………?」
「どうしよう……。困っちゃったね……」
「確かに、俺達の本分は学生だが、今日はな。如月達も待っているし……」
カツカツと、足音も高く去って行く彼女の背を見送りながら、彼等は、酷く頭を悩ませる。
「だよな。今日だけは……。それこそ、人生懸かってんもんな。………………逃げとくか?」
「でも、マリア先生のあの様子じゃ、逃げたりなんかしたら、留年確定しちゃうかもよ? 特に、京一」
「…………うるせー、小蒔……」
「そうね……。道心さんのお話を聞きたくはあるけれど……、龍麻君達三人の卒業も、とても大事なことではあるわ」
「しかしなあ……。来週は期末テスト本番だ。マリア先生のあの剣幕では、テスト期間が終わるまで、日曜日も含めて、俺達は解放して貰えそうにない。そうなると、中央公園へ行く時間を取れるのは、来週の日曜になってしまう」
「醍醐の言う通りだよなあ……。二週間の間、何も起こらないとも限らないし……。かと言って、逃げるのも……」
教室の片隅に、五人、固まったまま、非常に悩ましい問題をどうやって片付けようかと、彼等は知恵を絞り合ったけれど。
「こればかりは、私達生徒の立場では、どうしようもないわ。今日は諦めて、中央公園へ行くのは後日にしましょう? 如月君達には、私と小蒔から事情を話しておくから。今日、取り敢えず特別授業を受けてみれば、大体何時に終わるかも判るでしょうし、それ次第では、上手くすれば今週の内に、道心さんの所へも行けるかも知れないから」
どう足掻いてみても、学生が本業である以上、この状況から逃れようはないとの結論しか彼等には生み出せず、葵の意見に従って、その日の中央公園行きは、中止になってしまった。
「…………おかしい。ぜってー、何かおかしい」
期末テストの為の特別授業の沙汰を、龍麻達三人が申し渡されて数日が経った、金曜の昼休み。
購買の焼きそばパンを齧りつつ、京一は頻りに首を捻り始めた。
「おかしいって、何が?」
「マリアせんせー、と。……犬神のヤローが」
十二月半ば、屋上でのランチは肌寒過ぎるので、教室の片隅で、適当に机をくっ付け、何時ものメンバーでの食事中、親友は何を言い出したんだと、龍麻が隣の彼へと首を巡らせれば、酷く納得いかなそうに、ブツブツ言い出した当人は語り始めた。
「あー……、それは、俺も感じる……」
「だろう? そう思うだろ? ひーちゃん」
「おかしいって、どうおかしいのさ。ボク達にも判るように説明してよ、京一。マリア先生と犬神先生の仲がおかしいとか、そういうこと?」
「馬鹿。ちげーよ。……例の、俺達が受けさせられてる補習の話だ。小蒔と美里には判んねえだろうけど、どうにも、様子がおかしいんだよ、あの二人」
「……ああ、やはり、お前も感じたか、京一」
「ったりまえだ、醍醐。つーか、俺が一番感じるのが道理だろう? 犬神が、だぞ? あ・の、犬神が、俺に優しさを見せやがんだぞ? でも、マリアせんせーは……。誰だって、不思議に思うっての」
「…………あの、御免なさい。私、話が見えないのだけれど……」
ここの処の放課後で彼が感じ続けていたことは、龍麻や醍醐にも共通の思いだったようで、勢い少年達は、言わずとも共感出来ることを勝手に喋り合い、特別授業の実態を知らない葵は、唯々、不思議そうな顔を作った。
「あ、御免、美里さん。…………その、何て言えばいいかなあ……。犬神先生と、マリア先生の様子が、おかしいんだ。例の奴は、俺達三人だけじゃなくって、他のクラスの万年補習組も受けさせられててね。だから、だろうけど、他の教科の先生達は……こう……『普通に熱心』なんだけど……」
「……そうなんだよな。殆どのセンコーは、普通に熱心でよ。でも、マリアせんせーだけが、『異常に熱心』、なんだよ。……でな。逆に犬神のヤローは、何時も以上に不熱心、なんだ。何つーか……、俺達みたいなのの補習なんかに付き合ってられっか、ってな不熱心じゃなくて。上手く言えねえんだけど、俺達のこと、早く帰したくて仕方無いから、授業の手を抜いてる、みたいな感じっつーか……」
「うむ。そうだな。例えて言うなら、そんな感じだ。……最初は気の所為かと思ったんだが……、京一にまで、懇切丁寧に問題の答えを教えるばかりか、生物のテストではこういう問題が出るから、答えを覚えておけ、とまで言い出すし、予定よりも早く、生物の特別授業は終わらせようとしている風だしな。だが、犬神先生の授業が早く終わっても、その分きっちり、マリア先生の授業が延びる。必ず」
きょとん、となった葵と小蒔に、代わる代わる少年達は説明をして、それが不思議で不思議でならない、けれど、理由が判らない、と揃って首を捻った。
「……マリア先生は、皆のことをちゃんと卒業させたいと思ってるから、とかいう熱心さじゃないんだ?」
「そうだ、小蒔。犬神のヤローが、俺達を早く帰したいからの不熱心さ、だとするなら、マリアせんせーのは、俺達を帰したくないからの熱心さ、だ。……多分だけどな。……そもそもからして、異常だと思わねえか? この三日、俺達がガッコを出る頃には、毎晩九時になってんだぞ? 普通なら、有り得ねえよ、んな補習。……だが、理由が判らねえ。何で、そうまでして、マリアせんせーは俺達を少しでも長く、ガッコに引き止めておきたいのか。何で犬神は、俺達を少しでも早く、ガッコから帰したいのか」
……事情を知った少女達は、少年達に倣って、仲良く首を捻ったが。
その時、その答えは、誰からも出なかった。