ガラスに皹が入る勢いで、正面玄関の扉が蹴り開けられる音を聞き付け、何事だろうと思いながら、それでも。
「いらっしゃいませ〜」
何時も通りのおっとりした口調で、パタパタと廊下の向こう側から駆けて来た、桜ヶ丘の見習い看護婦、舞子は。
「あれぇ? 皆、どうし…………。……ダーリンっっ!?」
少年達総出で抱えられている龍麻を一目見て、悲鳴を上げた。
「せんせーーっ! 院長先生ーーーっ!! ダーリンが、ダーリンがぁぁぁっ!」
半泣きで叫びながらも、看護婦の卵なだけのことはあるのか、バタバタと駆け戻って行った舞子は、又、バタバタとストレッチャーを押して戻って来て、少年達は、そこに彼を横たえる。
「何の騒ぎだい?」
その頃には、巨体を揺らしながら、たか子も奥より飛び出て来て、事態を一瞥し、酷く顔を顰めた。
「高見沢。泣いてる場合かい。とっとと支度をおし」
「判ってますぅぅ……っ」
手だけは動かしつつも、ベソを掻くこと止めない彼女を叱咤し、たか子は、未だ京一の腕を掴んだままの龍麻の指を、丁寧に、そうっと、一本ずつ引き剥がし始める。
「…………たか子せんせ……。こいつのこと……」
「……判ってるよ。お前が、そんな顔をするのはお止め。──それよりも。この子と同じ血液型の連中を集めるんだ。ここのストックだけじゃ、足りないかも知れない。霊的治療でも、血液までは再生出来ないからね」
「それなら、仲間内に連絡廻してる。ここにいる中じゃ、俺と美里とマリィが、龍麻と同じBだ」
「なら、高見沢が戻って来たら、採れるだけ採って貰いな」
皆を落ち着かせる為にだろう、口調だけは軽めのそれで、京一と龍麻を引き離してよりたか子は言って、余りスタッフの多くない、『貧相病院』の院長らしく、自らストレッチャーを押し、煌々と灯りが灯され始めた手術室へと入って行った。
「龍麻…………」
……バタン……、と。
彼女が、後ろ手に閉めた扉の音は、やけに大きく廊下に木霊し。
見守るだけしか出来ない誰もが皆、言葉と息を詰まらせた。
「京一君っ、葵ちゃんっ、マリィちゃんっっ。こっちぃっ!」
だが、悲しみや不安や柳生に対する怒りに浸る間もなく、舞子の呼ぶ声が彼等の耳には届き。
人々が行き交う音、ヒソヒソと囁かれる声、正面ロビーの片隅で、他の仲間達と頻繁に連絡を取り合うざわめき、そんな物が、桜ヶ丘を満たし始めた。
龍麻が運び込まれてから一時間と経たぬ内に、仲間達全員が、桜ヶ丘の正面ロビーに集まった。
誰も彼もが、不安の入り交じった厳しい顔付きで病院の玄関を潜り、待ち合いの椅子にて身を強張らせた。
血液型の合う者は血を提供し、そうでない者は、ひたすらに祈った。
……しかし、二時間が経っても、三時間が経っても、手術室の扉が開かれることはなく。
「遅い、な……」
「そうですね、姉様……」
本当に、ぽつりぽつりと、暫しの言葉が交わされる以外、そこは痛い程の静けさに見舞われ続けた。
…………だが、やがて。
正面ロビーに置かれた、待ち合いの椅子のある辺りから真っ直ぐ伸びた廊下の突き当たりの手術室の入口前で、一人、竹刀袋を握り締めたまま、ひたすら立ち尽くしていた京一が、くるりと皆の方を振り返って、進み出した。
「…………何処行くんだよ、京一」
一塊になっている自分達の方へと歩き出し、が、するりと脇を通り抜け、玄関へと向かう京一へ、雨紋が声を掛けた。
「……何処に行くって程、大層なこっちゃねえよ。頭冷やしに行くだけだ」
「止めときな、旦那。今の旦那に、一人は良くねえぜ」
億劫そうに立ち止まり、ちらりと、肩に担いだ竹刀袋越しに振り返った彼の面は酷く冥く、何処となく修羅さえも思い起こさせる程で、それを見咎めた村雨が、学生帽で目許を隠しながら、彼を引き止める。
「直ぐに戻るっつってんだろ」
「京一……。龍麻のことも心配だが、そんな顔を隠せもしないお前も、俺達は放っておけんぞ」
「僕も同感だね。……京一君、今の君は…………」
雨紋や村雨の声に、瞳の剣呑さを増させた京一を、醍醐も壬生も、口を揃えて留めた。
「……ああ? 今の俺が、何だって? 修羅みてぇな顔付きでもしてやがるってか? …………そうかもな。それくらいの自覚、俺にだってあるぜ。なれるもんならなりてぇからな。修羅とやらに。…………こんなことになっちまうんなら、あの時いっそ、『本物』になっちまえば良かった。その方が、よっぽど良かった。今よりは、遥かにマシだった。今の俺よりも、遥かにっ」
だが彼は、誰の声にも耳を貸さず。
「京一はん……。そないなこと、言わんといてぇな…………」
劉は、悲しそうに彼を見詰めた。
「…………大丈夫ですよ」
と、すくっと御門が立ち上がって、常に手にしている白扇にて口許を覆いながら京一を眺め。
「大丈夫って、何がだ」
「そんな顔をしていても、そんなことを言ってみても、蓬莱寺、貴方の氣には陰の欠片も無い。貴方は正しく、陽の氣の塊のような者。到底、修羅にはなれない。……良い意味でね。……頭を冷やしたいと言うなら、お行きなさい。本当に、直ぐに戻って来る気があるならば、ですが」
「……そんな太鼓判、有り難くも何ともねえな」
御門は、大丈夫だからと仲間達を諭し、彼の言い種に京一は肩を竦めてから、正面玄関を潜って行った。
「…………大丈夫かな……。ううん、大丈夫だよね、ひーちゃんも、京一も……」
去って行く彼の、竹刀袋を掴む手が、爪先の色を失くす程に強く握られているのに気付いて、小蒔は、先程からずっと両手の中に顔を伏せたままの葵の肩を抱きつつ、自らに言い聞かせるように呟く。
「京一が、一番悔しくて、一番辛いのかも知れないよね……。あいつと龍麻、呆れ返るくらい仲良くってさ……。親友だ、相棒だって、いっつも二人で言い合って…………」
胸許辺りで両手を組んで、亜里沙も又、リノリウム張りの床へと視線を落とす。
「ひーちゃんと、京一君はね…………」
────すれば。
何処へ行くにも抱き締めている、フェルト作りの、何処となく不気味さを醸し出す人形を弄びながら、ミサが、ぽつっと洩らした。