『出来事』から、四日目。十二月二十三日、水曜。

恐れたように、たか子によって、問答無用で窓から放り投げ出され、それでもめげずに病室に戻った処を再び見咎められ、引き摺って行かれた院長室にて、半ば怒鳴り合いの口論をしたが。

粘り勝ちを収めた京一は、ひたすら龍麻の枕辺に付き添っていた。

詳しい事情は未だ言えないけれど、柳生絡みの件以外でも、龍麻を取り巻くきな臭いことがある様子だから、と告げた彼の真剣さに、たか子は折れてくれた。

相変らず、入れ替わり立ち替わりとやって来る仲間達も、今日は何で、朝から京一がいるのだろう、とでも言いたげな顔をしたが、誰も、何も言葉にはしなかった。

京一も、仲間達にすら多くは語らず……否、語れず。

夕刻、葵や小蒔と共に顔を見せた醍醐にだけ、そっと、マリアの様子がどうにも変だから、気を付けて欲しいと告げるに留めた。

…………そうして、刻々と時間だけが過ぎ。

産婦人科の看板を下げる病院には、決してそぐわない面々の行き来も途絶えた、夜半。

今日は、マリアせんせーは来なかった、何事もなかったと、ホッと肩で息をし、やっと彼は、掴み続けていた竹刀袋を、手を伸ばせば届く壁へと立て掛ける。

……そのまま、手は、少しばかり細くなったように思える龍麻の腕を取って、指先を握り込んだ。

こうしていれば、その内ひょっこり、瞼を開いてくれるんじゃないかと、彼にはそんな気がするから。

都合のいい、勝手な思い込みかも知れないけれど。

もう、そこにしか、彼のよすがはなかった。

己の氣。

龍麻が、真夏の太陽の如くだと言った氣。

未だに己には、そのような自覚は余り伴わないけれども。

………………もう、そこにしか。

あの刹那、龍麻が残した痕も、既に消え去ってしまった今では。

「遅せぇよ……。何時まで、待たせんだよ。明日は、クリスマスイブだぞ? お前にだって、デートしたい女の一人や二人、いんだろ……? 明後日は、終業式だしよ。補習免れた、折角の冬休みが始まるってのに。連中と、忘年会の約束してんの、お前だってちゃんと覚えてんだろーが。約束破りになっちまうぞ? そーゆーの、嫌いだろう……? 目ェ覚ませ、いい加減…………」

──言葉を掛けても届かない。

そんなことは判っている。

判ってはいる、けれど。

語り掛けることを、京一は止められなくて。

「……俺は……俺は、お前以外の相棒なんか、要らねえぞ。…………そりゃあよ、俺もお前も、未だ十七でさ。人生これからだけどよ。俺の一生の相棒は、お前だけだと思ってるし……。……だから、もう……起きろよ……」

こんな夜も、もう四晩目だ、と、掌に氣を集め続け………………──

「…………龍麻……?」

──ふ、と。

彼は、握り続けた『彼』の指先が、ピクリと蠢いた気がした。

……気の所為かと思った。

これは、単なる己の願望だと。

しかし、確かに龍麻の指先は、あの時のように……京一の氣、そのものに触れようとしているかのように、蠢き。

閉ざされ続けていた瞼は、薄く開いた。

…………開かれたその中にあった瞳は、枕辺の京一を探し当ててより、笑んでいる風に細められ。

未だ、上手く声が出ないのだろう唇は、ただいま……、と動いた風に読め。

「……お帰り、龍麻」

京一は、掴んでいた彼の手を、両手で握り直した。

「お前、遅せぇよ……。俺よりも、寝坊じゃねえか。いい加減、ぶん殴ってでも叩き起こそうかと、本気で考えちまった……」

「…………ごめ……。……御免、京一…………」

「……謝るな。お前の所為じゃない。……お前の所為なんかじゃ…………」

喉に息を絡ませながら、喋り辛そうに詫びる龍麻を軽く睨み、吐き出してしまいそうになる、「俺だって、お前を護れなかった……」、との一言をぐっと飲み込み、無理矢理に笑みを刷きながら、握り込んだ龍麻の手を、京一は己が額に押し付ける。

「…………気の所為かも知れないけど……。何かね、長い夢を見てたみたいな感じ……。でも、あ、何となく体が軽くなった? って思って、意識傾けてみたら、京一の氣があってさ。……ああ、京一がいる、手、繋いでくれてるって思ったら……、目が醒めた」

「………………そっか」

「……うん、そうだよ」

「…………あっ、悪りぃ。今、ババア呼んでやっからな。ええと、ナースコールのボタンは、っと……」

目覚めるかも知れないし、目覚めないかも知れないと、有り難くもない『保証』を、たか子にまでされてしまった龍麻が、こうして意識を取り戻してくれたことが、叫び出したいくらいに、泣き出したいくらいに嬉しくて、体の隅々まで安堵は行き渡って、握り締めた手を離せもせずにこうしている己も、己の科白も、龍麻から洩れる科白も、酷く照れ臭くて。

何も彼もを誤摩化すように、京一は、枕元のナースコールボタンを探した。

「……たか子先生呼ぶの、もう一寸だけ待ってよ」

だが龍麻は、眼差しと言葉でそれを留める。

「何でだよ。早く診て貰った方がいいじゃねえか。あれから、四日経ってんだぞ。その間、お前、ずーーっと危篤だったんだぞ……」

「え、四日……? 四日も経ったんだ……。そっか…………。…………謝るなって言われたばっかりだけど……、御免、京一……。きっと、物凄く心配掛けたんだろうなって思うと……、御免って言うしか…………。あ、後、有り難うと、それから…………」

「…………判ったから。もういいから。……ちっと黙れ。御免も、有り難うも、要らねえ。ちゃんと、お前の目が覚めた、それだけでいい……」

ナースコールへと伸ばした腕を留めた彼へ、龍麻は酷く顔を歪め、ポツポツと吐き、京一は、それを遮った。

……本心だった。

詫びも、感謝も、何も要らなかった。

龍麻が生きていた、そして目覚めた、それだけで、京一には充分だった。

「京一…………。……うん……。……でも、さ。又、京一と一緒にいられるんだってこと、俺も噛み締めたいから。もう一寸だけ。……ね?」

本当に、本当に、絞るように、吐くように、言った京一へ龍麻は、幸せそうに微笑み。

だから、たか子は未だ呼ぶな、と繰り返す。

「……後、五分だけな。早くババアに、お前のこと診て貰いてぇからな」

……渋々、我が儘を聞き届けてやる風に言ってみせながらも、実の処は京一とて、龍麻と同じ想いだったから、言葉よりもすんなり、願いを受け入れ。

彼等は、暫くの間二人きりで、細やかに会話を交わし続けた。