五分後。
けたたましく鳴り始めたナースコールに応えて、先ず、舞子がやって来て、照れ臭そうに笑い掛けて来た龍麻と視線が合うや否や、彼女は奇声のような悲鳴を上げながら院長室へと駆けて行き、たか子を連れて戻って来た。
舞子より、龍麻が目覚めたと言われてはいたものの、意識を取り戻した彼を実際に目にしたたか子も又、若干目を瞠り、直ぐさま、診察を始めた。
「驚異的な回復力だね。ついさっきまで、危篤状態が続いていたのに。……もう、何も心配することはないよ」
手早く全てを済ませた彼女は、大丈夫だと、太鼓判を捺してはくれたが。
その表情は、余り明るさを取り戻さず。
解かれた包帯の下──龍麻の肌には、もう、柳生に斬り付けられた痕など毛筋程も窺えなくて、跡形もなく傷の消えた彼の上半身を目の当たりにしたたか子も、龍麻自身も、京一も舞子も、一瞬、複雑過ぎる表情を浮かべた。
「……朝、もう一度診察して、その結果次第では、明日の内に退院出来るかも知れないよ、緋勇」
「そう、ですか……」
だが、『悪いこと』ではないと、皆を落ち着かせるようにたか子は、明日には退院、と告げ、龍麻は曖昧に笑む。
「ああ。……ま、もう一晩、ゆっくり寝るんだね。行くよ、高見沢」
「はぁ〜い。でも良かったぁ、ダーリンの意識が戻ってっ。舞子、嬉しいっ」
しかし、彼の憂いに応えることなく、たか子は、上機嫌の舞子を引き連れ病室を後にし。
「危篤だったのに、五日で退院……。俺、瀕死だったんだよね……?」
「……あ、ああ……。……でも、さっさと退院出来るんだ、いいじゃねえか。明日は丁度、クリスマス・イブだし。こんな辛気臭ぇ所で、クリスマスの夜過ごすの、ひーちゃんだって嫌だろ?」
又、京一と二人きりになった病室にて、龍麻は酷く思い詰めた顔をし、何となく、彼の考えていることが読めて来た京一は、全てを押し流すように明るく言った。
「それは、そうだけどさ……。そうなんだけど…………」
……でも、京一の思惑を裏切って、龍麻はソロ……っと、パジャマの襟元を引っ張り、自らの体を覗き込む。
「………………やっぱり、見間違いとか、夢見てる、とかじゃないよね……。何で、あいつに斬られた痕が、何処にも残ってないんだろ……」
「…………あるよりゃ、ない方がいい」
「京一。……俺が、そういうこと言ってるんじゃないって、判ってるよね?」
「まあ、な………………」
だから、何とかして『この事実』を流してしまおうと、京一は努力したけれど、龍麻が、眉間に深い皺を刻んで睨み付けて来たから、彼は、視線だけを天井へ向けた。
「黄龍の器、だからかなあ……」
「……判んねえじゃねえか、そんなこと。俺達全員、龍脈の影響ってのを受けてるらしいから、お前だけが、って訳じゃ」
「…………本心から、そう言ってる?」
「一、応……」
「顔に、嘘だって書いてあるよ、京一。……京一には未だ、八剣に付けられた痕、残ってるよね。大分、消えて来たみたいだけど。俺達全員、龍脈の影響で『こんな』なら、京一のだって、疾っくに消えてなきゃおかしいよね」
「…………ひーちゃん、それは……」
「……覚悟、決めたつもりなんだけど。未だ、甘かったかな……。…………人間じゃない、こんな──」
「──止めろ、そんな言い方」
こいつが今考えていることは、大方……、との想像と、似たり寄ったりのことを龍麻が言い出したので、何処となく気拙いと、天井へ向けていた視線を戻し、京一はきつく、彼の科白を遮った。
「黄龍の器だから、お前は、あの糞っ垂れ野郎にこんな目に遭わされちまったけど、黄龍の器だから、お前の命が助かったってなら、いいじゃねえか、それで。……俺は、それでいいと思うぜ。……お前が何者でも、俺はどうだっていい。俺には関係ない。他の連中だって、そう思ってる筈だ。お前の正体が、ヒトならざるモノでも何でも、俺にはどうだっていいんだよ。お前はお前じゃねえか。だから、そんなことを言うな」
「京一……、でも…………」
「……なあ。それじゃ、駄目か……? 俺や、俺達が、そう思ってるだけじゃ駄目なのか……? お前が何時か、お前じゃなくなるようなことがあっても、必ず引き戻してやるから。それで、一先ずは目を瞑るって、そう言ってくれよ……。…………身勝手だって、判ってる。こんなのは、俺の勝手な想いで、お前自身にとっちゃ、何の解決にもならねえことくらい……。だけどよ、龍麻……。俺にとってお前は、お前でしかないから。お前が俺の親友で、相棒でいてくれれば、俺は、それだけで…………」
咎める風な口調で始まった彼の訴えは、徐々に勢いを失くし、萎んでしまった声と共に、面も下向けられた。
「……そう、だね」
「それでも……、どうしてもって言うんなら。お前の望むモノに、俺もなるから。お前が、自分で自分を、ヒトならざるモノだって思うことを止めないんなら、俺も、ヒトならざるモノになるから。…………俺には、それくらいしか出来ねえ……」
「………………京一ってさ。本当に、馬鹿だよね」
そんな風に、溜息を零して俯いてしまった彼の頭を、龍麻は思い切り引っ叩いた。
「……痛てぇな、この野郎」
「京一が、そんなモノに自分からなるなんて、御免被るよ。冗談じゃない。そんな風に思って貰えるだけで、俺は充分。…………本当に、京一のそういう処は、時々、暖かいを通り越して、『痛い』けど。何て言うか、こう……苛烈、でさ。真っ直ぐ過ぎて、全然まろやかじゃないけど。救えないなら一緒に堕ちるって感じの発想は、一寸した、殺し文句っぽいよね。…………嬉しいと思うよ……。そんなことまで言って貰えて……、ああ、俺はここにいてもいいんだって、思える……」
ベチンと音を立てた衝撃は、思いの外痛くて、ジトっと京一は龍麻を睨み上げたけれど。
龍麻は、笑いながら告げ……、やがて、泣き出した。
「……もう、いい……。何度も何度も、自分に言い聞かせて来たけど、もう一回、言い聞かせる……。俺の『部分』がこんな風なのは、どうしようもないことで、仕方の無いことだ、って……。……でもさ、俺には京一がいるから。皆もいるから。充分過ぎる…………。……柳生とのこと終わらせれば、俺が黄龍の器だろうが何だろうが、きっと、関係なくなるんだし……」
「ああ。あの糞っ垂れをぶっ倒して全てを終わらせれば、きっと。寛永寺の封印も元通りになる。そうすりゃ、龍脈だって、元通りだ。……そうだよな。うん、きっとそうだ。……な? 龍麻」
──ほろっと、幾筋か涙を流した彼を見遣っても、京一には、泣くな、と言えなかった。
淡いだけかも知れない期待を、口にするしかなかった。
…………道心は、あの日言った。
『黄龍の器』は、龍脈の力を手に入れるのに、絶対に必要なモノだ、と。
蚩尤旗の現れが示す歴史の変革期、放っておいても、龍脈の力は『黄龍の器』に宿る、と。
龍脈の力をも使役する存在だ、と。
だと言うなら、正しく、黄龍の器たる者は、ヒトならざるモノなのだろうけれど。
柳生を倒して、陰の器を封じ、そうして全てを終え、龍脈も、封印も、元通りになれば、もう、こんなこと、考えなくても良くなるのだ、と。
京一も、龍麻も、それを音にした。
……淡いだけの期待、かも知れないと、薄々思いながらも。