時折、思い出したように、ホロリと涙を零す龍麻を宥め賺して寝かせ、京一自身も、パイプ椅子に座ったまま、彼の枕元に突っ伏すように眠りこけた一夜が明けて、朝。

回診に来たたか子より、夕方には退院しても良いとの許可が下りたので、バキバキと、節々が音を立てる体を伸ばしながら、連中に連絡しなくちゃなと、病室を出ようとして、ふと。

何やらを思い付いたように、ニヤッと笑いながら京一は、朝食を食べ始めた龍麻を振り返った。

「……何? その、何か企んでるみたいな笑い」

「へへへー。……なあ、ひーちゃん。今日は、クリスマス・イブだろ?」

「ああ、そうだよね。新宿の街、賑やかなんだろーなー」

「藤咲の科白じゃねえけどよ。クリスマスったら、年に一度の一大イベントだろ?」

「………………彼氏や彼女がいる奴等にはねー」

「いいから、黙って聞けって。退院してもいいって、ババアも言ったことだし。イブだしよ。もしもお前が、今夜を一緒に過ごしたいと心秘かに想ってる女がいるんだったら、連中に連絡廻す前に、俺がこっそり呼び出してやるよ。退院祝いとクリスマスプレゼント代わりに、デートのセッテンィグしてやる。仲間内に連絡廻しちまうと、宴会になり兼ねねえだろ? それじゃ、何時ものノリと一緒だし、ひょっとしたらお前の相手は、あの面子ん中にゃいねえかも知れねえし? ……だから。ちょっくら白状してみろ、お前の片想いの相手っ!」

「……まーた、始まった…………」

滅茶苦茶に良いアイディアを思い付いた風に笑みながら、デートの橋渡しをしてやる、と言い出した京一に、プラスティックのフォークを銜えながら、龍麻は溜息を零した。

「そんな子、いないって……」

「おいおい……。幾ら何でも、そりゃあ嘘だろ? 自分の身の回り、よーく見回してみやがれ。仲間内だけでも、アン子まで数えりゃ十人の上、ぜーんぜんタイプの違う女がいんだぞ? 誰か一人くらい、ひーちゃんのツボにヒットする奴がいたって、おかしかねえ。……ほれ、ほれほれ。俺にくらい、秘めた想いっての、打ち明けてみな」

だが京一は、片想いとまでは行かなくとも、一人くらい、いいな、と感じる少女、若しくは女性がいる筈だ、と引かなかった。

「じゃあ、キョーイチクンに質問」

「おう」

「仲間内だけでも、遠野さんまで入れれば十人の上、ぜんっぜんタイプの違う女の子達が周りにいるのに。京一は誰も、いいとは思わないんだ?」

「………………えっ? 俺……? 俺は、その、何つーか。乳臭い女子高校生よりも、大人なお姉様方の方がー……」

「説得力無いよ……。……皆、いいな、とは思うよ。但し、仲間とか、友達としてね。……折角だけどさ。未だ、女の子に目が向かない。未だ、余裕ない。……そりゃーさー、俺だって男だから? デートって言われれば、一寸目の色変わるけど? …………俺は……、うん……。……前に、話したじゃん。京一が、そうだって言ってくれたみたいに、俺も、京一と一緒に、馬鹿やってたり戦ってたりしてる方が、今はいい、って。例え今夜がイブでも、それは変わらないかな」

故に、自分のことは棚に上げて……と、龍麻は苦笑を洩らし、反撃に打って出て、親友の厚意を、謹んで辞退した。

「そっか……。折角の機会だからって、思ったんだけどよ……」

『デートのプレゼント』は要らない、ときっぱり彼に言われ、京一は頬を掻く。

「あ、じゃあさ。退院祝いとクリスマスプレゼント代わりに、ラーメン奢ってよ。ここの処、王華のラーメン食べてないから、食べたい。一緒に、ラーメン食べに行こう、京一」

「…………そんなんで、いいのか……?」

「うん。そういうのがいい。退院の手続きしたら、王華行って……あ、でも、ラーメンだけじゃきっと足りないから、ケーキ買って、フライドチキンとかも買って、で、家帰って、宴会。京一も、予定、ないんだろ? お姉様方振ってから、独り身だもんね」

「独り身で、悪かったな……。──高校最後のイブを過ごすプランにしちゃ、随分と侘しいが……、ま、いいか……。……そうだな、二人で宴会ってのも、侘しいモン同士、らしいっちゃらしいし。あ、でも、今夜はアルコールは抜きな」

「うわ。珍しいこと言うね。どうしたの?」

「幾ら俺でも、退院した当日の奴に、酒呑まそうとは思わねえよ」

「……京一が、殊勝だ…………。きっと、今夜は雪なんだ。うん」

「お前なあ……」

誤摩化しの仕草を取る親友へ、『デートプレゼント』の代わりに、ラーメンを奢れと龍麻は迫り、当の親友はちょっぴりだけ呆れてみせて、けれど、何処となく嬉しそうに笑ってもみせて。

「……本当に、雪が降ったらどうする?」

「へ? 京一が、らしくもなく真面目な所為で、雪が降ったら?」

「そー。俺の『お陰』で、雪が降ったら」

「降らないと思うけどなー……。今日は、すごーく暗い雲出てるみたいだけど、十二月下旬でも、東京だからなあ……。俺の実家の方だったら兎も角、幾ら何でも。……雪よりは、槍の方が降りそう」

「槍とは何だ、槍とはっ。ロマンの判らねえ奴だな。『ホワイトクリスマスになったら、京一のお陰だね』、くらいのこと言ってみせろっての」

「……言ってること、無茶苦茶だよ、京一。訳判んないよ……」

努めて愉快そうに、龍麻の言葉尻を拾った京一は、馬鹿話を始めた。

龍麻が、心底呆れたような気配を漂わせたのも構わず。

…………クリスマス・イブと退院が重なったことに託つけて、『デートのプレゼント』と言い出してみたのは、それも又、『高校男子としては日常』かと思ったからで、沢山、余計なことを考えずとも済むくらい沢山、龍麻が『日常』の中に『溺れて』くれればと、そんなことも考えたからだったけれど。

よくよく考えてみれば、『己はヒトならざるモノかも』と、思い悩んでいるのが透ける龍麻へ贈るプレゼントとしては、無神経過ぎる話だったかも知れない……、と思い直してしまって。

が、それを素直に詫びることも出来ない京一には、『なかったこと』にするしか、術が思い付かなかった。

「いいだろっ。俺が真っ当なこと言った所為で、雪が降った、なんて言われたくなかったんだよっ。……ま、いいか。こんな馬鹿話は、どうでも。──お、飯、喰い終わったか? じゃあ、トレー返して来てやるよ。序でに俺も、朝飯喰って来る」

「んー。アリガト。……朝飯、いってらっしゃーい、って言いたい処なんだけどさ。学校、行ったら? 俺の方は、平気だから」

「んなん、今更、今更。──じゃーなー、一寸行って来る」

「……知らないよ? 出席日数足りなくて、留年になっても。京一のことだから、ちゃんと数えてるんだろうけどさ。──じゃ、いってらっしゃーい」

…………その『誤摩化し』は、それなりには上手くいったようで。

朝食のトレー片手に出て行く京一の背へ、龍麻はヒラヒラ手を振り。

牛丼屋にでも行くかなー、と、必要以上に威勢良く、京一は、病室を出た。

退院前にもう一度、と、たか子が言い出した診察を終えて、龍麻の退院手続き全てが完了したのは、午後三時を少し過ぎた頃だった。

彼が全快し、退院するという話は、京一が連絡を廻すまでもなく、舞子の口より伝わっていてもおかしくなかったのだが、どうやって口止めしたのか、もう病院を出る、という間際になって、やっと電話でそれを知らされた仲間達は、薄情者! と散々っぱら京一に噛み付いたが、誰に何を言われても、何処吹く風の調子で薄情者は電話を切って、入院の為の細やかな荷物を詰めた鞄を担ぐと、行こうぜー、と軽く笑って龍麻の手首を引き、桜ヶ丘の門を潜った。

──薄情な大馬鹿者に、天誅を! と、仲間達が桜ヶ丘に駆け付けたのは、それより一時間程後のことで。

その頃には、もう疾っくに、薄情で、天誅の必要な大馬鹿者と、さっさと退院してしまった彼は、新宿の雑踏の中に消えていた。