無事に退院を果たした龍麻と、ラーメンを食べに行く、という『何時ものこと』を行えるのが嬉しいのか、新宿の街中を進む小蒔はとてもはしゃいでいて、葵も、何処となく浮かれている風だった。

そんな少女二人に挟まれながら、ああでもないの、こうでもないのと話し掛けられている龍麻より、わざと数歩程遅れた京一は、醍醐を捕まえ、声を潜める。

「……タイショー。マリアせんせーと犬神のあれ、どう思う?」

「…………マリア先生が、犬神先生に結婚を迫っている、というのが、間違いなのは確かだな。……お前も、実際はそう思っていないんだろう?」

「まあなー……。……この間は、誤摩化したけどよ。二十二日の夜、か。ひーちゃんの病室行ったら、マリアせんせーがいてよ。一寸カマ掛けてみたら、アン子にひーちゃんが入院したこと教えられた、なんて、有り得ねえ答えが返って来てな……」

「そんなことがあったのか?」

「ああ。──何でマリアせんせーは、ひーちゃんが入院したことを知ってたんだ? 誰に聞いた? 何で、思い詰めたような顔して、あいつの枕元に立ってたんだ? ……絶対、何かある。そう思って、氣の一つも探ってみりゃ、どうにもおかしいしな。せんせーも、犬神のヤローも。……そこへ来て、あの会話だろ?」

「……そうだな…………。確かに、気にはなる」

「犬神は、あの時、『あの晩、桜』……って言い掛けた。桜ヶ丘、って言おうとしてたのかも知れねえ。だとしたら、犬神のヤローも、ひーちゃんが入院したことを知ってて、せんせーがあそこに行ったことも知ってたってことになる。…………何なんだ、あの二人……」

或る程度、隠し続けていた己の本性の一部を、醍醐には悟られていたと知ったが為、京一は、内緒にしていた話を打ち明けた。

「だが、あの二人が、柳生云々と繋がっているとは、到底思えんぞ? 犬神先生はもう何年も前から、うちの教員だ。マリア先生とて、去年の三学期には赴任して来てるんだ。一年近く、俺達のことを放っておいた相手が、これまでの件と関わりがあるとは……」

「……俺だってそう思うから、ない知恵絞ってんだろーが。多分、あの糞っ垂れ野郎とは、別口の話だ。……でも、別口だろうと何だろうと、気は遣っといた方がいい。……又、ひーちゃんに何か遭ったら…………」

「……確かに…………」

桜ヶ丘にての一コマを打ち明けられた醍醐は、深く考え込み、話を振った京一も又、思考の淵に沈み。

「俺に、何か遭ったらって?」

故に二人は、足を止めて振り返っていた龍麻が、眼前にまで迫っていることに、声を掛けられるまで気付けなかった。

「うわあっ!」

「ひーちゃん、心臓に悪いことすんなっ!」

「だってさ、二人して、立ち止まっちゃうかと思うくらい歩くの遅かったからさ。…………で? 糞っ垂れ野郎とは別口で、俺に何か遭ったら、何? 何に気を遣うって?」

声にハッとし、俯かせ加減だった面を持ち上げれば、にーーーー……っこりと笑んだ龍麻の顔がそこにあり、醍醐と京一は悲鳴を上げ、龍麻は、浮かべた鉄壁の笑みを深める。

「いや、その。大した話じゃ……」

「…………京一。隠し事はなしって約束だよねー?」

「……判った。後でな」

「ん、了解」

その口調、その笑み、全てに、一寸した怒りが滲んでいると直ぐさま悟って、京一は誤摩化しを告げたけれど、そんな物が龍麻に通じる筈も無く。

しょうがねえなあ……、と京一は、頭を掻きながら、後で話すと約束した。

「もうっ! 何やってるのさ、三人してっ! ………………あれ……?」

「どうしたの? 小蒔」

「うん……。ここって、新宿駅の西口だよね……? さっきまでいた人達、何処行っちゃったの……?」

「え……っ? 本当だわ、私達以外、誰もいない……」

どうにも遅い二人を引き摺って来ると踵を返したのに、結局、龍麻まで留まってしまったのを見て、小蒔は、声を張り上げ掛けたが。

彼女も、葵も、辺りの様子がおかしいと、その場に立ち尽くし。

「……やべぇ、結界の中だ!」

「不覚だったな。気付かなかった……。おい、二人共!」

「美里さん! 桜井さん! 早くこっちに!」

己達が迷い込んでしまった場所に気付いて、京一は竹刀袋から刀を引き出し、醍醐と龍麻は、慌てて少女達を手招いた。

「そんな所でぼうっとしてると、喰われるよ……?」

一塊になって、辺りに気を配り出した彼等の前へ、ふっと現れたのは、昨日の少女、世羅。

「六道さん…………じゃあ、ないね……」

酷く歪んだ嗤い──そう、柳生のように──を浮かべて現れた彼女を、小首を傾げて窺いながら、龍麻は言う。

「……そう。『あたし』は『私』じゃない。あんな女じゃないっ! あんたを見付けてくれたけど。あんたに会いにここまで来て、あんたを追い掛けてくれたけど。だから、あんたをここへ、引き摺り込めたけど。あたしは、あんな女じゃない!」

すれば彼女は声高に叫び、益々口角を引き攣らせて嗤って、ふわりと両手を振った。

「ここにいるモノは、皆、飢えてる。喰らいたくて、喰らいたくて、仕方が無いの……」

「何を?」

「…………あんた達」

「六道さん、じゃあないけれど。六道さん、でもあるよね? 君は、『力』のことで悩んでたんじゃなかった? 相談したいって、そう言ってたよね。なのに何故、そんなことを?」

「あんな女と、あたしを一緒にするな! あいつは、何時も何時も何時もあたしのことを無視して、抑え込んで……っ! 『あたし』は『私』じゃないっ! 『あたし』は『あたし』なのっっ。……あの人が……あの人だけが、『私』じゃない『あたし』に気付いてくれたから、だからっ! 緋勇龍麻っ! あんたの、その魂をお寄越しっ! あの人が、それを望んでいるからっ。『あたし』に気付いてくれた、たった一人の人の望みだからっ!」

空気を掴む風に腕を振って、邪や鬼と言った異形を呼び出した彼女をじっと見詰めたまま、龍麻が問いを放てば、琴線に触れたらしいそれは、彼女を激高させた。

「何なのさ、あの人……」

「ひょっとしたら、二重人格……なんじゃないかしら……」

どうにも、言っていることがおかしい世羅を、小蒔と葵は困惑の瞳で見詰め。

「事情がよく飲み込めんが……、敵であることは確かなのだろうな」

醍醐も又、『中』と『外』が別人では……、と躊躇ったが。

「大方、柳生の糞っ垂れ野郎に誑かされた口なんだろうよ。……事情がどうあろうと、俺達を喰らうっつってんだし、ひーちゃんの魂寄越せとかほざいてるし。……倒すっきゃねえだろ」

刀の峰を世羅へと向けて構えながら、京一は。

「女子供だろうと、手加減はしねえぜ? こいつをどうにかしちまおう、なんて企んでる奴に、掛ける情けの持ち合わせなんざ、俺にゃねえんでな。……人間が出来てなくて、悪いとは思うけどよっ!」

無言の内に手甲を嵌め、僅か腰を落とした龍麻と共に、地を蹴った。