龍麻が倒れて以来、京一は一睡もしていないらしいから、話すのも億劫だろうし、碌な受け答えも戻らぬだろうと、皆、思っていたのに。

しこたま寝て、すっきり爽やかな朝の目覚めを迎えた絶好調男の如く、周囲に迷惑が掛からず、たか子にもバレぬ程度のトーンではあったけれど、ひと度喋り始めた京一は、止まらなかった。

殆ど、マシンガントークだった。

都内の『オネーチャン』事情から、犬猿の仲の犬神の悪口、この数日の桜ヶ丘の一寸した出来事、歌舞伎町絡みの与太話、さやかの年末コンサートの噂等々、様々に。

「眠過ぎて、ハイテンション……?」

「……た、ぶん…………」

そんな彼へ、小蒔と杏子は、ボソボソっと影で言葉を交わしたが、そんなこと気にも留めぬ風に、ああでもないの、こうでもないのと、彼はひたすらに喋り続けて…………、が。

ミサと御門と芙蓉が、一斉に、病室のドアを振り返った時、彼も又、ぴたりと口を噤んだ。

「どうした? 京一」

「………………誰か、来る」

マシンガントークを止め、笑顔も引っ込めた彼に醍醐が問えば、何かが来ると、京一は、傍らに立て掛けておいた刀を掴み上げた。

……だから、仲間達も、それぞれの得物に手を伸ばしたが。

幾対もの瞳が見詰める中、静かに開いた扉より、中へと滑り込んで来たのは。

──パリっと、何かが割れるような音が響いた直後。

影司を一目見た時から強く痛み始めた頭を振って、辺りを見回した龍麻の目に映った物は、廃屋だった。

……見覚えのある場所。

確かに、訪れたことがある場所。

…………そんな廃屋の直中にいたのは、影司と紗夜で、狂ったような嗤いを見せながら、お前さえいなければ、と、影司は叫び、そんな彼を、自分も、京一も、葵や小蒔や醍醐達も見詰めていると、龍麻は知った。

「……………………龍麻さん。帰れますよ。帰り方、判りますよね……? 貴方を待っている人達の所を、目指せばいいだけなんですから。帰り道で貴方が迷子にならないように、ずっと、貴方の傍に付いててくれる人がいますから。大丈夫、ですよね…………? もう、その人の手、離しちゃ駄目ですよ……」

光景を見詰め続けるだけの彼に、紗夜は微笑みながら言う。

「比良坂さん……? あの……」

何故か、すんなり声が出る、と、そう思いながらも龍麻は、彼女に何かを問おうとした。

「……行って下さい。ここは、龍麻さんの世界じゃない。貴方の在るべき世界じゃない。………………優しくしてくれた貴方に、私、恩返しがしたかった。変われることを気付かせてくれた貴方に、私も何かを返したかった。私自身で逝くことを選んだ黄泉路で、貴方のことを想っていたら、貴方や皆さんの為になるかも知れない『力』が、私にも生まれた。……だから私は、『この世界』に来られた。貴方に会えた。……やっと私は、貴方に何かを返せる。……行って下さい。貴方を待っている人達の所へ。貴方のことを信じて、ずっと待ってる人の所へ。帰り道への入口は、私が開きますから」

けれど紗夜は、龍麻の問い掛けを遮り、一息で言い切ると、トン……と、龍麻の背中を押した。

「でも、比良坂さん……」

「早くしないと、貴方の大事な人が、待ち草臥れて、倒れちゃいますよ?」

そうして、彼女は優しく笑って。

彼女の背後で、叫び続ける影司が、異形の死人を操り出す中、佇み続けて。

「………………比良坂さんっっ!」

龍麻は咄嗟に、彼女へと手を伸ばした。

伸ばしたその手で彼女の腕を掴んで、引き摺り。

────刹那。

色彩のあった光景も、色彩のなかった光景も、全て。

何も彼も。

彼の前から、消え去った。

幾対もの瞳が見詰める中、静かに開いた扉より、中へと滑り込んで来たのは、初夏の頃、業火の中、兄と二人、黄泉路へと旅立った筈の、比良坂紗夜だった。

「紗夜、ちゃん…………?」

「まさか……」

「比良坂さん……?」

「え、だって……」

あの日と同じ、母校の制服を纏って、所在な気に微笑みながら室内へと進んで来た彼女の姿に、京一や、醍醐や葵や小蒔は、呆然とする。

あの日、あの時、あの場所に居合わせた仲間達も。

「…………もう直ぐ、ですよ」

だが紗夜は、微笑んだまま人々の間を縫い、ベッドへと近付いて、龍麻と京一とを見比べた。

「おい、紗夜ちゃん……? まさか…………」

そんな彼女から感じられるのは、己達が得たのと同じ『力』の氣で。

京一は、唯々、目を見開いたが。

「龍麻さんが、私の手を引っ張って、連れて来てくれたんです。龍麻さんのお陰なんです。だから私、還って来られたんです」

「還って来られた? ……ん? ってことは……。…………龍麻!」

彼女の言葉の意味に気付いた彼は、どうして、逝ってしまった筈の紗夜がここにいるのかも気になるが、龍麻が目覚める、そのことの方が先だと、ベッドを振り返った。

「龍麻? 目ぇ覚めたか? 龍麻」

すれば思った通り、すっと、龍麻の瞼は開かれ、京一は身を屈め、勢い込む。

「………………あれ? 京一? ……俺、どうしたんだっけ……? ……何でだろう、すっっっっ……ごく、腹減ってるんだけど……。……あれ?」

目覚めた途端、ドアップで迫って来た親友の顔に、ちょっぴりだけ慄きつつ、あーれー? と龍麻は首を傾げた。

「『あーれー?』……じゃねえっての、馬鹿野郎…………」

一体、何が起きているのかさっぱり判らない、と言った顔で親友を眺め、集っていた周囲の仲間達を眺める龍麻に、京一はげっそりと肩を落とし。

「ま、いいか。無事のご帰還だしな。……お帰り、龍麻。んで、お休み」

それでも朗らかに笑うと、そのまま、ベッドの枕元に突っ伏した。