──一九九九年 一月二日 午前零時。

今年の春が来れば又、ここも、満開の桜で淡く色付くのだろうと、そんな話をしながら、上野公園・大噴水前を目指し、園内を進めば。

「…………さーて。上野公園っつーのは、こんな所だったっけかな」

「……うーんと小さい頃、動物園に連れて来て貰ったことあるけど……こんな感じの所じゃなかった憶えあるなー。俺達以外、だーれも見当たらないしね」

先頭を行っていた京一と龍麻が言い出した通り、そこは既に、上野公園であって、上野公園ではなかった。

光射す昼間はとても開放的な印象を与える、豊かな自然に囲まれた、数々の施設を有する、公園、の筈なのに、彼等が踏み込んだそこは、どう見遣っても、広大な敷地を有する、寺院の境内としか思えなかった。

「江戸時代の寛永寺境内って、こんなだったんだろうね」

「つーか、そのものだろ、多分。……でけぇ寺だな、おい」

──眼前に広がる、異質な光景。

これはきっと、南光坊天海が、この地に東叡山寛永寺を開山した当時の姿を、そっくりそのまま映し出した、幻影──否、異界なのだろうと悟り、彼等が各々の得物を構えれば。

彼等の動きに呼応するように、又、大気が揺れた。

「これは…………」

「タイムリミット、って奴だな」

体の芯を突き上げて来る揺れに、醍醐と京一は顔を顰め。

「……大気に、憎悪と、怒りと、悲しみが満ちて行くのが解るわ……。……これは、『何』のモノかしら。……龍脈? それとも、柳生宗崇? ……いいえ、もしかしたらこれは、黄龍…………」

揺れが強まるに連れて膨らんで行く、陰の氣を感じた葵は、ポツっと呟いた。

「………………行こう。皆。……今日も宜しく」

皆が一様に浮かべる、厳しく、そして何処か哀しい表情。

それを見回して、そんな顔をしてちゃ駄目だと龍麻は笑みを浮かべ。

常のように、『軽く』言う。

「俺達は、護りに行くだけ。自分達がそれぞれ護りたいモノを、奪われないようにここにいるだけ。……それだけだよ。──大丈夫。そんなに、難しいことじゃないよ」

……ふわっと笑った彼は、事も無げにそう言って。

東京という街を、自分達の住まう世界を、護る為の戦いでなく。

本当に細やかな、けれど、今この瞬間も、確かに己達の手の中に掴んでいる、大切なモノを護り抜く為の戦いを始めるべく、踏み込んだ異界の更に奥へと、躊躇うことなく進んで行った。

──同時刻。

新宿、桜ヶ丘中央病院。

正面玄関前に出て、己達には感じられる震動に身を任せながら、龍山は、空を見上げていた。

「よう。……やっぱり、ここにいたか。織部のじいさんが、ここに担ぎ込まれたって聞いてな。お前もいるんじゃねえかって、そう思って」

「道心……。……久し振りだな」

「久し振りも何も。てめぇのツラなんぞ、金輪際拝みたかなかったぜ、俺は」

「変わらないな、御主は」

決戦を迎えているだろう少年少女達を想い、夜空を見上げていた龍山へ、前庭を包む闇の中から近付いて来たのは道心で。

不義理を詰ることもせず、憎まれ口ばかりを叩くかつての戦友へ、龍山は軽く肩を竦めてみせた。

「…………そろそろ、おっ始まるな」

「そうだな……。じゃが、儂等に出来ることは、せめて、弦麻の加護が、あの子供等にあれば良いと、祈るくらいのものだ」

「あの、大馬鹿野郎のご加護ってか。……けっ。……そんな、辛気臭せぇことしなくったって、大丈夫だろ、あのガキ共は。──龍脈の力は、人の手には余る。ご大層過ぎる力だ。人には到底、過ぎた代物。長き年月、それだけを求めて来た自分が何だったのか、その身を以て、知るだろうよ、柳生の奴も」

酷く簡単な挨拶だけを交わして、又、夜空を見上げ、子供達の無事を祈る龍山へ、大丈夫だと道心は言う。

「始まりますね。この揺れは、龍脈が齎すモノ…………。でも、あの子達なら、多分」

そこへ、ふらりとたか子も姿見せ、龍山や道心に並んだ。

「……岩山さん。──……あの子供達なら……そうじゃな。……御主達の言う通り、きっと」

「ああ。この街を護ることは。世界とやらを護ることは、多分。………………だが……」

龍山も、たか子も、道心も、『遠い』、上野の地をも覆っているだろう夜空を眺め、あの子達ならと、口を揃えたが。

だが、と。

道心はその面に、少しばかり暗い影を乗せた。

──同時刻。

異界・『寛永寺』。

異界の直中を進めば。

本堂へと続く、石畳が現れた。

──この先に、きっと。

……そう思い、参拝でもする風にそれを辿ったら、荘厳、としか言い様の無い『寛永寺本堂』が、突如彼等の目に飛び込んで来た。

本堂の上がり口の、石段前に一人立つ、緋色の学生服を纏った男──柳生宗崇も。

「……黄龍の器。そして、宿星達。結局お前達は、ここまで辿り着いたか」

乗り込んで来た一同を見回し、柳生は、その科白とは裏腹な、愉快そう、とも言える声音を洩らした。

「…………お陰様で。──……柳生宗崇。あんたには、色々、沢山、借りがある。俺だけのじゃない。色んな……本当に色んな人の。俺はそれを返したい。そして、色んなことの決着を付けたい」

ザッと、石畳を踏みしだき、仲間達より一歩だけ前へと進んで、龍麻は真っ直ぐ柳生を見据えた。

「ほう……。俺は又、今より俺が築く、混沌に満ちた陰の世界を見届ける為にやって来たのかと思ったぞ。…………そうだ。大人しく、そこで見ていると良い。俺が求め、そして正に手に入れんとしているこの街を。世界を」

「……冗談は格好だけにしとけ、この糞っ垂れ野郎。世界がどうの、この街がどうの。……んなこたぁ、どうだっていいんだよ。──俺は、てめぇだけは、何が遭っても絶対に許さねえ。……それだけだ」

だが柳生は、己だけが望む未来を確信し、そんな彼を、京一は唾棄した。

「許すも、許さぬも。『陰の器』に黄龍を迎え、龍脈の全てを制し、操る俺が、貴様等如きに、そのようなことを決められる覚えはないな」

しかし、誰に何を言われても、どんな眼差しで見詰められても。

彼は唯、高らかな嗤い声を、周囲へ響かせるのみだった。