──多分、もう、間に合わない。

………………その、京一の言葉通り、もう、何も彼もが遅かった。

『それ』が本当に慰みになるなんて、龍麻や京一自身、思ってはいなかったけれど、それでも、せめてもの『慰み』に、と、拳を、刀を構えた彼等の眼前で、苦しむ少年が放ち続けていた叫びは、真実、獣の咆哮に変わった。

「……! 二人共、退きなさいっ!!」

地も、空も、大気も震わす咆哮に、ハッと顔色を移し、御門は叫び。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前! 障壁っ!!」

バチリと音を立てる、呪法の壁を咄嗟に築いた。

「何………だ……?」

「変生……?」

「ウォ……オオオオ……オオオオォォォ!」

長髪振り乱し、獣の雄叫びだけを上げる少年は、急拵えの障壁の向こうで見る見る姿を変えながら、それでも、壁のこちら側に立つ京一や龍麻へと腕を伸ばして来た。

「いけません! 陰の器よ、退きなさい! ──朧蝶っ」

パリパリと、火花さえ散らしながら侵入を防ぐ障壁を無視し、腕を伸ばし続ける陰の器へ、芙蓉が目晦ましを仕掛け、その隙に、彼等は数歩、後退る。

「黄龍………………」

離れて行った彼等へ、もう手が届かぬと知るや、少年の咆哮は一層極まり、その姿は、黄金色の光の塊となり。

膨れ上がって行く氣、膨れ上がって行く体、それを見遣って、如月は、ぽつりと呟いた。

────そう、少年がその身を移ろわせつつある姿、それは正しく、黄龍そのものだった。

伝説の世界の生き物の。

天を駆ける、聖獣の長と言われる、神の如き。

夢や、幻のような、姿の。

……けれどそれは、伝説の世界の生き物でも、夢でも幻でもなく。

唖然と見詰めるしか出来ない少年少女達の眼前で、黄龍と化し始めた、名も知らぬ少年だったそれは、益々、身を膨れ上がらせ。

突如、疾風と、雷鳴と、震動と、閃光を生んだ。

「うわっっ」

「きゃあっ……」

唐突に生まれたそれ等に包まれ、容赦無く吹き飛ばされた人々が、何とか立ち上がり、ふと、辺りを見回せば。

そこはもう、異界の寛永寺本堂ですらなく。

上下左右が辛うじてあるだけの、冥いのに明るい、『如何なる世界』にも属しておらぬような、異界の中の異界としか例えようのない空間だった。

そして、果てがあるのかも判らぬそこに鎮座ましていたのは、完璧な姿を現した、黄龍。

「………………はははは……。でけぇな……」

「り、龍って、伝説通り、小山よりもあるんだねえ……」

「技、届くのか? マジで心配だぜ、俺」

「まー、届く……んじゃないの? 的は大きいし」

とぐろを巻く大蛇にも似た、が、そんな物とは比べ物にならない大きさ、比べ物にならない、圧倒的な存在感と威圧感。

それを、只そこに在るだけで滲ませて来る龍の長に、ふるりと身を震わせて、ゴクリと生唾を飲み込みつつも、京一と龍麻は視線を絡ませ、軽口を絞った。

「…………どうやって? あんなのと、どうやって戦ったらいいのさ……っ」

「どうしたらいいの……? あんな、あんな……神様みたいなモノと……」

だが、気丈な小蒔も葵も、泣き出しそうに声を震わせ。

「桜井……美里…………」

そんな二人を宥める言葉も、励ます言葉も、醍醐は探し倦ねていた。

「………………神様、か。そうかもな。……でも。あいつは神さんなんかじゃなくって、神さんみたいなモン、だ。そいつは、大きな違いだぜ?」

「しかし、京一。そうだとしても。俺達が掴んでいる可能性は、万に一つしかないかも知れないんだぞ……」

「なーに言ってんだ、醍醐。上等じゃねえか。万に一つ『も』可能性があるなら。それで上等だ。怯む必要も、躊躇う必要もねえ。……そうだろう? ひーちゃん」

「…………うん。……そうだよ。余裕だよ。万に一つも、可能性があるなら。賭けるだけの価値は、充分なんだと思う。……勝てるって、決まった訳じゃないけど。負けるって、決まった訳でもない」

「京一……龍麻……。………………そうだな。ああ、そうだ。負けると決まった訳じゃない。未だ、諦める必要など」

何時でも共に戦って来た仲間達が、これまで露にしたことなかった明らかな動揺を見せる中、自身達に言い聞かせるように、京一も龍麻も、殊更、明るく弾むような声を更に絞って、だから、それを傍らで聞いていた醍醐も、他の者達も、落ち着きを取り戻し始めた。

「問題は、あのデカブツと、どうやって戦うか、ですね」

「戦法をどうするか、ってかい?」

「考えて当然だろう? あれだけの大きさだ、力の及ぶ範囲も、間違いなく広い」

──……ああ、そうだ。二人の言う通り。

神の如き存在がそこに在っても、自分達が怯む必要も、躊躇う必要もないのだ、と。

壬生や村雨や如月も、俯き加減になり掛けていた面を持ち上げて。

「………………なあ。あれ、何や…………?」

得物を構え出した彼等のように、背に負った青龍刀の柄へと手を伸ばし掛けていた劉は、ふと。

己が視界の全てを塞いでも尚余りある程に巨大な黄龍を、改めてまじまじと見遣り。

ん? と首を傾げた。