少しずつ、少しずつ、朝を手繰り寄せる東の空を眺めながら。

空になってしまった酒瓶を、道心は、トン、と傍らに置いた。

「龍脈の力も、黄龍も。人には、過ぎた力だ。人の手には、到底余る。……だがよ。龍脈も、黄龍も。『絶対の神』じゃねえ」

「……そうだな。神の如きモノであっても、神そのもの、ではない。龍脈が、如何に強大な力であっても。黄龍が、確かな意思持つ、強大な力の具現の存在であっても」

戦友と共に、短い石段に腰掛けたままの龍山は、見上げていた東の空から視線を外し、微かに俯く。

「でも、それでも。ヒトの身にとっちゃ、黄龍は神に等しい。……そうして、よ。刻が来ちまったから。宿星が定めたから。そんなモノは、放っといても、黄龍の器に宿る。ガキ共が、どれ程足掻こうとも。…………どうすんだろうなあ、宿星共は。剣術馬鹿の馬鹿弟子は。……器が真実、黄龍そのものに成り果てても。宿星の導き通り、器を護り続ける定めに従うしかねえのかね……。ヒトだった、緋勇龍麻だけを置き去りに」

「さあ、な……。儂等には、到底判らぬよ。尤も、運命などこれっぽっちも信じないと啖呵を切ったあの小僧が、大人しく、そのような運命に従うとは思えんがな」

「……はは、違ぇねえ……。…………でも、あの馬鹿弟子が。寛永寺に乗り込む直前までは四つあった、あいつが辿るかも知れねえ未来の内の、三つ目。黄龍の器が黄龍となった後も、黄龍の為の宿星として在り続ける運命みらいを拒んだら。残る路は二つに一つだ。……弦麻の息子……いや、黄龍が、剣術馬鹿の馬鹿弟子を殺すか──

──あの小僧が、『緋勇龍麻』を殺すか。……だが、小僧……蓬莱寺京一に、『緋勇龍麻』が殺せるとは、到底思えん」

「……俺も、そう思う。……だとするなら、残された路は…………──

────二人の男は。

白々と明け始めた夜の下、低い声で以て、『子供達』の未来を予言した。

……その刹那、偶然、道心の腕が、空となった酒瓶に触れ。

石段を転がり落ちた酒瓶は、音を立てて割れた。

黄龍が、京一へと囁いた科白に耳朶を打たれ。

「……ミサちゃん……? ミサちゃんは、このことを識っていたの……?」

「御門っ! てめぇ、こうなることが判ってて、黙ってやがったのかっ!」

葵がミサを、村雨が御門を、バッと振り返った。

囁きを耳にした彼等が思い出したのは、『あの日』の桜ヶ丘でのこと。

ミサが、視なければ良かったと呟いた、龍麻と京一の『星の一つ』の話。

そして、多分、ミサと己が視ているモノは、同一なのだろうと言った、あの時の御門。

だから葵は瞳を見開き、ミサを見詰め、村雨は、握り拳を固め、御門へと怒鳴ったが。

二人からは、沈黙のみしか返らなかった。

「そんな…………。じゃあ、ひーちゃんと京一はどうなっちゃうの……? ねえっ、これも運命? これも宿星……? ねえっ! ミサちゃんっっ。御門クンっっ。答えてよっ!! 二人はどうなるのっ。ボク達は、何が出来るのっっ!?」

答えようとしない二人へ、小蒔が涙声で叫ぶ。

「…………それは、ミサちゃんにも、判らない……」

「このような話を、貴方達に言える訳がありませんでしょう……」

彼女に、泣きながら怒鳴られて、やっと、ぽつり、ミサも御門も、口を開いた。

「……うん。知ってたよ。知ってた……。ひーちゃんには、黄龍が宿るかも知れないって。でも、そうなっても、京一君は絶対、それを認めないし受け入れないだろうから、そうなったら、京一君も『京一君でなくなる』か、二人の内、何方かが……ってことも。………………でも。でもね……。ミサちゃん達は、確定してしまった未来を識ってた訳じゃない。今、この瞬間だって。未来は確定してないもの……」

そうしてミサは、自らのみに言い聞かせる風に呟き。

「私や裏密さんが、何を視ても。何を識っていても。未来は未来です。どうなるか、誰にも判らないのが未来。……彼等の先にあるのも、私達の先にあるのも、未だ、何一つ決まった訳ではない、未来なんです」

己達の『先視』の結果がどうあろうと、それは、真実の未来とは関わりないと、御門も又、己で己を言い包める風に。

「なら。本当はどうなるか判らない未来の為に、俺達には何が出来る? 出来ることは、あるのか…………?」

しかし。

醍醐は、酷く厳しい表情を、決して崩さなかった。

────生死の縁を彷徨っていた龍麻が目覚めた、あの夜。

桜ヶ丘の病室で、自分は確かに告げた。

己で己を指して、人じゃない、と龍麻が言い掛けたから。

酷く思い詰めた風な顔をして、泣きそうになりながら、やはり、己はヒトではないのだと。

だから、龍麻にとっては、何の解決にもならないかも知れない、そう思いながらも。

「それでも……、どうしてもって言うんなら。お前の望むモノに、俺もなるから。お前が、自分で自分を、ヒトならざるモノだって思うことを止めないんなら、俺も、ヒトならざるモノになるから。…………俺には、それくらいしか出来ねえ……」

…………と。

自分は、確かに。

……それを、本当に綺麗な黄金色に輝く、吸い込まれそうな黄龍の瞳に見詰められつつ、京一は思い出していた。

………………龍麻が望むなら。

誰よりも、何よりも大事な奴だと想う、龍麻がそれを望むなら。

例え己が、ナニモノに成り果てようとも。

このまま、この綺麗な黄金色の瞳に全てを委ねるだけで、龍麻が救われるなら…………──

「俺は…………」

あの夜、あの場所で、あの言葉を告げた刹那の想いをも甦らせて。

京一は、ポツっと呟いた。

すれば、眼前の『彼』の、どうしようもなく綺麗な黄金色の瞳が、とてもとても嬉しそうに揺れた。

だから、その瞳をじっと見詰め返し、一度だけ、酷くゆっくり瞬きをし。

ダラリと下げた右手の先の刀を、前触れもなく、京一は引き上げた。

「……京一?」

「…………ああ、言った。確かに言った。どうしてもって言うんなら、お前の望むモノに俺もなる、って。俺には、それくらいしか出来ねえ、って。……でもな。それを言ったら。あいつにド突かれた」

右腕一本のみで柄を握り、胴から胸へ掛け、切っ先を、逆袈裟斬りのように持ち上げてみせた彼のそれを、パン! と生んだ障壁で阻み、黄龍は不思議そうな顔をする。

「俺が、自分からそんなモノになるなんて、御免被るって。あいつは言った。そんな風に思って貰えるだけで、充分だ、とも。……だから俺は、そんなモノにはならない」

神の如き存在の『誘惑』を、どうして振り切れたのだろうと、唯々不思議そうに見遣って来る黄龍へ、京一は、きっぱり言い切り。

右手に掴んだ得物だけは手放さぬまま、龍麻の体を、力一杯抱き締めた。