一九九九年 一月八日 金曜日。
冬休みも、残す処、後二日、となったその日。
龍麻達一同は、すっかり定番の場所となってしまった如月の家を会場に、新年会を開いた。
新年会でもあり、何時もの定例会でもあり、全てのことが終わった祝賀でもあり、京一の退院祝いでもある宴。
龍麻と、醍醐と、紫暮と、舞子が、それはそれは厳しい目を光らせた為、アルコールは一切抜きの、非常に健全な席となったけれど、それでも。
喜びだったり、安堵だったり、開放感だったりと言った、様々な想いがこれでもかと詰め込まれて膨れ上がって、宴会は、一言で言えば『惨状』になった。
流石に今日ばかりはと、何度か喉元まで出掛かった、「近所迷惑」の単語を家主は飲み込んだけれど、その、端正な造りの顔は、始終引き攣りっ放しで。
だが結局、誰からも制止の声は掛からぬまま、大盛り上がりを見せつつ、新年会は延々続いた。
誰も彼もが、晴れやかな顔をしたまま。
それより、二日後。
龍麻達、高校三年生組にとっては最後の学期となる、三学期の始業式が真神学園では行われた。
異形の世界とは一切関わりを持たぬ者達にとって、過ぎた年末年始は至極穏やかで、そんな彼等に齎された、たった一つの異変は、三年C組の担任であり、二、三年の英語担当だった、マリア・アルカードの突然の帰国の報せだった。
学内での挨拶も済ませず帰国してしまったのは、彼女の郷里で、急を要する出来事が起こって、と、三年の学年主任である犬神より生徒達へ説明がなされたが、その日一日、真神学園内では、マリアは実は失踪したらしいとか、事件に巻き込まれたって噂だ、とか、犬神先生との結婚話が破談になったって聞いたわ、とか、マリアに関する憶測は、生徒達の間を飛び交い続けた。
──だから、そんな風な一日……と言っても、始業式と、マリアの代わりに三学期の間だけ三年C組の面倒を見ることになった、臨時教員との対面込みの、少々長めのホームルームだけが予定だった、その日の昼下がり。
放課後。
思っていたよりも、摂取出来る食品の制限がなかったからと、新年一発目の王華へ行く! と盛り上がっていた京一を引き摺って、龍麻は屋上へ行った。
「何だよ、ひーちゃん」
「……話があるんだ」
「話? ラーメン喰ってからじゃ駄目なのか?」
「うん、今がいい」
「…………判ったよ。……で? 何だ? その話って」
「マリア先生の、こと」
「……ああ…………」
俺は腹が減っている、と、最初の内、京一は屋上行きを渋っていたが、真剣な顔をした龍麻が、マリアの名を出したので、漸く大人しく、彼は話に耳傾ける姿勢を取り。
「あの日、ここで。『寛永寺』に行く前。……俺、マリア先生と戦ったんだ」
龍麻は、あの夜のマリアとの出来事を、包み隠さず一切合切、京一に語って聞かせた。
「…………そっか……」
「……うん。──後悔はしてないよ。マリア先生が、自分達魔族の世界を取り戻したかったように、俺には俺の護りたいモノがあって、あの時はひたすら、俺は今、ここで死ぬ訳にはいかないって、そう思ったから。……でも、マリア先生は、ここから落ちて、行方が判らなくなった。…………先生は、龍脈に連なるモノじゃなかったけど、魔族だったから、あの異界の地震の影響を、受けちゃったんだと思う」
「……かもな。俺達のことも、柳生のことも知ってたんだし」
「そうだね……。…………あの時、マリア先生と戦ったことを、後悔はしてない。けれど……マリア先生の手を離してしまったことは……。何が遭っても俺は、先生の手を離しちゃいけなかったんじゃないか、って。例えそれが、先生の望んだことでも」
「ひーちゃん…………」
屋上の柵に両手を掛けて、真下に広がる校庭を覗き込む風にし、ぽつぽつと言う龍麻の背が、京一の目には酷く儚気に映って、掛ける言葉を、彼は一瞬考え倦ねた。
「………………ひーちゃん」
けれど、次の瞬間には、躊躇いがちだった色を消し、すっと面を持ち上げて、京一は、校庭を見下ろし続ける龍麻と並び、屋上の柵に凭れる。
「ん?」
「マリアせんせーとのことに関しちゃ、お前、ドツボって訳でもねえみたいだから。……正直、どんな言葉を掛けたらいいのか、俺にはよく判らねえ。お互い、どうしたって譲れないことの為に戦って、たまたま、結果がそうだっただけだってことも解ってるみてぇだし、本当にお前、それを後悔してるとか、悔やんでるとかじゃなさそうだし。……だから、あの夜言ってたみたいに、八つ当たりがしたいなら、しとけ。俺で良ければ」
「…………おー。珍しい。京一が、一寸だけ過保護を脱却した発言してる」
「……どーゆー意味だ。…………俺だってな、ドツボまっしぐらになってる訳でもねえお前捕まえてまで、ぎゃあぎゃあ言わねえよ。俺がぎゃあすか言う時ってのは、お前がドツボの時だけだろうが」
「あー、そうだったかもー」
「それ以外の、何だっつーんだ。………………処でな、ひーちゃん」
「何?」
「お前は、どっちが望みだ? マリアせんせーが無事でいることと、長過ぎる……本当に長過ぎる生と、やっと手を切れたことと」
「んーーーー……。そうだなあ……。……辛い想い出ばかりを引き摺って、本当に長過ぎる生の中、流され続けることは、とても辛いことだと思うけど。やっぱり、マリア先生には、無事でいて欲しいと思うよ」
「そっか。……じゃあ、そう思っとけ。……マリアせんせーは、吸血鬼だったんだろ? 伝説上じゃ、吸血鬼ってな、不死ってことになってるじゃねえか。況してやあの夜は、満月だったんだし。………………きっと、無事でいてくれるよ」
片や、うつ伏せるように柵に凭れ、片や、肘を引っ掛け背中を預けるように柵に凭れ。
二人は、そんな会話を交わした。
「………………もしも、俺が逆のことを願ったら?」
「あ? マリアせんせーに、『安息』が訪れてくれてた方が、ってか? それでも、俺の言うこた変わらねえよ。そう思いたいなら、そう思っとけ。本当に長過ぎる生にとっちゃ、あの結末は『安息』だった、ってな」
「……やっぱり、京一は過保護だ。どうしてそう、俺のこと、甘やかすんだよ」
「甘やかしてなんかねえよ。何時だったか、お前自身が言い出したことだろう? 『何も彼も半分こ』って。……お前が、俺の『荷物』を分け合って持とうとしてくれるように、俺も、お前の『荷物』を分け合いたい。……それだけだ。それに。他の連中の言い分は多分、お前が俺を甘やかしてる、だと思うぜ」
「……それは、ほら。普段の態度と人望の差、って奴? ────京一は、本当に、本当に………………」
…………そうして、暫し。
龍麻は校庭を覆う茶を、京一は空を覆う青を、それぞれ、眺め続けた。