「おじさーん。あたし、塩ラーメン」
「……あー……。俺は、味噌」
──杏子が京一を引き摺って行った場所は、芸がない、とすら言えなくなってしまった程『芸のない場所』、ラーメン屋の王華だった。
杏子曰くの、仲間達とて、バレンタインデーの夜にラーメン屋に入るような色気の無いことは早々しないだろう、との理由でチョイスされたそこにて、注文を済ませ。
「……………………で?」
至極嫌そうに、意味もなくコップの水を飲みながら、京一は、チロリ、眼前の少女へ視線を流した。
「だから。取材協力して欲しいのよ」
「……何の」
「…………あんたも、変なトコ鈍いわねー。今日は、バレンタインデーだったのよ? 美味しいネタが、何処に転がっててもおかしくない日なのよ? だから、あんた達の後を尾けるような真似までしたんじゃないっ。あたし自身の手で発行する最後の真神新聞の、一面トップを飾れるネタに、遭遇出来るかも知れないってっ! ──そういう訳だから! さあ、白状しなさい、京一っ。龍麻君、幾つ本命チョコ貰ってた? 誰からだったっ!?」
やる気の欠片も感じられない彼の眼差しを、眼鏡の向こう側より眼光鋭く弾き返して、杏子はペンと手帳を取り出し、握り拳を固める。
「成程な。そーゆー『取材協力』、か」
「そうよ、判った?」
「一応な。……でも、協力は断る。どうしても知りたかったら、ひーちゃん自身に訊くんだな」
彼女の、熱い雄叫びに耳劈かれ、顔を顰めつつ、彼はしれっと、そっぽを向いた。
「…………何で。あんた、あたしに逆らえる立場だと思ってんの?」
「何で俺が、お前に逆らえねえんだよっ! ふざけんなっ! ──冗談じゃねえっつーの。知ってても言えるか、んなこと。悪りぃだろうが、ひーちゃんにも、ひーちゃんにチョコ贈った女にも」
「ふーん。……成程、龍麻君が、本命チョコを貰ったことには、間違いはない、と」
「……………………あ」
しかし彼は、言わずとも良かったことを、うっかり洩らしてしまい、困ったように、ぐしゃぐしゃと己の前髪を掻き上げ。
「ホント、京一って単純で助かるわー。……で、幾つ? 誰から?」
「……知らねえよ。マジで、知らない。玄関先にチョコが入ってる紙袋があったのは見たけど、幾つあったのかとか、誰からだったとかまではな。見たら、悪りぃだろ? ひーちゃんに」
ケラケラと、勝ち誇ったように笑った杏子へ、一度、深い溜息を叩き送ってから、諦めたように白状した。
「へーぇ。あんたが、そういうことに首を突っ込まないなんてね。珍しいこともあるもんだわ。……ま、あんたはそれだけ、龍麻君のことが大事なんでしょうけどねー」
すれば、杏子は一瞬だけ目を見開いて、又、ケラケラと、愉快そうに笑った。
「は? どういう意味だ?」
「だから。例えばね、醍醐君の家に一緒に行って、玄関に、醍醐君宛のバレンタインのチョコが入った紙袋が置いてあったら、京一、絶対に、取り上げてでも中を見るでしょ? 醍醐君のこと、冷やかす為に」
「…………あー……、た、ぶん……」
「でも、龍麻君には、それをしないでしょ? つまりは、そういうことよ。友達同士だから出来る、からかいでしかないレベルだったとしても、京一は、龍麻君には、その手のことが出来ないし、したくないと思ってるってこと。それだけ、大切だってこと……なんじゃないの?」
「……かもな」
「あら、随分と素直じゃない。……でも、ま、仕方無いか」
「仕方無いってな、何だよ」
「…………あたしも、教えて貰ったからね。『寛永寺』でのこととか、ミサちゃんや御門君が、以前から占いで知ってた、あんたと龍麻君の『星』のこととか。……だから、そういうことなら、『仕方無い』んじゃない? それも」
「…………………………かも、な」
──高い声で愉快そうに笑いながら、杏子が言い出したのはそんなことで、龍麻が貰った、バレンタインの本命チョコの話から、大分ずれた所へ辿り着いてしまった会話に、京一はふと、言葉には出来ない、違和感のような物を何故か覚えてしまって、言葉を濁し、この違和感は一体何だろうと、思い悩む風に、意識せず、遠い目をした。
「……あ、あああ。そうそう。『寛永寺』って言えばね」
己がよく知る、普段の『蓬莱寺京一』にはそぐわない、見ず知らずの他人のような風情を垣間見せられ、杏子は少々戸惑い。
半ば強引に、話題を変える。
「あ?」
「あんた達が関わってた異形や龍脈絡みのことは、全て終わったんだろうけど。やっぱり、謎は残ったじゃない? だから、あたしもあたしなりに、一寸調べてみたのよ。全てのことが終わったんだもの、出来る限り、すっきりしたいから」
「ふーん。……で?」
「結局、最後まで判らなかったことの筆頭は、陰の器だった少年の正体だと思って、色々あちこち、調べてはみたんだけど……それは、どうしても判らなかったわ」
「……ああ、あいつ、な」
「そうよ。……も、聞いてよ! 一昨年から去年に掛けて、行方不明になった東京都内の男子高校生のリストと、寝ずに戦ったのよ、あたし! 容姿は判ったから、警察のリストと照らし合わせれば、身元くらいは……って思ったんだけど。駄目だったわ。……もしかしたら、天涯孤独だったのかもね、その少年」
「さもなきゃ、あいつの両親さえも、自分達に息子がいたってことを、忘れさせられたのかもな。あの、糞っ垂れの外法とやらで」
「…………その可能性も、ある、か……。……だとしたら、悲しい話よね。自分達の子供も、子供がいたって記憶も、何も彼も、柳生に奪われたんだとしたら、遣り切れないなあ……」
「そうだな。親御さんも哀れだし。あいつも哀れだ。親御さんは、息子が死んだことも知らない。息子がいたことすらも。息子は息子で………………って、おい。何、辛気臭ぇ話してんだよ、俺達ゃ」
「……そんなこと、あたしに言われたって困るわよ」
「お前の所為だろうが、こんな話になったのは」
「……何よ、あたしが悪いっての? …………じゃあ、もっと鬱になる話でもしてあげましょうか。取り壊しが決まった天龍院高校の敷地の片隅から、大量の白骨死体が出て来たらしいとか」
「止めろっつーの、飯が不味くなんだろーがっ!」
「ミサちゃんの推測では、その白骨死体の山は多分、陰の器を創ろうとした柳生の犠牲者達だろうとか。彼が、天龍院の制服を身に着けてたのは、詳しいことまでは判らないけど、陰の器を創り上げる為には、『天龍院高校の者である』っていう、何らかの証が必要だったからじゃないか、とか」
「だーーっ! 判った、判ったから! 飯喰ってからにしろ、その話っ! 折角のラーメンを、俺は、陰気な気分で喰いたくねえっ!」
──杏子が無理矢理に変えた話題は、京一とて、出来れば食事前には御免被りたい類いの話で、先程とは違う意味で、少々遠い目となった彼は、黙れ! と喚き出し。
「はい、お待ち! 塩ラーメンと、味噌ラーメン!」
丁度、そこへ。
出来立ての、ラーメンが運ばれて来た。