幸か不幸か、翌、二月十五日、真神学園三年生は、所謂『登校日』に当たっていた。
三学期に入り、自由登校となっていた三年生全員が、登校を義務付けられている日。
……夕べ、バレンタインチョコ絡みのことで、『下らない考え』を抱いてしまった京一は、朝が来てもそれを上手く振り払えずにおり、故に、出来れば仲間の誰とも顔を合わせたくない、と思いはしたが、三月を目前にしたこの時期、迂闊にサボって、卒業が危うくなるのは困ると、渋々登校した。
自由登校の間も、旧校舎には、龍麻と二人、毎日のように訪れてはいたが、教室へ足を踏み入れるのはかなり久し振りで、でも、踏み込んだ校舎は、これまで過ごして来た日々と、何ら変わりなかった。
だが、昨日はバレンタインで。
その日、三年生全員が登校して来ることは、全生徒周知だったから、下駄箱を開けたら雪崩れ出て来たチョコの山や、早くも、自分の机の上に置かれていた、やはりチョコの山に京一は出迎えられてしまって。
『酒池肉林』が座右の銘だと言い切る彼のこと、それを、一応は嬉しく思いつつ。
『学校での、普段の己』通り、これ見よがしに、周囲に自慢もしつつ。
でも、彼の胸中の真実は、酷く複雑だった。
忘れよう、振り払おうと、夕べから努力している『下らない考え』が、チョコレートの山と共に、襲って来たから。
小蒔や杏子などは、「京一の本性を知らない下級生の女の子達が、本当に可哀想だ」と心底嘆いたくらい、大量のチョコを贈られた彼同様、龍麻も又、どうしたらいいんだろう、と呆然としてしまう程、朝からチョコレート攻撃に遭っていて、それを横目で見るに付け、振り払いたいのに振り払えない、『下らない考え』はいや増し。
「どうやって持ち帰ったらいいんだ……?」
と、頭を抱えなくてはならぬ量、チョコレートが積み上がった放課後には、龍麻や醍醐や葵や小蒔と共に、大騒ぎをしつつ、常通りに笑いながらも、誰にも見せない部分にて、京一の『苛々』はピークに達していた。
だと言うのに。
授業らしき授業は行われなかったその一日を終えて、事務室から、要らない段ボールや紙袋を分けて貰い、何とか貰ったチョコを全部押し込んで、それを抱えながら龍麻と二人、家路に着いた彼を。
このお祭り騒ぎが終われば、きっと気分も落ち着いて、少しは冷静になれて……と、希望的観測をしていた彼を嘲笑うように、『運命』は、『下らない考え』を、京一の中に根付かせる風に転がった。
『下らない考え』を、『下らなくない考え』とステップアップさせ、京一の中に植え付ける切っ掛けを作ったのは、醍醐だった。
きっと昨日、バレンタインのチョコレートを小蒔から貰っただろう醍醐は、彼的には長かったと言えるだろう月日を経て、やっと、想いが通じ合い始めた彼女と二人、『ラブラブ』で今日は帰宅するのだろうと、京一も龍麻も思っていたのに、何故か彼は、一旦二人と別れた後、改めて追い掛けて来て、そのまま、龍麻のアパートにも傾れた。
「どうしたの? 醍醐」
「何か遭ったのか? タイショー」
そんな彼を、部屋に上がり、制服の上着だけを脱いで、キッチンにてインスタントコーヒーを淹れつつ、龍麻はとても気にし、京一も、醍醐を引き摺ってコタツに当たりながら、水を向けた。
「…………………………いや、その……な。あの…………」
だが、醍醐は中々口を割らなかった。
半身を突っ込んだコタツの中で、立派な体躯を縮め、真っ赤になった面を俯き加減にしつつ、ボソボソゴニョゴニョ、聞き取り辛い声を放つのみで。
「だーーーーっ! 何だってんだよっ。はっきりしろ、はっきりっ! 男だろうがっ!!」
「まあまあ、京一。きっと、醍醐も言い辛いことなんだよ。……相談か何か、なのかな?」
その為、早くも京一はキレ、キレた彼を宥めながら、龍麻は根気良く醍醐に話し掛け。
「実は…………」
何処までも、聞き取り辛いトーンではあったけれど、やっと、醍醐は事情を語り出した。
「うん。何?」
「き、昨日……な。あの後……如月の家を出た後……その……桜井から、チョコを貰った……んだ……」
「……何だよ。惚気か? 良かったじゃねえか、タイショー。やっと、想いが叶って」
「…………想いが叶った、という言い方が、正しいのかどうかは、判らんのだが……。……好きだとか、付き合おうとか、そういう話になった訳ではなくて、唯、俺にだけだと、そう言って、桜井はチョコを渡してくれてだな……」
「……? それって、両想いになれた、ってことじゃないの?」
「お前にだけ、っつって、チョコくれたんだろう? どう考えたって、そういうことじゃねえか」
彼の話は、何処までも歯切れが悪く、表現もあやふやだった。
が、京一や龍麻の耳には、どうしたって、惚気、としかそれは聞こえず、「何だ?」と二人は首を傾げる。
「俺も、そうだ……とは思うんだが……あーーー、その。…………実はな。以前から、スカウトの話が来ていて、随分迷ったんだが、俺は、真神を卒業したら、声を掛けてくれたプロレス団体に、入団することに決めたんだ」
すれば、醍醐は。
何故か、『惚気』より一転、卒業後の己が進路を、インスタントコーヒーを啜る京一と龍麻の顔を見比べながら、告げ出した。