それから、二日程が過ぎた木曜日。二月十八日。
次の週末に、一寸二人で出掛けないかと、精一杯の勇気を振り絞って小蒔を誘った醍醐の為、京一は龍麻と共に、彼の買い物に付き合った。
中学時代は喧嘩三昧の日々を、高校では硬派この上無い日々を、送って来た醍醐はデートという物に余り縁がなく、そんな彼を時折からかいつつの買い物は、楽しいひと時ではあったが。
先日より思い煩い続けていることが、ふとした拍子、どうしても頭の片隅に擡げてしまう京一は、何処か、心ここに在らずだった。
「………………ねえ、京一。この数日、様子おかしいよ? 何か遭った? それとも、具合でも悪い?」
何点かの服を買い込み、バレンタインのお返しとは又別の、一寸したプレゼントも買い終え、付き合って貰った礼に、茶くらい奢らせてくれと醍醐が言い出したから、素直に申し出を受け、腰落ち着けた、新宿駅近くの喫茶店の片隅で。
メニューも碌に見ようともせず、ぼんやりしている風な京一を、龍麻が問い質した。
「あ? ……悪りぃ。えーと、何だっけ?」
「……だから。何か遭った? それとも、具合悪い? 京一、最近、少し変だよ?」
「へ? いいや。何が遭った訳でも、具合が悪りぃ訳でもねえけど?」
「じゃあ、何でそんなにぼんやりしてるんだよ」
「…………ああ……。ちょいと、考え事。この間の醍醐の話聞いてから、一寸、な」
だが、彼の追求を、何処までも京一は躱して。
「俺の話?」
「格闘家になるのを決めたって、あれだよ。……お前も小蒔も、ちゃんと将来のこと、考えてやがんだなあ、と思ってさ。多分、他の連中も。そう思ったら何だか、しみじみしちまって。俺達の高校生活も、終わるんだなあ、とか」
「成程な……」
一番の親友に疑問を持たれてしまった、ここ数日の己が体たらくを、京一的には上手く誤摩化せたと自負出来た『言い訳』に、彼の思惑通り乗ったのは醍醐。
「そう言えば、お前は、卒業したらどうするんだ? 俺は一度も、お前の口からそんな話を聞いたことがないぞ」
最も誤摩化されて欲しかった龍麻は、「それだけとは思えないけど……」と、ブツブツ、口の中でのみ異議を唱えていたが、醍醐はそれと気付かず、京一の思惑に乗ったまま、彼の様子がおかしい、との龍麻の言い分を、あっさり流してしまった。
が。
「俺、はー……。……色々、だ。なあ、ひーちゃん?」
「え? …………うん。まあ、色々って言えば、色々、だね」
「色々、なあ……」
「お前にも、他の連中にも、その内ちゃんと話すさ。もう少し、したら」
…………一難去って、又一難。
追求そのものは誤摩化せたけれど、会話の流れは、京一の思い煩いの根本である『将来』へと及んで、どうしても、堂々と胸を張って、龍麻と共に中国へ修行の旅に出るのだとは告げられぬ今の彼は、「ああ、益々ひーちゃんに疑いの眼差しで見られる」と思いながらも、更なる誤摩化しを重ねた。
「後一ヶ月もせずに卒業を迎えるのに、未だそんなことを言っているのか? 京一。お前少し、いい加減過ぎないか?」
その、曖昧過ぎる誤摩化しは、醍醐の眉間に深い皺を寄せ。
「……京一。何で?」
彼の予想通り、龍麻の疑惑を深くしたので。
「まあ、俺の言うことだから、どうしたっていい加減に聞こえるんだろうけどよ。大丈夫だって」
醍醐は、何時も通りの物言いで、龍麻は、勿体を付けたウィンクで、それぞれ黙らせ。
「お客様。ご注文は?」
「あ、俺、コーヒー。お前等は?」
丁度そこへ、オーダーを取りにやって来たウェイトレスの方へ体ごと向き直り、この話はもう終いだと、無理矢理、京一は会話を打ち切ってしまった。
ウェイトレスがオーダーを聞きに来るまでの雰囲気を、綺麗さっぱり流した京一に引き摺られるまま、喫茶店の片隅で馬鹿話に興じていた彼等が、ふと気が付いた時には、入店してより二時間程が経過していた。
コーヒー一杯でかなり粘ってしまったし、外はもう暗くなり始めているし、と、現在時刻を知った彼等は、そろそろ帰ろうと腰を上げ、店の前で、又な、と軽い挨拶を交わし別れた。
「あれ? 醍醐はん?」
京一と龍麻の二人が人混みの中へ消えるまでを見送り、電車に乗ろうと踵を返すや否や、醍醐は、よく知る声に呼び止められ、振り返る。
「奇遇やなあ、こないな所で」
声と、似非な関西弁が示す通り、そこにいたのは劉で。
「劉じゃないか。どうしたんだ?」
話し掛けて来た、それ程大きくない紙袋をぶら下げている彼へ、醍醐は笑顔を向けた。
「買い物や。醍醐はんも、そうなんやろ? ぎょうさん、紙袋持ってはるやん」
「あ、ああ。一寸な。京一や龍麻に付き合って貰ってたんだ」
「何や。アニキや京一はんも、おったんかい。……惜しいことしたなあ。アニキ達が一緒ん時に行き会うてたら、用事、一遍に片付いたやろに」
歩道の脇に避け、立ち話を始め、さっきまで、龍麻や京一と一緒だったのだと醍醐が言えば、劉は、大袈裟な仕草で天を仰いで、あちゃ……、と残念がった。
「用事?」
「そうや。買い物帰りに、アニキのアパート、寄ろう思うてたんや。二人に借りてたモン、返さなあかんし、渡したいモンもあるし」
「……龍麻は兎も角……京一に何かを借りたりしたら、後が怖いんじゃないか?」
その劉の様子、口振りから、二人より借りている某かを、劉は少しでも早く返したいと思っているらしいと醍醐は踏んで、そんなに慌てて返さなくてはならぬ物を、京一から借りたのか? と、からかい半分で告げたが。
「え? そういうんやないで。正確には、借りたんやのうて、えーと、預かったんや。うん、そうやな。日本語で言うんなら、そっちが正解やろ。──わい、二人のパスポート、預かっとんねん」
「は? パスポート…………?」
「あれ? 醍醐はん、アニキ達から、未だ何も聞いとらんの? ……あちゃあ……。そんなら、わい、余計なこと言うてしもたんかな」
「………………劉。お前、この後、龍麻のアパートに行くんだな?」
「へ? そうやで。そう言うたやん。それが、どないしたん?」
「それに、俺も付き合わせてくれ。それと。二人に兎や角言われたら、俺が何とかするから、その話、詳しく聞かせてくれないか?」
劉より、二人からパスポートを預かっているのだ、と、思いも掛けぬことを言われた醍醐は、先程の喫茶店での一幕を思い出して、何となく嫌な予感がする、と。
劉に、同行を申し出た。