醍醐と別れ、それぞれの自宅のある西新宿目指して歩く京一と龍麻の間に、碌な会話は交わされなかった。

龍麻は、この数日どうにも様子がおかしく、先程の喫茶店では、醍醐に聞かせた処で何ら問題があるとは思えぬ、中国行きの話を誤摩化した京一の態度や思惑を探る風に、黙り込みつつも、ちらちら、肩を並べて歩く親友を窺い。

京一は京一で、もうそろそろ、覚悟を決めるべきだなと、一人、物思いに耽ったから。

常よりも遅い速度で歩く二人には、沈黙だけが下りた。

──バレンタインの夜、一人考えてしまったことを、この数日、京一はずっと引き摺っていた。

否、引き摺るだけでなく、より深めていた。

沢山の人々に慕われ、必要とされている親友を、一瞬先の未来さえ見えない放浪の旅になど引き摺って行くのは、決して正しいことではないのだ、と。

日本で、東京で、恙無く暮していく方が、絶対に、龍麻の為になるのだ、と。

…………この一年の間に過ぎた出来事を経ても、いや、出来事を経たからこそ、己には剣の道しかないのだと、京一は思っている。

今まで以上に強くなりたい。天下無双の言葉の通り。そして、大切なモノを護り通したい、と。

……そう思ったから、それしかないと思ったから、中国へ渡って、修行の旅をしようと決めて。

その傍らに、龍麻もいてくれたなら、とも彼は思った。

誰よりも、何よりも大切な、親友で相棒の彼と、互いが、互い自身と互いの背中を護る為に、一歩も譲らず、一緒に進んでいけたら、と。

だから、あの雨の夜、雨宿りをした西新宿の小さな公園で、彼はそれを龍麻に打ち明け、打ち明けられた龍麻は、「一緒に行きたい」との答えを京一に返した。

…………そう、『誘い』を掛けたのは京一で、でも、『答え』を返したのは龍麻自身。

己と共に行く、と決めたのは彼自身なのだから、取り憑かれてしまった『下らない考え』を振り払えずとも、何一つ思い煩うことはないし、思い煩ってはいけない、とも、京一は思っている。

誰かが、自らの意思のみで、こう、と決めたことを、他人が勝手に、否定したり覆したりしてはならぬ、と。

それが、彼の信念の一つでもあるから。

…………けれど。どうしても。

今の彼には、それを、『正しい』と言い切ることが出来なかった。

『答え』を出したのは龍麻自身なのに。

その『答え』すら、己が勝手な我が儘だとしか、彼には感じられなくなっていた。

『誰か達』が龍麻に贈った、本当に心込めた、奥ゆかしいバレンタインチョコ。

あんた達がそうなのは、『仕方が無いこと』なんじゃないの? と言った杏子の言葉。

お前は、将来性が消える道ばかりを選ぶ、との、母の一言。

地に足が付いた夢に向かって、進もうとしている醍醐や小蒔。

その全てが、京一に、「龍麻は日本に残るべきだ」と訴え掛けて来ていた。

そして、訴え掛けて来る全てのモノが示す通り。

己が進もうとしている道とて、己にとっては、『夢』へ近付く為の一歩だけれど、龍麻にとっては、果たして……、と。

彼には、もう、そんな風な『答え』しか、導き出せなくなっていて。

「………………ひーちゃん。一寸、話があるんだ」

────家路の途中。

あの雨の夜、一緒に中国へ行かないかと龍麻を誘った、小さな公園が見えて来た時。

訝し気に自分を見上げて来る龍麻の腕を引いて、京一は、公園へと踏み込んだ。

もう、『決着』を付けるべきだと。

覚悟を決めるべきだと。

「……話って?」

「あのな…………」

あの夜、雨宿りをした大樹の下、向かい合いながら立って、やっと、溜め込んでいる何かを白状する気になったのかと、薄い安堵を覗かせた龍麻を、京一は静かに見詰め。

「……中国へは、俺一人で行こうと思う。お前は……日本に残れ」

ぽつり、彼は話し始める。

「……………………は? 京一、何言って──

──東京ここには、お前を慕ってる奴等も、お前を必要としてる奴等も、沢山、沢山、いる。俺みたいないい加減な奴と、右も左も、今日も明日も判らないような旅に出るより、ここに残って、お前を慕ってる奴、お前を必要としてる奴と、恙無く暮してった方が、お前の為だって、俺は思う。……だから。中国には、俺一人で行く」

「……京一。あの──

──話は、それだけだ。……じゃあな」

低く、静かな声で、ぽつりぽつり話しながらも、何かを言い掛ける龍麻の声を悉く遮り、京一は、一方的な短い話を終えると、龍麻へ背を向け、駆け出した。

「ちょ……。……京一っ! 馬鹿京一っ! 待てっ。待てってばっ!」

何を言われているのかよく判らないまま、どうしようもなく勝手に話を進められ、唖然としている内に、とっとと駆け出され。

怒り心頭になった龍麻は、京一を追い掛け始めたけれど、中々追い付くことが出来ず、やがて彼は、京一を見失ってしまった。

「あんっの、大馬鹿野郎っ!!」

自宅がある方角とは違う路地の向こうへ消えてしまったらしい京一へ、道の直中で、龍麻は盛大に怒鳴る。

「ん? そこにいるのは、龍麻か? どうしたんだ、怒鳴り散らしたりして」

「アニキやないか。何ぞ、遭ったんか?」

と、そこへ折良く、龍麻にしてみれば、『天の助け』が差し伸べられ。

「醍醐っ。劉っ。手伝ってっ! 一緒に、京一の馬鹿探してっっ!」

振り返ったそこに並んで立っていた、声掛けて来た醍醐と劉へ、怒り顔のまま、龍麻は高い声で求めた。